2014年4月24日木曜日

業務?連絡

匿名性が高いこのサイトですが、
いろいろ分けていこうかと思うです。


特にこれまで小声で話していた部分は別のところに移そうかと。

こっちは基本的に、もうちょっと正式なかんじ、
学術的な批判に耐えるかんじにしていって、

最終的にはブログじゃなくてふつうのサイトにしようかなと。
いつまでも匿名ですけどね。

まあ目次がサイトで、そのひとつひとつの記事をブログ的に
書こうかなと。ごめんよう、ふつうに働いていて、
サイトをつくる方法が、ほかにおもいつかなかったんだよう。
いきなり全部は書けないって。

あんまりいないかもだけど、小声のところが聞きたい方は、
アメーバを探してみてください。当面はそこにいます。
アイデアの核はそっちにあります。玉石混交ですが、きっと。

このサイトは整理していきますので、歌詞のとか、子どものこととか、
ネコのこととか、だんだん消えていきます。アデュ。
そんかし、もうちょっと安心してみていけるようにします。

子どもを意思決定者にしてはいけないこと(押尾先生のブログ)

この記事、極めて良いですね。
出典がはっきりしてるからたどれるし、
いろんなところがその考えにたどり着いていることがわかるので。

2014年4月23日水曜日

子育て:子どもの権利の対立と優先順位

似ているけど違う概念が、似ているのに、対立することってしばしばあって。
クルマの安全運転と、高燃費な運転って、
突き詰めると対立しますよね(黄色で止まる・止まらないとか)。

バーデン博士が指摘する、親族法の目的のなかの2つ

・親と子の家族関係についての基本的人権を守ること
・子どもの虐待を防止すること

は、似てるけど、違う。

オーストラリアでの方針をつくってるブラウン博士はそのイントロで
Most legislation, statutes or common law precedents place
the welfare, well being and best interests of the child
as the paramount consideration in decisions affecting their future.

と述べてます。このまんなかの3つを私は
子どもの福祉・良い適応・最善の利益と訳しました。
well being、善くある、が難しいんだけど、望ましくある・ふるまうことで、
外界と良い関係を築き、その結果、幸せである状態だとおもわれ
(これは棚瀬一代先生のyoutubeを何度もみて、こう思ってるのですが)。

もっとも、良い適応っていわれても、あんましピンとこない。
仏教哲学にそんな概念がありそうだけど、すぐ通じるかどうかわかんないし、
そもそもイマイマ、言葉が思い出せない(なんかないですかね?)。


閑話休題。もちろん、そのためには子ども自身の望みとか意見は尊重されねばならないんですが、
福祉・well being・最善の利益 と 子どもの望み・意見
は似てるけど、違う。そして、優先は前者にあるべき。
たとえば、「死にたい」って言われたら、とめるでしょ。
人は(特に、まだ判断能力が未熟な子どもは)、ときに間違えるもんだから。

家裁が後者に拘泥するのなら、指摘してあげねばいかんな。

2014年4月21日月曜日

概念の輸入の失敗?

たぶん女性の権利の拡大をやるときに、
まあ議員立法でばっばっと作ったみたいですが、
いろいろ「両論併記」的な微妙なところも、
どっちか一方の視点だけを仕入れたんじゃないかな。

DVは保護だけ。
子どもの意志を確認するのがいちばん大切。
みたいな。

ここでは、「子供の最大の利益」「ウェル・ビーイング(外界へ幸せに適応している状態)」
という観点がぬけおちた。
両方の親と子供の関係の維持が、これらに大切だということも。

なんでもそうだけど、うまくいっているシステムを変更するのって
けっこう難しい。えいやって全部とりかえるほうが簡単。
変えるのなら、もっとうまく行っているシステムをそのまま持ってくるべきだった。
すごいザルなことをやったから、
史上初の、精神を病んだ片親に全権を与える社会が誕生してしまった。
DV法の成立にご尽力された議員の方は、
その後、所属党内でえらくなられて、結局潰しましたよね、そこを。
ちょっと迂闊なんじゃなかったかね。

意思決定者に関して

1995年、いささか昔ですが、そのころからのオーストラリアの家裁の方針として、
なるべく子供を調停に参加させようという考えがあるようです。

これはその哲学の基本になっていると思われる論文です。
いいけど、慎重にやりなさいよ、というのが骨子ですね。

ちょっとシステムが違うので(調停員が子どものインタビューをする、
調停員はパブリックだったりプライベートだったりする、
調査官はいないが、仲介者とかがいる)
肩書を訳すのがちょっと難しいのですが、
まあ大意としてはこれでいいのでは。

子どもの意見を聞くのは基本的には望ましいことだけど、
注意せねばならないこととして、
  • 子どもは必ずしも本心を述べない
  • 子どもに余計なダメージを与えてはいけない

また調停員(日本なら調査官の仕事)は
  • 子どもの置かれた状況を配慮する
  • 子どもの心理について十分な知識と訓練
  • ダメだとおもったら手を出さない
  • 間接的に子どものニーズを調べる技術
を持っていることが求められています。
うちの家裁はダメダメだわ、こりゃ。

ちなみにPASという言葉はでてきません。でも内容を示唆してはいる。
そういう場合には参加させないで、治療をさせろと書いてありますな。

翻訳:子どもを意思決定者にしてはいけない

子どもたちを意思決定者にすることなしに、意思決定に子どもたちを関与させる


キャロル•ブラウン博士
オーストラリア家庭裁判所 裁判所カウンセリング 主席ディレクター
この論文は家裁・地裁協会北西部地域会議(1995年11月2-4日・スカメニアロッジ)で発表された。

別居と離婚の子供への影響は、広範囲でかつ強力である。1983年にアメリカで生まれた子供の59-60%が、17歳に達する前に、ひとり親世帯を経験すると予測されている(ワイツマン、1985)。子どもから親が引き離されることによる短期のストレスと、長期の影響の可能性に加えて、別居を取り巻く事象がまた重要になっている。

ほとんどの法律・法令または慣習法は、子どもの福祉・良い適応・最善の利益を、子どもたちの将来に影響を与える決定に際しての最重要な事項とみなしている。同様に、子供たちの願いもまた尊重されており、子どもの年齢や状況に応じて適切な重みが与えられる。これらの要因を考慮しながら意思決定を行う際、裁判所を支援することは、親権評価者の領域である。どの評価者も子どもの要求、愛着、願いを調査して裁判所へ報告するだろうし、どの裁判官もそうした要素を考慮するだろう。訴訟では、子どもの発達と家族関係のダイナミクスに詳しい専門家が子どもをインタビューして調査する。そのため、子どもに試行をする事件ではとても、たぶん行き過ぎるくらい、子どもは意思決定プロセスに関与することになる。

しかし、監護権・面会交流の事件の90-95%は調停や和解で解決し、ほとんど裁判に持ち込まれることはない(例えばPaquin, 1988を参照)。その膨大な数にもかかわらず、裁判所外で解決する場合には調停員ないし仲介者が関与することになる。つまり、イギリス、オーストラリア、カナダ、米国では、子どもたち は意思決定プロセスに関与しているとは考えにくい(Garwood, 1989; Meggs, 1993; Wallerstein, 1987)。そこで、子どもぬきになされる決定が、子どもの感情的・物理的適応に影響することになる。しかも、その決定は、別居と離婚に際して自分と子どものニーズが違うのだということを忘れがちな両親によってなされる (Wallerstein and Kelly, 1980)。

次の仮定――親が子供たちのために安全に話せること、子どもとの接点がない調停員や仲介者が子供の利益を保護するために介入できること――はきちんと検証されるべきだ。両親が通常の保護能力を減少させていること、また子どもが両親の別居について罪悪感、見捨てられる不安、和解への淡い期待、などをかんじていることを考えると、子どもを別居や離婚にまつわるプロセスに参加させることを真剣に考慮する必要がある。

子供たちは調停や調停に関与すべきか?


調停や和解に子どもたちを参加させることの議論は続いている。Emery (1994, p.137) は監護権争いの過程で子供たちがするべき役割を「だれかが調停、訴訟や、両親のそれぞれの弁護士間での裁判所外の交渉のいずれかを考えているかどうかという議論をよぶ問題」とまとめている。彼は、子どもたちは意思決定にかかわる権利を得るのではなくむしろ、彼らの親が合意に至らなかった何かを決定する責任を押し付けられることを示唆している。彼はさらに、調停にこめられる暗黙的および明示的なメッセージは、自分の子にたいしての決定をする親の権利でも責任でもあると主張する。このため、彼はめったに子ども、継親、祖父母を参加させない。しかし、本論文の主張は、調停や和解で子ども、継親、祖父母は意思決定者の地位に置く必要はなく、また置くべきではないということだ。

調停や調停に子どもを参加させることへの賛否両論


子どもを調停に参加させることには多くの利点と難点があるが、最も基本的なことは調停員の理論的方向性である。Saposnek(1991年、P 325)が指摘している:
「親権調停員にはいろいろなタイプがあります:ひとつの極端では、調停員の役割は2親間の交渉の中立な仲介者ないしネゴシエータだと信じ、別の極端ではその役割が子どもの強力な擁護者にあると信じています。」
調停員はまた、子どもの権利に反する親の権利と責任をどこまで重視するかで、大きく異なる。Saposnek(1991)はまた、これらの概念をどう法令や法律に盛り込むか、そしてどう施行するかには文化の違いが影響すると主張する。彼はまた、言われていることと現実に起こることの間にも、しばしば不一致があると指摘する。つまり、子どもの権利を強調するこれら文化圏の調停者や意思決定者は、親よりもより多くの権利を子どもが持つべきだとは、必ずしも考えていない。だから、法律・特定の文化・哲学とは関係なく、子どもたちが参加することに関して意見の違いがあろうことは想像に難くないし、実際に違いはあるのだ。

子どもたちはめったに調停に参加すべきでないと主張する人々もいる。例えば、MarlowとSauber, 1990; Emery, 1994; Meggs, 1993によると
  • 意思決定――親には決定できない――の責任を子どもに負わせる
  • 親の権利と責任を侵食し、親の権威を損なう
  • 子どもを強者の座につかせることで、親子関係が壊れる
  • 忠誠心を二分しているだろう子どもに、更なるストレスを与える
  • 失望した親からの報復というリスクを与える
  • 親の葛藤に、さらに子を巻き込む
  • 調停員は、子どもの発達や家族のダイナミクスについての十分な知識や訓練や、離婚が子どもに及ぼす影響について適切な知識を欠くかもしれない。その意味において子どもの行動、主張、志向を解釈するのに不適格かもしれない。
調停に参加させるべきだという意見では (たとえば, Saposnek, 1983; Drapkin and Bienenfeld, 1985; Hodges, 1986, Wallerstein, 1987 and Garwood, 1989 and 1990)、次の理由を挙げる。
  • 親の焦点を、子どものニーズに維持することに役立つ
  • 子供たちは何が起こっているかを知る権利がある
  • 子供を調査した調停員は、子供の利益のために働き、能力をおとしている親のかわりに子供を守ることができる
  • 子どもたちは自分たちの感情を中立な第三者に伝えてプッシュすることができる、得にその第三者が親にその感情を伝えることに消極的である場合には
  • 調停員は離婚について、子供の恐怖や不安を軽減し、それらによる罪悪感に対処することができる
  • 子どもたちが親の別居について議論する機会を与えられれば、子供たちは自分の感情が重要であり、話を聞いてもらっているという感覚を得る
  • 親は子からのインプットがなくても交渉することができるかもしれないが、これは子供のニーズ・愛着・望みを反映するとは限らない。だから、子供が合意を検証することは、それがうまくいくであろう可能性を向上させる
  • 親どうしや親と子どもの間のコミュニケーションを開けておくのに役立つ。/li>
  • 親が、継続的な紛争の子どもへの影響を理解することができない場合、これは調停員か、調停員にたすけられながら子供自身が、親に伝えることができる

調停や調停に、どの程度まで子どもを関与させるのか


調停での子供からの発言は、もし認められたとしても、多くの場合、間接的なものである。離婚過程における児童の参加についてのある調査では、カリフォルニアの郡の家庭裁判所でおこなわれた32すべてのケースで、子供たちは親の選択について直接に質問することは許されなかった(DrapkinとBienenfeld、1985)。Paquin (1988)は調停に子供を参加させたとき、関係者は情報を得るための方法論をつくろうと試みていたことを報告している;幼い子供たちのためには相互作用的な情報の詳細を、より子どもの人格が完成に近づくにつれてより直接な質問ができるような。

パキンが調査した調停員は、これまでにダイレクトに子どもに、子どもがどちらの親をを選びたいか述べさせたことがあるかどうかについて、ほぼ半分ずつに答えが割れた。そこで彼は、以下の観察を行った。
「最も興味深いのは、このトピックに対する意見の隔たりです。ある人々がダイレクトに聞くべきだと信じているのに、別の人々は激しく、それに反対しています。ダイレクト派の人は、間接的な手法で得られた情報の信頼性に疑問を呈しました。多くの人が、すでに大きなストレスにさらされている子どもにとって、これがどれだけ微妙な問題かを指摘しています。これらの人たちは、ダイレクトな質問は、すでに脆弱になっている子どもたちをさらに動揺させると信じています。」(同書頁p.80)。
Paquinのもう一つの興味深い発見は、子供を参加させるべきだという、いちばん尤もらしい理由であった。
  • 就学前や就学者、前思春期の主張の無視
  • 両親は非常に高葛藤だった、ないし調停は行き詰まっていた
  • 思春期の子どもで、親が、子どもの感情やニーズに合意できなかった場合。

エジンバラ、イギリスで行われた研究では、子どもたちは19%のみがインタビューされていた(7%が両親からの要請、調停者の提案が6%、4%が両者からの提案、子どもと弁護士からの要求がそれぞれ1%ずつ) Garwood (1989, 1990)。この低い率は、そもそも子どもたちを調停に参加させるという政策をもった機関で行われた研究にもかかわらずの結果である。同様に、Pearson, Thoennes とHodges(1984)による米国での報告によると、調停のわずか25%で、調停員と面会していた。さらに、多くの州での調停サービスについて(※米国では、公的なもの以外にも民営のそうしたサービスが多数ある)調査したPearson, RingとMilne(1983)によると、民営の調停員が子どもに会う率(42.2%)のほうが、公的な調停員の場合(27.5%)の場合よりも高いことがわかった。

さらにGarwood (1990)によると、子どもを参加させる理由のほとんど(53%)は、子供に相談したり意見を聞くためであって、親に論点を絞らせるためというのは1/5(19%)に過ぎなかった。

子供たちをどのように参加させるか


子どもたちが調停や和解プロセスへどう参加するかは、かなり多様である。プロセスの最初から子が含まれていて、それのおかげで両親が子どものニーズに焦点を絞れていると主張する人たちがある。このアプローチの危険性は、地雷原を――地雷を除去せず、埋まっている場所の特定もせずに――横断する行為に例えられよう。

別の方法は、親が合意に達した後で子供に参加させることだ。子供は意思決定に関われないが、結果にコメントすることはでき、必要ならその結果を変更することもできる。

しかし、このアプローチには子どもに、参加して、話を聞いてもらったという実感を与えられないリスクがある。

別の方法として、調停員が調停や和解プロセスの早い段階で子供たちにインタビューし、適切な段階で、子どもの意見、感情や懸念を両親に伝えることもできる。こうすれば、調停員は、子供のニーズを推奨できる。この方法のリスクは、調停員が片方の親の側につき、他方を疎外しているように見えかねないことだ。それゆえに、子どもを参加させる前に、子どもからのインタビューからの情報がどう使われるかを説明し、両方の親からの信頼と協力を得ることが重要だ。

最後の方法は、子どもからのインプットが効果的だとおもわれる問題が生じたとき、定期的に、子どもを参加させることだ。このアプローチのリスクは、子供が問題を調停するか、少なくとも、子ども自身が意思決定を行うかのように感じさせることだ。

Paquin (1988)は調停員に、親と子をいっしょに出席させるかどうか、子どもの年齢を3段階にわけて(就学前・就学年齢・思春期)尋ねた。調停員たちは、就学前の年齢の子どもなら片親ないし両親と面談するだろうけど、就学年齢以上の子どもと両親とは別々に面談しそうな傾向があった。これは、面接官が年少の子供たちと面談するときには、より観察方法に依存すると説明されるようだ。

参加に関して子どもたちのコメント


Garwoods調査(1989年、1990年)での、調停での経験についての子供たちのコメントである。28人の子供たちのうち24人が、調停に出席して有益だったと述べ、それらのほとんどは、特に非親権親とコミュニケーションが明らかに改善されたと述べた。一部の子供たちはまた、調停では、彼らの感情をわかっている人が手伝ってくれることで、彼らがどう感じたかを表現できたと述べた。

子どもたちはまた、両親が別居または離婚した、自分の年齢の他の子供たちのグループと会って話ができないかと尋ねた。4分の3はこのアイデアを歓迎し、残りはわからないか、あまり気が進まなかった。

注意を必要としたことが、でも、いくつかあった。例えば、インタビューをうけた子供たちの何人かは、事前に形式についてもっと知らせてほしかったと述べた。彼らは、彼らが緊張していた、それは何が起きるのかを教えてくれていなかったからでもあると述べた。彼らは、準備するために事前に、どちらの・あるいは両方の親が会議に出席するのか、別々なのか、それとも他の家族と一緒なのかを知らせておいてほしかったと言った。

年少の子供たちの何人かは、調停者が言っていたことを必ずしも理解していなかったと述べた。これは、子供を扱うときに使用する言語と概念の選択についての明確なメッセージだ。

どうしたら子供たちを、彼らにを最終的な決定者にすることなく、意思決定のプロセスに参加させられるだろうか


調停プロセスへ子供を参加させる前に、調停員は、以下を自問自答せねばならない。
  • 私は子供たちと仕事をするスキルと適切な知識を持っているか? そうだとして、私は子供と快適に仕事できるか?  
  • 私の目的は、共同子育てのプランの作成、ないし両親との合意ができるようにすることか?  
  • 子どもの関与は、目的の達成に役立つか?  
  • 両親は、子供の参加で得た情報を建設的に使用するだろうか?  
  • 子供を参加させることは、子供に何が起きているのかを理解させ、彼/彼女の気持ちや願いが重要であることを感じるようにするために役立つだろうか? 

これらの質問のどれか一つでも答えがノーであれば、子を参加させてはならない。第2の質問に対する答えがノーで、それが家族のだれかが治療を必要としていることは明らかであったからなら、別の戦略を採用する必要があるだろう。

また子供を参加させると決めたのなら、調停員はこれを自問すべき。
  • 私はこの子について何を知ることができる?
  • 必要な情報を得るための最良の方法は何?
  • 子どもは自分の気持ちを話せるだけ成長している?
  • 私の質問への答えにかんしてどの程度の重さをあたえる? ないし、自分自身で突然に話したことをどの程度重視する?

ほとんどの調停員は3-4歳よりも小さい子を参加させようとはしない(Drapkin and Bienenfeld, 1985; Hodges, 1986; Garwood, 1989)。子供を参加させる適切な方法は、子どもの年齢によって違う。幼い子どものニーズ、愛着や望みを聞くためには、ほとんどの面接官は間接的な方法を使う:遊ぶ、「私の家族」の絵を描く、「3つのお願い」を聞く、投射テストなど。それ以上の年齢の、思春期の子どもたちには、自分たちの興味、ニーズ、好き嫌いに関する質問を直接的に受け止めることができる。子どもに「どちらの親と居たいか」という選択を、直接に意識させてはいけない。もし彼らが(※どちらかの親から何かを)申し入れられているときは、子どもの発言の真意を、発言が以下のどの状況下でなされたのかを考えた上で、注意深く解釈せねばならない。
  • 子どもの年齢と発達段階:認知的、感情的の両面で
  • 子どもの、どちらか・両方の・親への依存度
  • 別居前の親との関係と、それが別居後にどう変化したか
  • 家族間の葛藤のレベルと、これが子供の発言に与えるレベル
  • 子どもが、良好な関係を持っていたかもしれない親を非難しているかどうか
  • 「どちらと居たいか」が表明されるときの一般的な状況。

調停に来る時点ですでに、子どもたちは親から「自分の側に」味方して、そちらと共に居たいと言うように求められていて、その圧力を感じているはずだ。両方の親から取りつかれている子どもは、どちら側につくかを表明しがたくなり、多くの場合、質問されることを避ける。親からの罰や報復を恐れている子どもも、自分がどちらにつくのかという直接的な質問には答えがたい。これらのシナリオまたは類似のシナリオのいずれかに直面した調停員は、注意が必要である。DrapkinとBienenfeld(1985)、 Hodges (1986)、 Brown (1994)は、このような状況を警告した。(調停員ではなくて)親権評価者にたいしてのコメントではあるが、Brownは、自身と家族について聞く際に、子どもたちが快適に感じる限界を越えて、子どもたちに圧力をかけてはいけないと警告した:
「自らの認識や願いを語りたがらない子どもを前にして、彼らが快適だと思うゾーンを超えて彼らの親や彼らの境遇について話すように子どもを励ますことは、評価者にとってしばしば抗しがたい誘惑です。しかしこの誘惑は、どんな代償を払っても退けるべきです。なぜなら、すでに心に傷を負った子供に、さらに過度のストレスを与える原因となるからです。この情報は、他にもさまざまな方法で得られます。観察、テスト、より直接的でない質問:それも、子供がやりたがる活動についての質問。それをどちらの親とやりたいか、ではなく。」(p.458)。
同じ理由から、多くの著者が、子どもの言葉は文字通り解釈すべきでないと示唆している(Hodges, 1986; Paquin, 1988; Brown, 1993)。Paquin(同 上のp.308)は、調停の部外者から、子どもが強制されたり復讐されたりする可能性を指摘し、それが調停員が両方の側と、子どもを批判したり罰したりし ないように話をつけておくこと、そしてそうした態度がいかに子どもを傷つけるかをオープンに議論することで、減らせるかもしれないと述べた。

調停員はまた、子どもの証言をそうした方法で「翻訳」することに精通し、敏感でなければいけない;家族の動的関係からの支配力に応じて、調停員の介入を適切に加減しながら。

子供の参加を決めた調停員には、考慮すべき追加のガイドラインがある。子どもたちは、非現実的な期待と不安を避けるために、なぜ調停員と会っているかの説明が必要である。それは子どもたちが、これから起きるだろう事態を知るのにも役立つ。意思決定者の位置に子供を置かない、または少なくとも子供の負担を減らする1つの方法は、調停に参加する目的を子どもに説明することである。簡単な説明、「調停員は、どちらの親と暮らすのか、いつ別の親に会うのかを、親たちが決定するのを手伝うように依頼されています」が役立つだろう。それは親が決めなければならない、子どもたちではない、ということを強調すべきだ。

こういう方法で子どもと接するのは、子どもの信頼を得る上でも、子供がおそらく感じているストレスや不安のレベルを上ないためにも、重要だ。子どもの年齢に応じて、調停に先立って、まず期日に何が行われるのかをパンフレット、手紙、および/または説明で知らせることが、最初のステップとして役立つ。しかし、セッションの最初の部分は、子どもを安心させること、その子供について知ることがたいへん重要である。家族の問題や親の紛争を取り巻く出来事ではない。子供の印象を得ること、子どもと信頼関係を結ぶことは、子どもがなぜある考えに至ったかを説明するために良い助けになる。子供を深く知らなければ、誤解が起きやすくなる。

調停員と子の間の契約は、明示的である必要がある。この法分野では、調停員が裁判所にレポートを提供するとき、この契約は説明されねばならず、機密性についてどんな保証もされてはならない。子どもに次のことを指摘すべきである:このような状況下では、当然のことだが、裁判所に提示された情報は親に開示されるだろう。

調停員が裁判所に報告しない法分野については、機密性の程度と範囲が示されるべきである。これは、適時に行われる必要がある。子どもと話しやすい状態なら、プロセスの早い段階で、調停員が機密性について話し合うことができる。あまり話したがらない子どもなら、こうした率直な話し合いは、さらにコミュニケーションを難しくし得る。このような状況では、調停員は最初に簡単に機密性の限界を伝え、子供が微妙な情報を開示し始めたときに、気密性について子供に思い出させるのが賢明だろう。子どもは、調停が終わったあともずっと長い間、調停員の声明の影響を受け続けることを忘れてはいけない。親たちが子どものニーズに応えられない場合には、調停者は、子供を保護する権限を与えられている。これは、状況しだいでは、調停員が子どもに、自分の気持ちを明かすことを積極的に奨めることが不適切になる、ということを意味する。(※たとえば証言によって親から復讐される可能性がある場合は、秘匿させておくべきである。)

物理的な設定や調停員のアプローチも重要である。子供は調停員といて安らげるべきであり、設定は子供を歓迎し、楽しげなものであるべきだ。子どもたちにインタビューする準備も重要だ。箱庭や図(使いふるしていない、欠けたりしていない)が用意され、筆記用具や画材は手元にあり、全ての試験機材が整頓され、使用可能な状態であるべきだ。これは子どもに目的意識を伝え、セッションの重要性を示すことにつながる。とり散らかったインタビューやセッションは、その反対を伝えるリスクがある。

子どもが親と共に参加する計画のときは、親の行動にガイドラインと制限を設定する必要があるだろう、親の子育てのスキルや、どの程度に自分たちのニーズを抑えておけるかにもよるが。セッションの開始に先立ってそうした能力は調査され、そのガイドラインについて交渉されていなければならないだろう。

家族の中に複数の子がいる場合、通常、別々にインタビューするのが適切である、一緒にやる・一緒にやることを含める、よりも。これは、自分のニーズが他の兄弟のニーズとは独立して、尊重されることを、その子どもに示すことになる。また、支配的な兄弟の影響を小さくする。

ほとんどの調停者は、最も困難なケースは、どちらかの親、あるいは両親やその弁護士が、戦略的な目的のために子どもを参加させようとしているときだということに同意するだろう。これはその事件を、子どもによる裁判にしてしまうのと等しい。

このような状況下では、ほとんどの調停員は調停のプロセスに子どもを参加させることをやめ、子どもの声を伝えるための、もっと子どもに安全な方法を探す。しばしば、熟練した子供の気持ちの「翻訳」でさえ、親の失望から子供を保護することはできない。子どもたちは両親の怒りや不満から身を守るために、調停員との会談でも嘘をつく必要がある。

子供とグループワーク ―― 小児向けの別法


子どもが、家族内の葛藤や両親の離婚にかんしての気持ちをフィードバックする方法として、断然に、もっとも恐ろしくないやりかたが、グループでの方法だ。これはJohnston とCampbellが創始し、著書(離婚の閉塞、1988)で紹介した方法である。Johnston とCampbellのグループ閉塞モデルは、親たちのグループに添って走っている子どもらのグループのなかで、子どもがどのように参加したらいいだろうかという例である。慎重に子供と親の両方のグループを準備した後、3つのすべてのグループ(2つの親グループと1つの子どもたちのグループ)をいっしょにする。合同のセッションの間、子供たちは、物語を読んだり、あるいはあらかじめ用意したビデオを見せたり、ロールプレイをしたり、詩の暗唱、人形劇をみせたりして、両親に自分のメッセージを伝える。このようにして、個々の子どものメッセージは、自分自身と仲間の代表から、すべての親へと匿名性のもとに提示される。

要約

「子どもたちが、自身の生活の中で何が起こりつつあるかをよりよく理解できるように、子どもたちを参加させる」ということと、「子どもが置かれている立場がど んなものかをわかっている誰か(自分の考えに固執するあまり互いの違いを解決できない両親に変わる意思決定者、ないし同点決着者に、子どもをしてしまうこ とに反対するがために、子供を調停に参加させることに反対する)に、子どもが自身の考えを表明すること」との間には、かなり大きな隔たりがある。いまこの論文で擁護しているのは、どちらかといえば前者だ。しかしながら、突き詰めていえば調停者は、子供のための最善の結果を得るためという原則に従わねばならない。これは簡単な作業ではない、また確固としたガイドラインもない:それぞれのケースごとに、子どもへの短期的・長期的な影響から評価せねばならない。子どもが何人かいて、それぞれ違う望みを持っているとき、作業はさらに複雑になる。Paquin (1988)が指摘するように:
子どもを、いま以上の争いにさらしたくないというのは自然な願いです。し かしながら、もし子どもを参加させることで親を自分自身の不正から引き離し、子どもを助けるという本来の目的に引き戻すことで、親たちの行き詰まりを解消 できるのであれば、少しの間、子どもを紛争にさらすことで、公平な合意と、その先の紛争を減少することで、長期にわたって報われるでしょう(p.71)。
重要な点は、いま子供に苦痛や不安を与えることになっても、その後でずっと長期にわたって報われるという良い見通しがなければならないことだ。

参考資料

Marlow, L. and Sauber, S.R. The Handbook of Divorce Mediation. New York: Plenum Press, 1990.

Meggs, G. Issues in divorce mediation methodology and ethics. Australian DisputeResolution Journal, August, pp. 198-209, 1993.

Paquin, G. Protecting the interests of children in divorce mediation. Journal of Family Law, University of Louisville School of Law, Vol. 26 No. 2, pp. 279-315, 1987-88.

Paquin, G. The child's input in the mediation process: Promoting the best interests of the child. Mediation Quarterly, No. 22, pp. 69-81, 1988.

Pearson, J., Ring, M.L. and Milne, A. A Portrait of divorce mediation services in the public and private sector. Conciliation Courts Review, Vol. 21, Number 1, pp. 1-24, 1983.

Pearson, J., Thoennes, N. and Hodges, W.F. The effects of divorce mediation in the public and private sector. In J. Pearson and N. Thoennes (Eds.) Final Report of the Divorce

Mediation Project. Washington DC: The Children's Bureau, Administration for Children, Youth and Families, U.S. Department of Health and Human Services, 1984

Saposnek, D.T. The value of children in mediation: a cross cultural perspective. Mediation Quarterly, Vol. 8 No. 4, pp. 325-342, 1991.

Taylor, L. and Adelman, H.S. Facilitating children's participation in decisions that affect them: From concept to practice. Journal of Clinical Child Psychology, Vol. 15, No. 4, pp. 346-351, 1986.

Wallerstein, J.S. Psychodynamic perspectives on family mediation. Mediation Quarterly, No. 14/15, pp. 7-21, 1986/87.

Wallerstein, J.S. and Kelly, J.B. Surviving the Breakup: How Children and Parents Survive the Divorce. New York: Basic Books, 1980.

Weitzman, L. The Divorce Revolution, 1985. Cited by Paquin, 1987/88.

ウォラースタイン先生からちょっと引用:未知の領域に踏み出した社会

現在の状況は、人類史上に前例がないくらい酷いのでは

「セカンド・チャンス」 ジュディス・S・ウォラースタイン、サンドラ・ブレイクスリー 共著
高橋早苗 訳  草思社 1997年

最終章から、ちょっと長い引用をします。
ウォラースタインは離婚後の家族がどうなるのか、
長期にわたる影響について定量的な調査をした研究者・実務家で、
(これは米国の立法・司法の哲学の基盤になってる仕事)
この本は彼女のベストセラーのひとつ。実例をあげて説明してます。
いい本。
ちなみに彼女はPASや洗脳という見方をしなかったのだけど、まあそれはいいとして。

著者はこの最終章で、研究をふりかえって、総括しているのですが、
高名な文化人類学者のミード博士との会話を紹介しているのです。
とても興味深い。

アメリカ社会は、従来とはまったく異なる
未知の方向に向かって根本から変化しはじめているのだ。

このような変化について思いめぐらしていると、
1972年に人類学者のマーガレット・ミードと話したときのことを思い出す。
調査を始めたころに、
離婚家庭の子どもがどれほど悩んでいるかを知って動揺したわたしは、
真夜中のサンフランシスコ空港で彼女と会う約束をした。
彼女は、それが最後となったニューギニアへの旅の途中で、
出発時刻までの七時間ほどをいっしょに過ごしてくれた。
彼女もこの調査結果に貰いて、こう言った。

「ジュディ、人々が共同体からの大きな圧力を受けずに
結婚生活を続けている社会は世界中のどこにもないのよ。
あなたがこれからどんな発見をするか、だれにも予測できないと思うわ」

彼女の言葉を思い出すたびに痛感するのは、
人は、わずかここ20年ほどのあいだにみずからの手でつくりあげてきた世界
――結婚生活を好きなときに自由に終わらせることができる、
人類史上かつてなかった世界――
について、実際にはほとんど何も知らずにいるということである。

家裁の不作為(と弁護士たちのあいのり)で、
一人の親が、好きなときに子どもを支配して連れ去り、
そのまま自分の我を押し通すことができる社会になってしまいました。
この変化は、わずか10年でおきています。

その子どもは保護されるか? 
多くの母子家庭が貧困にあるのはご存知のとおり。法律が成立したくらい。
児相も、裁判所には口を出しません。
行政は責任を引き受けない・ないし、引き受ける能力がない。
連れ去ったものだけが全ての鍵を握っている。

こういう社会が実現したのは、今までになかったのでは。

全ての元凶は日本の司法にあるのでは?

というところにたどり着きつつあります。

連れ去り・引き離しが頻発するようになったのはここ10年らしい。
DVを訴えれば行政は司法ぬきでも動き、そこに司法は介入しない(姿勢をとってきた)。
むしろ、連れ去った側の親に全ての権利を与える判決を下してきた。

この状況を知っていれば、弁護士ならだれでも、
このスキームを利用するだろう。

それは非難しがたい。

だって裁判所がかならずそういう判断をするんだから。
クライアントの意志を尊重すれば、まあ、使うよな。
私がその立場にいれば、たぶんそうすると思う。

どこに間違いの根本があるか? それは、家裁が、

・個々のケースを精査しなかった
・(間違った・不正義な)前例を踏襲することに躊躇がなかった
・あまりにも不勉強だったか、勉強したことを反映してこなかった

ではその根本原因はなにか?

・一度下した判断の誤りを認めないから

なぜそういう不誠実な態度をとるか?

・誤りを認めると権威が保てないから   ではないか?

司法には権威が必要です。誰にも尊敬されない、相手にされない司法なら、
決定に誰もしたがってくれない。それだと社会が治まらない。

権威を持たせるための方法はいくつもあることでしょう。
私なら、たとえば事実を述べる人を尊重します。
他のだれも到達できなかった事実に辿り着いた人を、とても尊敬します。
しかし、現時点では、裁判所は「事実」にはあまり興味がないらしい。

もしかして、「俺達は権威だから偉いのだ。だから従え」
というスキームで動いていないか。

さて、この状況をどうしたらいいのかな。
ガイアツに頼ろうかな? これも英文にすべきか?


さらに、なんでお白州でいたり、起訴されたらほぼ必ず有罪になったりするのか?
それは、人と金がないからでは。

真実を追求するには、人も金もかかる。
裁判所は、こういっちゃなんだけど、貧しい組織です。
清貧という限度を超えてるとおもう。
人材にも乏しいんじゃないか。
皆さん、事件を抱えまくっていますよ。

彼らにしてみたら、その状況下で、
自分たちで独自の真実にたどりつくことはできないから、
前例や、検察のいうことに従うんじゃないか。
予算を握られていたら、行政には口を出せないしな。

2014年4月15日火曜日

DSM5でのPASと、精神的虐待としての扱い

以前の記事にあった誤訳を修正したバージョンです。

DSM5でのPASと、精神的虐待としての扱い:どんな名前で呼ばれようとも薔薇は薔薇


リンダ・カセ-ゴットリーブ(公認の結婚と家族のセラピスト・医療ソーシャルワーカー)  (出典)

片親疎外症候群(PAS)という現象が本当にあるのかどうかという論争が、長く続いていた。アメリカ心理学会によって新しく策定された「精神障害の診断と統計の手引き 第5版(DSM-5)」は、この論争を解決している。DSM-5は、とても有害なこの現象を紹介したが、「症候群」という表現を避けた。私もこれにならおうと思う。そのかわりここでは、リチャード・ガードナー(1985年に「片親疎外症候群」という呼称を提唱した)よりずっと以前、1950年代から報告されている、ある家族動態について紹介する。

ここでは片親疎外(PA)という言葉を、観察可能な下記の行為をさして使う;つまり、「片方の親が子どもを囲い込んで、他方の親に逆らい拒絶するように仕向けること」。この行為は、もちろん別の言葉で表すこともできる。たとえば、「片方の親による、他方の親と子どもとの関係への干渉」でも、「敵対的な育児」でも、「自己中心的な育児」でも、「病的な三角関係」でもいいだろう。薔薇は、どう呼ばれようと、薔薇だ。  

片方の親が子供を囲い込む行為

ここで、「病的な三角関係」という用語の起源と、それが片親疎外とどう関連するのかについて説明したい。

1950年台のこと、小児精神科医たち(彼らはそれぞれ、様々な家族療法の創始者になった)が、入院中の小児精神病患者に家族同伴でカウンセリングをするとき、一方の親と子どもとの間で、他方の親を攻撃する同盟関係が結ばれる現象をみつけた。この際、親同士で議論になったとき自分に味方するように、片方の親から子どもへ要求していたことが観察・記録された。これら精神科医の一人、マレー・ボーエン博士が、この家族の状態に「病的な三角関係」と命名した;ボーエン博士は、これが子どもの精神病の原因だと確信し、子どもだけでなく父母も同時に入院させたほどである。こうして得られた観察結果は、あらゆる家族セラピーの哲学的な基盤になっている。ちなみに私の恩師である小児精神科の権威、サルバドール・ミニューチンも、こうした医師たちの一人だ。

自分に味方をしろという要求のもとでは、子どもはどちらかの親を選ばねばならない。だからこの要求は、子どもにダブル・バインド(二重拘束)をかけることになる。子どもには両方の親を選ぶという選択肢がない:もし自分を引きこもうとする親の側についたら、他方の親を避けねばならない。もし断れば、引き込み親に拒絶される。要求をされた時点で、両親とともにあることができる選択肢は消失してしまう。子供にとって、これは気をおかしくさせる状況だ。

上記の「病的な三角関係」は、片親疎外という現象を、行為から考えた際の特徴である。この現象に関する拙著(2012年)の中で、片親疎外の被害にあった51人の子ども(なかには、疎外が進行して深刻な段階になった――親子が完全に断絶したことを意味する――ことが原因となり、重い精神病を罹患したケースがいくつか含まれている)を紹介した。しかしもっと軽い程度の疎外でも、行動、情緒、そして認知の障害に悩まされるものである。この本には載せなかったが、私は少なくともさらに150人の子どもを診てきた。彼らは片親と関係を持てなくなったり切り離されたりしたことによって、なんらかの深刻な症状に苦しめされていた。

DSM-5に記載された現象

最近出版されたDSM-5は、この現象が存在することを認め、科学的な裏付けのある記述をしている――ただし、「片親疎外症候群」や「片親疎外」とは異なる用語を用いて。実際のところ、DSM-5では “estrangement”(疎隔・疎遠・離反)という用語を使いながら、この機能不全な家庭の状態について、何度も言及している(ちなみに類義語辞典によるとestrangementはalienation(疎外)の同義語である)。以下に挙げる「親子関係の問題」がDSM-5におけるこの家族動態の正式名称で、それは同名のカテゴリーのなかで、診断コードV.61.20としてリストされている。こうした親子関係の問題の一例として、DSM-5ではこんな議論がなされている:
「認知上の問題は、相手の行為をいつも否定的な意図を持つものとして曲解すること、相手に敵対すること、相手をスケープゴートにすること、正当な理由なく相手を疎遠にしたくなる気分、が含まれるだろう」(P. 715.)
同様に、「親子関係の問題」のカテゴリーに、コードV61.29“親どうしの関係による苦悩に影響された子ども”がある。DSM-5ではこの家族動態を次のように議論している。
「このカテゴリーは、親どうしの(その家族の)子供にたいしての不一致(たとえば高いレベルの葛藤、苦悩、非難)が生む悪い影響が、臨床上の焦点になっているものである。その影響としては子どもの精神的・または他の医学的な障害を含む。」(P. 716.)
また疎外を調査するの注意点として、心理学者でハーバード出身の法律家でもあるクリストファー・バーデン博士の次の言葉を引用したい
「子どもたちへの親の影響は、議論の余地がないくらい強い。」(P. 420)
バーデン博士が強調したのは、子どもたちの標的親への繰り返す・悪意ある・根拠がない攻撃には、子どもの自身の意見としての信憑性を認めるわけにはいかないということだ。なぜなら、子どもは、引き離している親による洗脳のことばを、腹話術人形のように真似しているだけだからだ。

DSM-5はさらに疎外の家族動態(ないし私がよく使う「病的な三角関係」)を、精神的な児童虐待としても調べている。DSM-5から、診断コード995.51「子どもの精神的虐待」を引用しよう。
「子どもの精神的虐待は、両親ないし世話をする人による、事故ではない口頭ないし象徴的な行為で、子どもの精神を傷つけたり傷つける可能性が予見できる行為のことである。この例としては、子どもを容赦なく叱りつける、軽視する、屈辱を与えること、子どもが気にかけている人や物を傷つける・捨てる――ないし特定の誰かが傷つける・捨てるとほのめかすことも、これに含まれる。」(P. 719.)
私は2012年に上梓した「片親疎外症候群:改善のための家族療法と共同システム」のなかに一つの章を割き、なぜ引き離しが子どもの精神虐待になるのかについて解説した。またこの問題に詳しい何人もの専門家の意見として、なぜ疎外が深刻な児童虐待であるかを紹介した。

小児精神医学の専門家の意見

スタンレイ・クレイワー博士とブライン・リヴリン(公認のソーシャルワーカー)による1991年の著書「人質にとられた子どもたち:プログラム・洗脳された子どもたちへの取り組み(アメリカ法曹協会)」のなかでは、以下が言明されている。
「ちゃんとした家庭だけでなく片方の親をも失うことは、ずっと将来にわたる生活のあらゆる面にひどい損害を引き起こしながら、子どもに重くのしかかる。片親から恒久的に引き離された監護権争いの犠牲者の多くは、大人になっても、引き離された親とつながっていたいと切望する。しかし失われたものは戻らない。子どもの時間は取り返せない。いっしょに過ごしたという感覚、親密さ、価値観とモラルへの関与、自信、自分史、愛、親戚との関係、その他多くのものが永遠に失われる。そんなみじめで大きな損失から自分自身を守れる子どもはいない(P. 105.)。」

ジャイン・メイジャー博士(2006)は次のように述べている。
「PAS(疎外)は子どもの感情にたいしてもっとも重大な類の虐待であるので、心の傷は残るし、正常な発達のための機会を失うことになる。子どもたちもまた疎外をする大人に育つリスクがある。そうした疎外親のやることから学んで、それを真似るからだ(P. 285.)。」

グレン・カートライト博士 (2006)は次のように解説している。
もっとも恐ろしいPAS(疎外)の結末は、子どもが片親と完全に分断さてしまうことだ。さらに忌むべきことに、これは意図的に、悪意をもって、引き起こされるのだ、避けようとおもえば避けられるにもかかわらず。  このひどい児童虐待は、すべての関係者に、長期にわたって影響する (P. 286)。

クレイグ・エリオット博士 (2006)は疎外の家族動態を次のように説明する。
「これは「邪悪」ないし「親毒」による破壊的な家族病理である。かつてその子を守り世話をした親が、その子を傷つける側にまわってしまう。」(P. 228.)

実務家たちの言葉

以下、この家族動態がどう児童虐待になるのかを調査している、私の同僚や共同研究者たちの言葉を紹介したい。

エイミー J. L. ベイカー博士は発達心理学の学位をもち、幼児の社会的・情緒的な発達を専門にしている。彼女はNew York Foundling(孤児や被虐待児のための総合的な保護施設)のヴィンセント・J・フォンタナ児童保護センターで、研究部門のディレクターを務めている。彼女は、子どものころPASであった成人を対象にした定性的研究を指揮した。また少なくとも2つ、標準試験を用いる大規模な調査研究を指揮した。また一方の親が他方の親と子どもとの関係を疎外した事例をいくつも調査した。また監護権の調査員の調査をした。彼女自身も、PASの影響についての調査員として、法廷でも広く信頼されている。彼女は2007年の著書「片親疎外症候群の子供が成人になると(Adult Children of Parental Alienation Syndrome)」のなかで、成人になった子どもたちについて、次のようにまとめている。

「調査対照の65%は、低い自尊心に悩まされている;70%は、引き離された親から愛されていないという思い込みと、ずっと引き離されていることに起因する抑うつに悩んだことがある;35%は痛みと喪失を紛らわすために薬物乱用になった;40%は自分自身や人間関係を信頼できない、なぜならその信頼を親が壊したからだ;50%は自分自身が自分の子から引き離されるという悲劇を繰り返している(PP. 180–191.)。」


レイモンド・ハブリチェック博士は法廷での仕事も診療も行う心理学者で、American Board of Professional Psychologyの外交員であり、American Academy of Clinical Psychologyの会員である。ニューヨークのParent Coordinator Associationの創設者の1人である。彼はニューヨーク州の高等・家庭裁判所における数百の子どもの養育調査をこなし、州の児童保護サービス部門の外部評価を引き受けている。またニューヨーク州北部地区の裁判官のために、子どもの養育と片親疎外を学ぶための教育プログラムを策定している。彼の専門は家族の再統合、DVの治療、性的虐待の検証、そして片親疎外の調査と治療である。

彼は私の著書のためのインタビューでこう述べている。
「PAS(疎外)は間違いなく児童虐待である。これはホラーショウだ。子どもへのダメージは甚大だ。片親を失うとき、自分と両親との間で形成されるアイデンティティを自分で壊すことで、自分自身の一部を殺してしまうからだ。この結果、子どもは自傷傾向をもつようになる。以下のような、自分で自分を傷つけることのあらゆる警告サインと兆候が観察される:悪夢、不安、学校での反抗行動、胃腸障害、成績の低下、不良仲間に影響されやすくなること、少年非行、薬物乱用、抑うつ」(P. 214.)。


バーバラ・バークハード博士は、1999年にジェーン・アンダーソン-ケリー博士とともにニューヨークに児童と家族のためのChild and Family Psychological Servicesを創立した。この組織は、子どもと家族のために、(科学的な)調査研究に基くセラピーを行なっている。またニューヨーク州サフォーク郡の社会福祉課と契約しており、子どもと家族にたいしてのセラピーや、虐待や遺棄が疑われる親の調査を行なっている。またサフォーク郡の最高裁判所と家庭裁判所での、子どもの監護権、宿泊セラピー、家族の再統合のためのセラピー、法医学としての心理学的な意見、リスク評価などを紹介・委託されている。これらの中には、片親疎外のような高葛藤な離婚が含まれる。また性的虐待の検証や、犯罪被害者の子どものセラピーも委託されている。この組織を作る前、バークハード博士もケリー博士も、虐待や遺棄にあった子どもを治療する地域機関で働いていた。

本のためのインタビューで、バークハード博士に片親疎外の子どもへの影響をどう評価しているかを尋ねたところ、次のような答えだった。
「これは最も根深いやりかたでの児童虐待です」(P. 211.)
彼女はさらにこう説明した。彼女の組織は、最初の調査から継続的・経年的に子どもを調べていくので、ずっと経過を知ることができる立場にある。彼女は、子どもが疎外親に同盟を組むように持ちかけられる際に、(不適切な)権限を与えられることを懸念している。彼女は続けて、
「それら子どもたちはルールを守りません。彼らは自制心がなく、下品で、際限がありません。彼らは、やりたいことをやっていいという免状を持っているかのように振る舞います。こうした行いは、引き離された親への敬意の喪失から始まるのでしょう。治療ないし司法による家族の再統合が失敗したあと、疎外させている親本人を含む権威ある大人、学校、そして法などへの敬意を失ったケースを見てきました。こうした再統合が失敗したケースには、子どもが学校をやめたり、薬物中毒になったり、薬物中毒の婚外子を産んだり、その他の反社会的な行動にのめり込んだりする子が何人もいる。もちろんこれは、良い結末とは言えません (P. 212.)。」
これら子どもたちが精神を病んでいく過程を読者にわかりやすく説明するために、バークハード博士は彼らを、普通に育てられた子どもたちと比較してくれた。
「こちらのグループの子どもたちは、強奪され、侮辱され、打ちのめされ、性的虐待にあった、犯罪被害者です。もし彼らが新聞に載るようなことがあれば、彼らは私達のオフィスに送られてくるでしょう、ここは精神的外傷の子どものための組織ですから。それにもかかわらず、PASの子どもの診断と予後の予測に良い方法はありません。PASの子どもはめちゃくちゃです。(P. 212.)」
続けてバークハード博士は、PASの子どもたちがどのようにして精神的虐待の犠牲になっていくかを説明した。
「子ども時代は、責任という感覚を身につける時間です。これは良心を育む時間です。疎外された子どもたちは、この基本的な態度の涵養ができていない。彼らは自身の間違いや不正にたいして誠実に向き合わないどころか、嘘をついたり事実をねじ曲げたりするようにそそのかされていて、他者を貶めるように振る舞います。これらの行為が、引き離している親によってさらに強化されることで、普通なモラルの発達と、普通な他者との関係をつくっていく能力の発達が、蝕まれていくのです。」(P. 212.)

同様にケリー博士も、インタビューを通じて、引き離された子どもが、一生にわたる傷をうけることを説明した。彼女はこう表現する。
「かれらは、どうやって人間関係の問題を解決するかを学びません、なぜなら彼らは一方の親との間の、日々の小さな対立に、全く向き合えないようにされるからです。これは長い目でみて、単純に、健全でないことです。これは子どもにとても悪い影響を与えます。」(P. 212.)
青年期(このころは一般的に、対立への適応力がない)の疎外からのダメージへの取り組みとして、ケリー博士は次のように述べた。
「PASの人が抱える他者との対立は、たいへん解消しにくいです。片方の親から、他方の親をひどく扱うことの許可・承認をもらっていることは、何らかの時点で、子どもが他人と関係を築いていく能力に、とても有害な効果を与えます。」(P. 212.)


著者自身の見解

私は何篇かの論文を書き、調査員として何度も法廷で証言し、自分の著書でひとつの章を割き、なんどもテレビやラジオのインタビューを受け、片親疎外――ないし「病的な三角関係」――がどれほどひどい子どもの精神的虐待なのかを説明してきた。以下は、私がなぜこうした専門家としての意見に至ったかの要約である。

子どもは、親から見捨てられた・愛されていないことに気付けば、可愛がられている実感を得ることができない。必然的に、子どもは、「あらゆる間違った場所で愛を探す」ことになる。

子どもの自己概念は、自身が半分は母、半分は父で構成されているというものだ。もし片親を嫌ったり悪く思ったりすれば、その子は自己嫌悪と、弱い自尊心を持つことになる。これは不可避的に、悪い行動へとつながっていく。

嘘・ごまかし・無礼・攻撃性は、普通の子どもたちでは矯正される。しかし疎外された子どもたちはしばしば、規範や価値観を、文化的な環境から習得する機会を失う。

子どもの判断、知覚、現実検討力、と超自我(良心)が傷つけられた結果、精神病にもなる。

両親を持ち、両親から愛し愛されることができなくなる二重拘束が、精神病の原因になる。

憎悪と怒りが続き、片親を避ているけのは、どんな状況下であっても、健全ではない。

疎外親が思うままに子どもを操り、この最低の行いに子どもを加担させること、それ自体が虐待である。これは健全な家族のあるべき姿の真逆である。 子どもは、ちょっとした失言や行動で、標的親への自身の本当の愛情が露呈してしまうのではないかという恐れとともに、行動することになる。これは、疎外する側の親からのひどい報復を恐れるためである。

子どもは、片親がその子の人生から切断されたことによる抑うつに苦しめられる。この喪失は、もっとも厳しい類のものだ。

多くの場合、子どもは罪の意識にさいなまれる。彼らはある程度、親をひどく扱っていることを気にしているからだ。もし謝罪したいと思うようになったときにその親が消えてしまっていると、その罪悪感は生涯にわたって続くことになる。

片親を失ったことによって子どもに開いた穴は、次のような、でもこれらに限らない、ネガティヴなものによって埋められる:摂食障害、自傷、犯罪、反社会行為、反抗、すべての権威の軽視、認識の歪み、抑うつ、不安神経症、パニック発作、希薄な仲間関係、教育上の問題、薬物依存、人生一般への不快感。

子どもの自我は脅かされる。なぜなら疎外をしむける親は、子どもを、自分とは異なる欲求と感情、意見――とりわけ、もう一人の親にたいしての――をもつ一個の人間として尊重することができないからだ。

つまり、その人生から片親を追いやったままで、子どもは十全ではいられないのだ。

引用文献

American Psychiatric Association. (2013). Diagnostic and statistical manual of mental Disorders (5th ed.). Washington, DC: Author.

Baker, A. (2007). Adult children of parental alienation syndrome. New York, NY: Norton.

Barden, R. C. (2006) Protecting the fundamental rights of children and families: Parental alienation syndrome and family law reform. In R. Gardner, R. Sauber, & L. Lorandos. (Eds.), International handbook of parental alienation syndrome (pp. 419-432). Springfield, IL: Thomas.

Bowen, M. (1971). The use of family theory in clinical practice. In J. Haley (Ed.), Changing families: A family therapy reader (pp. 159-192). New York, NY: Grune & Stratton.

Bowen, M. (1978). Family therapy in clinical practice. New York, NY: Jason Aronson.

Cartwright, G. (2006). Beyond parental alienation syndrome: Reconciling the alienated child and the lost parent. In R. Gardner, R. Sauber, & D. Lorandos (Eds.), International handbook of parental alienation syndrome (pp. 286-291). Springfield, IL: Thomas.

Clawar, S. S., & Rivlin, B. V. (1991). Children held hostage: Dealing with programmed and brainwashed children. Chicago, IL: American Bar Association.

Everett, C. (2006). Family therapy for parental alienation syndrome: Understanding the interlocking pathologies. In R. Gardner, R. Sauber, & D. Lorandos (Eds.), International handbook of parental alienation syndrome (pp. 228-241). Springfield, IL: Thomas.

Gottlieb, L. (2012). The parental alienation syndrome: A family therapy and collaborative systems approach to amelioration (pp. 209-231). Springfield, IL: Thomas.

Gottlieb, L. (2012). The application of structural family therapy to the treatment of parental alienation syndrome. In Baker, A. & Sauber, R. (Eds.), Working with alienated children and their families. New York, NY: Routledge.

Major, Jayne. (2006). Helping clients deal with parental alienation syndrome. In R. Gardner, R. Sauber, & D. Lorandos (Eds.), International handbook of parental alienation syndrome ( pp. 276-285). Springfield, IL: Thomas.

Minuchin, S., with Fishman, C. (1981). Family therapy techniques. Cambridge, MA: Harvard University Press.

Wallerstein, J., & Kelly, J. (1980). Surviving the breakup. New York, NY: Basic Books.

2014年4月14日月曜日

目次 Ver 1.2

資料

翻訳・要約した論文とか。

一般向け解説

  • PAS とDSM5:PASを精神的虐待としてとらえなおす
  • 公認のセラピスト・ソーシャルワーカーとして長い経験をもつ
    カセ-ゴットリーブさんのWEBページの記事を、
    著者本人の了承のもとに翻訳したもの。

    片親疎外は紛れもなく虐待行為の兆候であることを、
    多くの実務家や研究者の証言を交えながら、
    著者の経験をふまえて紹介している。

原著論文と総説

  • 疎外親への対処方法
  • 片親疎外症候群という用語の考案者であるガードナー博士による、
    医療と司法の実務家にむけた提言。

    これが子どもの精神に深刻な悪影響をもつことを紹介し、
    解決には医療と司法の協力が必要であることを解く。
    疾病としての定義、判断基準、症状の進行度による分類表、
    推奨する対応などをコンパクトにまとめてある。

  • 親権事件における洗脳
  • 心理学者であるバーン博士が、司法の実務者にむけて書いた、
    片親疎外という現象の紹介。具体例を出しながら解説。

  • 子どもと家族の基本的人権を守ること
  • 心理学・法学の両学位を有する弁護士であるバーデン博士による、
    立法・司法の実務者にむけた学際的な提言。

    ニセ科学を使う自称「専門家」によって、
    適正な法の執行が乱されている現状を解説。
    また、疎外親の精神に何がおきているのかを解説。

  • Parental Alienation, DSM-5, and ICD-11: Response to Critics
  • バーネット医学博士による、
    片親疎外という概念への疑念や反論にたいしての回答。
    それらは全て誤解であると説明する。

  • 片親疎外とDSM-5
  • バーネット医学博士による、医療の実務者にむけた解説。
    新しく編纂されたDSM5で片親疎外がどう扱われているかを説明。

  • 子どもたちを意思決定者にしてはいけない
    ブラウン博士による、調停に関する子どもへのインタビューの方法の指針。
    オーストラリアで行われている方法の基盤になっているらしい。
    かなり多くのことをクリアできない限り、子どもを巻き込むなというのが骨子。

DSM5で対応する箇所

それぞれ、バーネット論文で一部が引用されている箇所の内容。

裁判・米国との比較

国内事情がけっこう違うところもあり、共通のところもあるかんじ。
違っているけど同じようになってくる可能性もあったり。

違うところ


制度 システム プロセス


・面会交流の頻度・いつから始まる
   米国ではこれは、必ず、すぐに、隔週末プラス週中に1日程度

・家裁(親族法の裁判所)の権限 罰則を与えられるか
    米国では、手法としてはあるらしい。日本ではどうもなさそう。
    ただ、実際にやるかどうかはアメリカでもちょっと疑問。

・裁判所に証人を呼べるか
    もれなく出てくるらしい。調査官にあたる人がいないのかもしれない。
    この質が低いことがかなり問題のようだ。
    トンデモな人も、真面目な人も、そこはビジネスとしてやっている。
    その人達がかき回すので、退場していただくために、科学者を呼べとなっているらしい。
    日本にも、怪しい専門家はいっぱいいるわけで、
    そいつらが法廷に立つようになれば、状況は同じになる。
    時間の問題かもしれない。

考え方

・親の権利が憲法に保証されている人権にあたるものかどうか
       米国ではこれは当然の権利と認められている。30年くらい前から?

・片親疎外に関しての認知
    米国では、ある。それが明らかに行き過ぎたケースもあったらしい。
    だんだん、妥当なところに落ち着いてきている?
     (強硬な反対派もいることはいる。)
     
   日本では、うちの家裁だと、調査官本人は知っている。
    調査官たちのトップは、これに否定的。
    裁判官は、たぶん知らない。


似てるところ


・すごく時間がかかる 何年も その間に状況がかわっていく。

・連れ去るのは母親が多い(らしい。生データを見たことがないながら)。
     ちなみに虐待の加害者は母親のほうが多い(これはデータが出ている)。

・弁護士どうしはあまり争わないし、裁判所とも争いたがらない。
    癒着、とまで言い切っていいかどうかは不明なれど。

・裁判官に、科学的なセンスはない。

・裁判所の不作為。ないし不誠実さ。

面会交流はどの程度役にたつのか?

ぶっちゃけ、月イチでディズニーランドにつれていったって、ダメでしょ。
  こないだ娘たちが会ったときの話を聞いていて、強くそう思った。
  たとえば、叱れるような状況でないと。
  もっと全面的にコミットできないと。
 
  面会交流をしていても、おきるのが片親疎外。
  それではダメだから始まったのが共同親権。
  本のなかに、そのへんの話がいろいろ出てるんだろうなあ。
  斜めに読んでみるかな。

子どもと家族の基本的人権、について

先ほどの記事、著者はかなり珍しい学際のひとで、ハーバードのロースクール出の秀才、
のようです。心理学者で、かつ弁護士でもある。
なかなか、弁護士になろうって学者は、いないと思う。
どっちが先だったのかな。
(後記:Wikiにあった。子どもの心理学が先。これはスゴイ経歴だ。
私より10しか違ってないけど、仕事してるなあ。)


視点が新鮮だったので、急遽、訳してみました。
2つ以上の世界を知っている(専門家として)というのは、
けっこう貴重で、でもどちらにとっても大切な存在なんですよ。
それら世界が独立していればしているほど。
なんていうかな、線が面になって立体になるかんじ。
そのいみで、MD, PhDよりも、心理学と法学のダブルは、よりすごいと思う。
(前者は、研究に専念したくなった医者、というイメージがあるかも。)

そのバーデン博士・弁護士は、基本的には「法廷に科学をとりいれよう」
という主張で、あの文献を書いています。
ここではとくに、日本にも関係しそうなところを訳しました。

ひとつごめんなさいですが、
レファレンス、まだけっこう間違いがのこっているんじゃないかと。
これデジカメでとってOCRなので、イタリック体によわいですよ。
自分の論文ならがんばってなおすんだけど、ちょっと、勘弁。

あと、文中にでてきたPASの影響の長期にわたる調査ですが、
たぶんもう報告が出始めている。
これ2006年の出版だから、最新ではないです。

2014年4月13日日曜日

翻訳:子どもと家族の基本的人権を守ること

子どもと家族の基本的人権を守ること:片親引き離し症候群と家庭法の修正



R. クリストファー・バーデン

概要


法律家、メンタルヘルスと科学のコミュニティは、子どもが監護権訴訟の犠牲にならないように防止する神聖な義務を共有している。児童虐待を積極的に予防・調査・処罰することと、親の基本的人権を守ることは、それぞれ親族法の根本的な目標である。そのような目標を達成するための努力は、偏見より事実、興奮より科学、政治的イデオロギーより理由、にそれぞれ基づかねばならない。親の疎外プロセス――片親引き離し症候群(PAS)を含む――の学際的な分析は、親族法が定める制度がなぜこれほど頻繁に、子供や家族の基本的権利の保護に失敗するのか、その理由を示している。子供への親の影響は、広く認められている現象である。心理学、精神医学および関連分野におけるこの数十年の研究は、大人からの影響力が、子どもの考え、信念、発言、および記憶さえ自在に変えてしまうことを明らかにしている。不適切な動機による法の適用や、低水準な慣行は、疎外プロセスを開始・維持して、家族に深刻な傷を与える。裁判所が偽科学による「専門家」の証言を採用したときも、親の疎外は悪化する。

適任で効果的な親族法の訴訟チームには、科学(臨床家ではない)の専門家が必須である。法制度の改革は大いに、PASと、PASに惹起される事柄の悲劇を減少させるであろう。


片親疎外は親族法の制度上、重要な問題である


文明は何世紀もかけて、費用効率が良く、理にかなった方法を編み出してきた:民法(親族法を除く)、商法、刑法に関しては。これとは対照的に、現在の離婚と監護権にかんする法の多くは、ここ数十年のあいだに急いで作成されており、まだ未熟でしばしば混乱し、いわば開発段階にあるといえる。たとえば(高位の裁判所から)親族法の専門家に示される、家族を取り扱うための指針に、欠陥があったり整合性がとれていなかったりする。また子どもの監護権事件では、信頼すべきでないさまざまな「専門家」が証言をするため、しばしば間違った(判決を方向づける)動機が生じ、それが悲劇的な結果をつくりだしている (Grove & Barden, 2000; Hagen, 1997; Dawes, 1997) 。

親と子の家族関係についての基本的人権を守ることが、親族法が定める制度の、第一義的な責任と根本的な目的である。子どもの虐待を防止することは、これとは別の責任と根本的な目的だ。もちろん親族法の専門家は、児童虐待を減らし、被害者を支え、加害者を罰するべく努力すべきだ。こうした最終的な目標を達成・維持するための努力は、偏見より事実、興奮より科学、政治的イデオロギーより理由、にそれぞれ基づかねばならない。子どもたちはあらゆる種類の虐待から強く守られねばならない。虐待は物理的虐待、ネグレクト、性的虐待、心理的虐待を含む。とくに心理的虐待は、親が他方の親を疎外させるよう働きかけること、科学に疎い弁護士、あまり訓練されていない調査官、不注意な精神病医やセラピストが子どもを不適切に扱ったり傷つけたりすることを含む(Barden, 1994; Barden, 2001a; Hagen 1997; Dawers, 1997; Lilenfield et al. 2003)。

これら親族法の目的について適切なバランスを欠いた法的な手続き(※たとえば虚偽のDVの訴えを検証しないままに、他方の親の権利を制限し続けること)は、片親引き離し症候群(PAS)を含む家族問題を生じさせたり悪化させたりする。PASは一般的に、子どもの態度、信念、記憶が片方の親によって操作され、かつて愛した親や親戚を辱め、嫌い、そして/または恐れるようになる過程と説明されている。このようなケースでは、疎外親と、疎外親に操られている子どもは共同して、標的親を中傷するキャンペーンを展開する(American Psychological Association, 1994; Gardner, 1998; Gardner, 1985; Gardner. 1986; Gardner, 2003; Vassiliou & Cartwright, 2001; Warshak, 2001a; Wallerslein & Kelly, 1980, Cartwright, 1993)。監護権訴訟中の、対立が激しい家庭についての調査によると、PASとPASに付随する過程は、そうした高葛藤な家庭に、痛ましいほど共通して見られる問題である (Clavar & Rivlin, 1991; Bone & Walsh, 1999)。

大きな意味で、こうして疎外をさせることは、単に子どもの態度を操作することをはるかに超えている。PASの関連行為に関する調査では、(子どもの信念・態度・記憶を操作することを別にしても)標的親を傷つけ、苦しめ、拘束するような、あらゆる反道徳的な行いが報告されている。加えて、後に紹介する調査にも明らかなように、PASと関連行為はただ一人の親に対する問題行動にはとどまらないことが多い。各地方の親族法の専門家と関係者の無知、職権乱用、怠慢は、PASと関連行為による深刻な被害の根本原因となりえる。

実務的には、PASと関連行為はふつう、適切な訓練を受けた専門家や裁判官には容易に識別可能である。そうした事件ではよく、法の執行を欺いたりコントロールしようとする――そして標的親を貶める――とてもわかりやすい、繰り返した試みが見られる。たとえば、虚偽の虐待の告発、和解案を拒絶することを繰り返す、(特に)子どもを含む証言者を操ろうとする試み、情報操作によって教師に誤った認識をあたえる、家庭内暴力の事実を「立証する」ために不適切な「セラピスト」を雇う、またその他の反道徳的な行いである。このような虐待行為は、その犯罪的な親とアドバイザーの考えつくかぎり、どこまでも拡大する。

PASと関連行為は、心理的虐待の一形態としてとらえるのが最も適切である(Gardner. 1998; Vassiliou & Cartwright, 2001; Warshak, 2001a; Wallerslein & Kelly, 1980)。裁判所が制止しない間、PASと関連行為は子どもと家族に精神的、社会的、経済的な傷害のリスクになり続ける。PASと疎外行為を裁判所が適切に評価せず対応しないことで、しばしば何年にもおよぶ不要な訴訟と過大な費用が発生する。この不作為はずっと頻繁に、大切にされてきた家族関係の悲劇的な破壊を生じさせる。


片親引き離し症候群と関連行為:とくに新しい概念ではない


「片親引き離し症候群」という用語について、一部の法律家の間で、かなりひどい混乱が生じている。しかしPASと関連するコンセプトは、実際のところ、広く、何年にもわたって使われてきている;これはなにも新しい概念ではない(Gardner, 1986; American Psychological Association, 1994)。さらに重要なことに、PASに潜在する基礎的、精神医学的なプロセスについては、何十年にもわたって、専門家による査読つきの文献が刊行されてきた。PASの本質についての信頼できる論文は、査読つきの一流誌に掲載されている。総じて、PASの理論的な基礎は、実質的に全ての精神病理学のなかで、もっとも信頼性があって、もっともよく報告されていることがら――親から子への影響について――の上に構築されている。

発達(児童)心理学、社会心理学、人類学、臨床心理学、精神医学の分野での学術および臨床研究者は何十年にもわたって、どのように子供の(や大人の)記憶・感情・態度が、パワフルな他者――特に権威ある人(※子供にとっての親、教師、警官のように)――の影響によって変えられていくのかについて報告してきた(Ceci & Bruck. 1996; Ofshe & Watters, 1996; Cialdini. 1993; Mazzoni 8: Mcmon, 2003; Loflus. 1997; Bruck & Ccci, 1995; その他)。現在では、関連する科学のコミュニティにおいて、親が子どもに影響していくプロセスは深く広く知られており、これにたいする反論はない。たとえば文化の継承は、信念、感情、そして記憶を子どもにインストールする親の能力に依存している。

子どもたちに影響を与える親の力については議論の余地はない。遺憾にも、裁判所はこれまで、PAS型の問題を検討するべき多くの事件で、親・セラピスト・そのほかの大人たちが子どもたちの態度・信念・記憶にどう影響したかを詳細に調査するという重大な責任を果たしてこなかった。裁判所はむしろ、「症候群」といった技術用語の意味や、公的な診断マニュアルに掲載すべきかどうかや、その他のごく瑣末なことがらに拘泥し、本質的な議論を避けてきた (Bruck & Ceci, 1995)。

PASを引き起こし維持する心理学的な機序――親による影響のプロセス――はよく研究・理解されているが、PASが長期にわたってどのように影響するかの厳密な研究は、まだ終わっていない。PASと関連する行為の長期にわたる悪影響をどう予防し治療するかは、臨床、社会科学、法律の専門家による厳密な科学的調査が必要になるだろう。こうした調査は主要な大学の医療センターや、大学の精神医療プログラムや、あるいは専門家たちによる同様の枠組みを使って行われるべきだろう。研究結果は精神病や心理学の関連分野(アメリカ心理学協会、アメリカ心理学会、アメリカ精神医学会)の一流紙に発表されるべきだ、トラウマとか虐待とかセラピーのような、少数の専門家のための政治色があるジャーナルではなくて。このように政治的な問題となりえる分野の研究者は、社会的・職業的・経済的なプレッシャーや、どうかすると個人による攻撃からも身を守る必要がある。この研究の目的は、長期にわたる係争や配偶者の存在下で、どうすれば子どもと親との関係が改善したり悪化したりするのかに焦点をあてるべきだろう。この情報が与えられれば、裁判所は離婚した夫婦により良い行動指針を示すことができ、より親切な、より支持的な、より尊厳のある関係を築くことを励まし、力添えができるようになるだろう。

心理学者たちによるPASの長期的な効果にかんする学術研究はまだ始まったばかりだが、PASと関連事項の子どもや家族への有害な影響は、観察力のある裁判官や弁護士によって長い間、指摘されてきた。米国の多くの司法区域では、監護権を持つ親が、他方の親の基本的な権利を妨害すれば監護権者を変更するという、長年の伝統がある(Borris, 1997)。

PASと、関連する疎外プロセスの根底にあるメカニズム(例えば、親の影響)が強力な科学的根拠とともに発表されているにもかかわらず、弁護士や精神衛生の臨床医には基本的な科学的トレーニングがほとんどなされていない。これをしないことによって、いくつかの法廷では、木(用語の定義や、他の多くの瑣末なことがら)のために森(よく研究されている親からの子への影響)を失うことが起きている。数十年にわたって信頼性の高い科学研究が子どもへの親の影響を報告していることを考えれば、親子関係を損なうための意図的で操作的な努力という事実を目にしたとき、裁判所はこれ以上の研究を待って躊躇する必要はない。法と科学のコミュニティは、子どもが監護権訴訟の犠牲者になることを防ぐ、神聖な義務を共有している。

短く言えば、PASのような特定の症候群の長期的な影響を完全に理解するためにはさらなる科学的な調査が必要だが、強力な親の疎外のプロセスについては、関連する多くの分野の科学者や専門家が、数十年にわたって報告している(American Psychological Association, 1994; Gardner, 1998; Gardner, 1985; Gardner, 1986; Gardner, 2003; Vassiliou & Cartwright, 2001; Warshak, 2001b; Wallerstein & Kelly, 1980; Cartwright, 1993; Clavar & Rivlin, 1991; Bone & Walsh, 1999)。


不適切、低水準で不十分な法的慣行がもたらす危険性


PASと関連するプロセスを予防する、そして・または終了させるための重要なステップは、不必要な家族の衝突を作り出したり悪化させたりする慣行を改めることだ。このような慣行には、疎外する親の反道徳的な行いをただ放置することが含まれる。この反道徳的な行為は、たとえば虚偽のDVを訴える、偽証、子どもに偽証を強要する、評価者に虚偽の情報を提出する、虐待を「検証」することで知られている「セラピスト」のところへ秘密裏に子供を連れて行く、およびその他の敵対的な、疎外する行為である。裁判所がこうした重大な不正行為に、ただちに適切な制裁をあたえなければ、疎外親への「標的親を好きに撃っていい」という明確なメッセージになる。多くの場合、このような司法の不作為は何年にもわたる非生産的なヒアリングをもたらし、(1)家族が破産する(弁護士など地方の家庭裁判のシステムが不当な利益を得る); (2)実在しない「感情的な問題」のための価値のない「療法」が続く(たいてい親族法の弁護士とメンタルヘルスの専門家が利益を得る);(3) 多くの無意味な監護権のための調査、多くニセ科学の方法を用いた(いわゆる)「専門家」が不当な利益を得る; といった事態に陥る。

対照的に、裁判所は多くのケースで積極的にシンプルなルールの履行を強制できる。これはたとえば、面会交流のルールをまもる、合意事項の順守、虚偽の申し立てをしない、両親間のすべての電話を録音することがあげられる。これによって、家族を多くの感情的なトラウマや、長年にわたる非生産的な「言った・言わない」式の訴訟、数百万(あるいは数千万円)の親族法の「専門家」や「セラピスト」の無用な手数料、といったものから救うことができる。

なぜ親族法制度はこんなに長く、引きずるような訴訟の戦い(そのなかで標的親が、繰り返し主張される疑わしい個人攻撃から保護されず、自分で身をまもる必要が生じる)を許す――むしろ奨励する――のか?このような手に負えない訴訟を許可・奨励する親族法制度について、どんな要因がその改善を阻んでいるのだろう? 改善への最大の障害は、訴訟(の期間と件数)を増加させることによる経済的な動機(インセンティブ)が染み付いていることである。この経済的な動機とは、法律の専門家・調査官、提携する心理療法士へのより大きな報酬のことである。より長く、より高まった葛藤は、より多くのヒアリング・調査・「セラピー」、そして弁護士や専門家へのより大きな報酬を意味する。

このような高葛藤な監護権の争いとPASプロセスは、多くの場合、疎外親と地方の親族法の専門家の共謀による不正行為を含んでいる。これらは予測可能なパターンを取ることが多い。

1. 元配偶者への(多く「専門家」「セラピスト」「弁護士」からの誤った情報に基づく)虚偽の告発

2. 不適切・低水準な面接や調査方法 

3. 地方の顧問弁護士が、適任な社会科学の専門家に相談することを怠り、反対尋問の失敗を招いたり、ニセ科学による診断や面接方法を許す

4. (もっとも才能あるベストな法学博士であったとしても、実質的に全ての)科学に暗い法律家が、無邪気に不適切な調査法と、子どもの精神異常の間違った診断を受け入れ、親はしばしば曖昧で認められていない「セラピー」や「相談」へ導く

5. 家庭裁判所に雇われた無能で怠慢なメンタルヘルスの専門家(インフォームド・コンセントをとらない、科学的に検証された治療法を行わない、患者の病状を測る際に科学的に検証された方法を用いない、その他の医療過誤)

こうした深刻な過ちはふつう表に出てこない、なぜならあまりにも頻繁に地方のセラピストと顧問弁護士はいつも同様の事件で「一緒に働いて」いて、顧問弁護士は深い(そして公表されない)利益相反の状態で仕事をしているからだ。この利益相反が、監護権の評価者と、地方の親族法のシステムの傘下にいる「セラピスト」の、最も悪質な不正行為を暴露することを妨げている (Barden, 2001a; Hagen, 1997)。

(※中略:しばらく米国での事情について語られている。ここでは主に

1. 法律家と鑑定家および臨床家の癒着と利益導入の詳細

2. 科学者の視点で「何が事実なのか」を客観的に見ることの重要性と、その実現のためにどんなことをすべきか

が、たとえば、このように書かれている。)

医療の世界ではずっと以前から、1900年代初頭に「馬車時代」の医師が一人で全てを仕切ったやりかたから、学際的なチームによるアプローチへと変わっている。あまりにも多くの弁護士(および実質的にすべての顧問弁護士)は1900年台を引きずっていて、「ローン・レンジャー」式の法律学博士だけの訴訟にこだわり、クライアントから法廷での科学的でリアルタイムな相談の機会を奪っている。こうした相談は、複雑な家族問題を扱うためにはどうしても必要であり、全米の主要大学の心理学や医学の教室の多くがコンサルタントの派遣を引き受けているにもかかわらず。法廷に科学的なコンサルタントがいないことが、終わらない訴訟、偽の評価、ニセ科学の証言、無駄で膨大な「セラピスト」と「専門家証人」の手数料を家族に押し付けている。

片親疎外を導く要因


PAS事件の因果関係や動機に関する詳細な質問がしばしば無視されている。なぜこんなに多くの疎外親たちが、元配偶者や子供たちに、精神的にも経済的にも破滅的な打撃をあたえる行為に手を染めるのか? 経験的には、少数の疎外親は、精神疾患(たとえば偏執症)に罹患しているが、その他はただ利己主義や怒り・敵意といったネガティヴな特性を自らコントロールすることを拒否しているだけである。疎外親の多くは、離婚以前にはごく普通の生活を送っていたものと思われる。このような人が、家庭崩壊のストレス下で、地方の「セラピスト」、弁護士、「評価者」、あるいは政治活動家の「サポート担当者」によってもたらされる多大な情報を頼りにすることになる。疎外親はときに、弁護士からの助言によって、配偶者からの暴力を訴えることが、監護権を確保するための最良の方法だと動機づけられる。また別の疎外親は、児童虐待についての悲惨な「兆候」や「症状」を、(真実でも虚偽でも)訴えることを助言される。こうした助言には例えば、子供が悪夢をみる、夜に寝ない(または体重が増えたか、鬱になった、あるいは摂食障害など)、つまり「それは虐待されているからだ」と言えそうな、あらゆることが含まれる。

(※以下、米国事情。どのように「専門家」が嘘をつくのか、それがどうPASを誘導するのかについての報告と、それをどう見破るのかについての提言。この文献を通じて、怪しいタイプのそうした職業人は「専門家」とカギ括弧つきで標記されている。)

(※たとえばこんな提案があった)

l. 「専門家」は、ピア・レヴューを受け・評価され・論文になったわけではない、怪しげな評価方法を使う。たとえば、お絵かきテスト、インクブロットテスト(※いわゆるロールシャッハ。有名だが、効果が確認されているわけではないらしい)のような。 (Grove & Barden, 2000; Grove et al. 2002);

4.  地方の顧問弁護士が、ニセ科学の手法が使われることにたいして有効に意義を唱えることができない。ビジネスのための法廷なら当然もちいられる、たとえばFrye/Daubert junk science hearings といった手法を使えない(Kumho Tire, 1999)。

(※また、こんな警告があった)

6.  離婚後の両親に求められる行いを逸脱しているときに、裁判所がそれにたいして有効な警告ないし罰則を打ち出せない場合、その逸脱はどんどんエスカレートする。虚偽による申立てが増加し、裁判が長期化する。

どうすれば法の専門家は片親引き離し症候群と関連行為を減らす・根絶することができるだろう


法律の専門家は以下のようにしてPAS問題を悪化させている: (1)不適切な行動指針を設定する、(2)適切で責任ある親の行動のための最小限の指針を順守させない、(3)ジャンク証言を証拠として認める、(4)「専門家」証人への尋問に失敗して虚偽を採用する、(5)複雑な法的/科学的な課題に対処するために必要な、法律家/科学者による学際的なチームを作れない。

一方、法律の専門家は、根拠と教育された良い判断に基づくシンプルな行動によって、PASとPASに関連する問題を防ぎ、減らし、なくしていくことができる。もっとも重要な変更は、法学の学位しか持たない弁護士は科学的な知識と経験を欠くので、複雑な家庭法の事件を扱うセラピスト、鑑定人、「専門家」を選定したり抗弁したりするための実務能力に欠けるという事実を、きちんと認識することだ。このような場合に、21世紀の顧問護士なら最低限でも、適切な科学コンサルタントを(地元の大学教員や国選の専門家から)手配すべきだ。この単純なルールに従わない場合、たいてい、何年にもわたる、明確な結論のない、不必要な、高額な訴訟になる。科学に明るい適任な訴訟コンサルタントの存在は、偽科学に基づく「評価」、有害で未検証の「セラピー」、その他の誤りの危険性を大幅に減少させる。

命令を強化することで、裁判官はPASと関連プロセスを減らしたり根絶したりできる。たとえば、不正にたいして明確・強力で深刻な罰則があることがわかっていれば、ほとんどの親たちは疎外のプロセスを開始しないだろう。あるコメンテーターによると「よくわかっている裁判官なら無実の親に監護権を与えるだろう。それに、PASはつまり子どもをつかって子どもと親との交流を妨げることで、これは児童虐待だから、それの原因となった親には罰を与えるだろう。PASに加担する親がこれを知っていたら、致命的に苦しむだろし、それは当然の報いだ。」(Levy, 1992)。

現在、あまりにも多くの裁判所が、自らの判決を強制したり、フォローアップの方法を示すことをせず、法制度の力と威厳を、役に立たないセラピストのレベル――いつまでも続く議論とネゴ、しかも合意事項に強制力がない――にまで貶めている。事実、迅速で明快に罰する手段をとらないことは疎外親にたいして「進め」のシグナルを送ることになり、これがさらなる疎外や、改竄、そのほかの不道徳な不正行為につながっていく。

裁判所が対応しない・対応が遅いことはしばしば、疎外親の悪い行いが強化され、標的親の悪夢のような経験は続き、金がかかる長い戦いによって子どもは精神的に(経済的にも)傷つき、結果として家庭が大きく損なわれることになる。多くの親はただそこから立ち去り、この役立たずな家庭法の制度に付き合うことよりも、子どもとの接触をあきらめる道を選択する。裁判所が対応しない・対応が遅れるということは、家庭法にたずさわる地元の専門家たちを富ませるものの、PASやPASから派生する問題を引き起こし、それによる子どもの虐待を許容する不作為だと考えるのが妥当である。

親族法制度を見直すにあたって、重要かつおそらく最も必須な――そしてよく忘れられている――ことは、合衆国の家庭裁判所の役割が、基本的人権の保護にあることだ。(※以下、米国における訴訟について、数多くの判例を引用しながら、最高裁が何度も家裁への非難を繰り返していることを紹介している。)

(※この章は、こう締めくくられている)これらの特徴的な最高裁の決定が、家庭裁判所での主張や趣意書に引用されることは、実際、まれである。なぜ最高裁の決定が下位の法廷に引き継がれず、米国の親族法の法廷において親の憲法上の権利が保障されないかを分析する際には、この不適切な経済的動機に焦点をあてる必要がある。この状況が続けば、最高裁の判断は「慢性的につつきまわされて」骨抜きにされてしまう(たとえば「セラピスト」の意見に基づく「監視つき面会」とか、根拠が不明瞭な「カウンセリング」の命令など)。


弁護士と裁判官が知っておくべき、不適切な専門家証人の証言とはどんなものか


(※米国において、頻繁に喚問される証人の「専門家」による虚偽や、非科学的な証言を、どう見破ったらいいのかを、たとえばDaubertの原則にしたがって説明している。本邦ではそうした「専門家」はまだあまり法廷にまで出張ってこないものと思われるので、この章は省略する。基本的には、「あらゆる主張に裏付けが求められるような、科学的な見方が必要だ」という主張で、裏付けとして多くの報告と判例が引用されている。)

(※たとえばこういう内容である。これは、「専門家」がとりがちな行為の例を上げている。DSMというマニュアルがどういう捉え方をされているかの一例でもある。)

科学者がいない状態の裁判では、「専門家」が提出した調査方法の不備を指摘するのに失敗する(たとえば本当の専門家が使う水準にあるような診断方法や、DSM-IVあるような治療方法を提案しないことにたいして疑義を申し立てられない(Grove & Barden, 2000; Barden, 2001a)

科学によって補強された裁判の方法は、不正を防ぐ上でたいへん効果的である


全ての訴訟当事者が知っているように、それぞれの事件は違っているから、訴訟に確実なことはないし、結果は予見できない。しかしながら、科学によって補強された訴訟(法学博士しかもたない弁護士がPh.D.(※哲学博士;理学・農学・工学など、科学分野における博士号)や、そのほか科学分野で訓練された専門家と組んで、ニセ科学に基づいた証言や法廷の手法を撲滅する試みは、もし適切に適用されるなら、目覚ましい成功を収めている。
(※以下、その実例を、いくつかの文献を引用したり、それによって圧縮された費用を見積もったりしながら、紹介している)。

科学の資格—訴訟を補強する専門家たち


メンタルヘルスの専門家(精神科医、心理学者、ソーシャルワーカー、セラピストなど)の倫理規定は、ふつう、正直に証言することを求める。たとえば専門家は「証拠や結論の根拠を誠実に記す」「データと結論の限界を示す」その他のルールに従わねばならない(たとえばAmerican Psychological Association, 1992を参照)。親族法の裁判所においては、これらはことごとく破られる。こうした違反は、それが最も言語道断であるときでさえ、法学の学位しかもたない訴訟当事者たちには、指摘することができない。
(※以下、科学的な視点をもつ当事者が必要な理由を述べている。)


親族法制度の改革には学際的な努力が必要である


PASとPASに関連する親の疎外プロセスの長期的な解決は、司法以外の研究機関の科学者や、立法の専門家が親族法の改正に乗り出すまでは、実現しないだろう。監護権争いのなかで、洗脳・操縦をする親と親族法の不適格な専門家によって虐待される子どもを減らすためには、他の複雑なシステムで成功した改革のケースにならって、学際的な努力を行うべきだ。例えば、1990年台初頭の米国の救急医療システムは、小児の緊急事態の対応が驚くほど不備であった。システムは、主に成人の怪我のために設計されていた。多くの病院の緊急治療室や救急車のシステムで、小児科の緊急事態に対処するための基本的な設備と訓練が欠けていた。その結果、本来なら救えたはずの数千の子供たちが死亡した (Barden, et al. 1993)。

頑迷で閉鎖的、しかも強力な財政基盤をもつこのシステムを改革するために、医学、心理学、法学、経済学、および他の専門家がコンソーシアムを結成し、複雑な問題を改善するための法案を起草した(Barden, et al. 1993)。改善の詳細は、小児科の機器の更新とERの専門家のための先進的な小児救急訓練を必要としたが、競合する金銭的経済的動機をもった産業界からの強力な反対を押し切って、法として制定された。現・前公衆衛生局長官への市民の支持(Novello, 1992など)とメディアの好意的な報道とともに、この法律は、まずニュージャージー州で、やがて多くの州で施行された。これは年間で4,000の子供を救っていると推定される。親族法制度には、同様の、しかしもっと大規模な改革が必要である(Barden, et al. 1993)。

他の有益な先例として、1994年からの精神療法の改革を挙げる。これは、米国のメンタルヘルス制度が「抑圧された記憶と回帰記憶」による「虐待」事件に押しつぶされそうになったときに始まった。年間に何万もの家族が「回復記憶療法」として知られる危険な偽科学の施術を受けたと報告されている。数十年にわたる研究の結果、「回復記憶」の概念は妥当性を否定されている。しかし多くの不勉強なセラピストたちが、圧迫的な面接と催眠の技術をつかって、暗示にかかりやすくなっている患者に、予測可能な事項を摺りこんでいた。突然、何千もの精神病患者たちが、親、教師、国際的カルト、果てはUFOの中で異星人から虐待されたという「抑圧された記憶を回復」したと主張し始めた(Ofshe & Watters, 1996; Loftus & Ketcham, 1994)。

その政治力、巨大なサイズ、および財政面での影響力にもかかわらず、「回復記憶」セラピー業界は、5年と保たずに大幅に再構成ないし破壊された。科学によって補強された医療過誤訴訟が全国に波及したからである。これは、民間財団、著名な科学者、科学リテラシーのメディア•アナリスト、および高度な科学の知識と経験をもつ専門家たちの献身的な努力の賜物である。これらの危険で間違った施術はおそらく数十年のあいだ続いたが、何百にものぼる「記憶回復セラピー」の実践者に対する訴訟は非常に成功した。これらの、成功した心理療法の医療過誤の訴訟のほとんどは、科学によって補強された訴訟の手法を用いていた (Barden, 1997; 2001a; Gustafson, 1995; Gustafson, 1996; Belluck, 1997; Acocella, 1998)。

救急医療や心理療法システムに改革をもたらした学際的なモデルを、現在の親族法制度の欠陥の犠牲――もちろん、PASとPAS関連の行為も――となる子どもを減らすために用いるべきだ。対立仮説を示さずにPASの葛藤に貢献し、根拠のない「臨床的判断」を提供し、信頼性のない評価方法で家族を過度に病気扱いする、またはその他の不正行為に手を染める「専門家」は、詐欺で告訴されて法的責任を問われるべきだし、ライセンス機関にも報告されねばならない。最低限に必要な情報を集められなかったり、「専門家」の反対尋問のために必要な科学的支援を得られない顧問弁護士は「弁護の過誤」として訴えられるべきたし、懲戒処分のため弁護士としてのライセンス機関に報告されるべきだ。訴訟後見人は法的に求められる最低限の仕事を始めるべきだ;疑わしい「専門家」に反対尋問をし、意味のない「セラピー」を押し付け、怒り・緊張・非難を高めて家族内の葛藤を増強する、恥知らずな「セラピスト」を訴える権利を持っていることを、子どもに教えねばならない。現在の親族法システムが経済的な損失と、その他の危険を有していることを啓蒙し、国民意識を高めるために、プレスリリース、メディアの公開とインターネットサイトの情報提供が必要だ。

親族法制度の大規模な改革に加え、PASとPASに関連するプロセスに関して、要因、性質、病因と、長期的影響を調べるために、さらなる科学的研究が必要である。いくつもの重要な疑問に早急な対応が待たれている、これらはたとえば:

1。PASの問題の発生率と有病率は?(Clavar and Rivlin. 1991)

2。親の疎外を表すのに、症候群、プロセス、虐待の犯罪、どれがふさわしい?(Gardner, 1998)

3。PAS及び関連プロセスの診断信頼性と妥当性は?

4。PASにはどんな治療が(もし方法があるのなら)有効だろうか? 家族を再統合し、疎外行為を防止するための努力を含めて。

こうした研究課題は、総合大学や医学校で専門的な科学者によって遂行されるべきだ。これらの研究結果は質の高い、主流の科学誌に掲載すべき(例えば、Psychological Science, Child Development, Journal of Personality and Social Psychology, Developmental Psychology,]ournal of Abnormal Psychology)で、簡単で程度が低いジャーナルは避けるべきた(例えばfamily therapy, trauma, abuse, clinical, or psychotherapy journal)。信頼性のある科学的情報や、必要な改革を親族法制度に行うことは、PASと関連するプロセスの虐待から子どもを守るのに役立つ。

結論


多くの善意の専門家の尽力にもかかわらず、科学的知見を反映していない親族法制度や、不適切な経済的動機をもった専門家によってもたらされる誤った情報が、PASとPASに関連する行為による深刻な問題を、多くの監護権訴訟で引き起こしている。虐待的な疎外のプロセス(長期にわたる虐待的な訴訟プロセスを含む)から子どもたちを守るために必要な改革は、シンプルだが達成は難しい。長い訴訟は、不必要な怒り、非難、紛争、および費用を発生させるため、多くの親族法の専門家に強く不適切な経済的動機を与えるからだ。

現在の親族法システムの危険から子供たちを保護するためには学際的な努力が必要である。親族法の運用を大幅に改善することだけが、普遍的かつ基本的な家族の権利――政府からの不当な制限のない相互関係――を守る道である。学際的な改革の努力がない限り、あまりにも多くの子供たちが、ニセ科学の「専門家」と「セラピスト」そして科学がわからない弁護士たちがはびこる親族法制度の危険性に直面し続けることになる。家族や子供たちは、より大きな敬意と、より良いケアを受けるべきだ。

ニセ科学による「評価」「治療法」「セラピー」、不明瞭な心理学的「テスト」、信頼性のない「臨床的判断」に基づく「監護権の勧告」やその他の不適切な方法論を適切に排除していくことは、親族法の制度の整合性を改善する重要なステップである。こうした不適切で誤解を招く証言が、家庭裁判所で普通に見られるようになってきた (Kumho, 1999; Grove & Barden, 2000; Hagen, 1997)。これらを根絶しなければならない。その先例をつくるために、科学による補強をした訴訟の専門家によってFryeそして/またはDaubert/Kumhoのヒアリングを行うべきだろう。

反道徳的な行動(虚偽の申し立て、裁判所の命令に違反する、面会交流を妨げる、憲法で保証されている親の権利を侵害する)を断固として調査・処罰する裁判所では、めったに親の疎外は長引かないだろう。逆に現在の多くの家庭裁判所のように、疎外親へ、他方の親の自・財産・親としての権利にたいしての「フリーショット」を与える裁判所は、長期の有害な訴訟を生み出す可能性が高い。

数十年にわたって、親の影響についてはよく研究されてきた。裁判所はこれ以上、PASの詳細な研究や、遅れている親族法の改定を待つべきではない。反道徳的、ないし不適格で不作為な行為で子どもと家族を傷つける親、「専門家」、「セラピスト」と、弁護士をコントロールするために、積極的に動くべきだ。法と科学のコミュニティは、監護権訴訟の犠牲になることから子どもを守る責任と神聖な義務を、協力して担わねばならない。子どもたちは、ちゃんと保護されるべき存在であって、それ以下のものではない。


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出典:The international handbook of parental alienation syndrome
Conceptual, clinical, and legal considerations
RA Gardner, RS Sauber, D Lorandos編
Charls C Thomas Publisher LTD, 2006

2014年4月9日水曜日

翻訳・疎外親への対処方法

Journal of Divorce & Remarriage, Volume 28(3/4), 1998, p. 1-21

自分の子供に片親引き離し症候群を誘発する親たちに対処するための提言

リチャード A. ガードナー

要約: 片親引き離し症候群は、きびしい親権争いの事件でよく見かけられる。3種類のタイプ(軽度、中度、重度)があり、それぞれで異なる特別なアプローチを、法律の専門家とメンタルヘルスの専門家の両者から、必要とする。この論文の目的は、これまでの著者の提言に対してのする誤解を訂正しつつ、治療法への新しい改良(特に、重度のタイプにたいへん有効な、過渡的に子どもを預かるプログラム)を紹介することである。片親引き離し症候群の家族に適切に対処するには、法律の専門家とメンタルヘルスの専門家の間の緊密な協力が必要で、この協力がなければ治療のアプローチはなかなか成功しない。しかしこのような協力があれば、多くの場合、たいへん高い治療効果が期待できる。

片親引き離し症候群


片親引き離し症候群(PAS)は、子どもの親権紛争にほぼ特有に発生する疾患である。それは、一方の親によるプログラムをうけた子供たちが、他方の親への誹謗中傷のキャンペーンを始めるという障害である。子どもたちは(もしあったとしても)ほんの少ししか、嫌っているとされる親(多くの場合、嫌悪の対象はその親の家族にまで広がる)両面感情を示さない(*悪いところも良いところもある、という見方をせずに、全部が悪であるというように極端な認識をする)。ほとんどの場合、母親がそのようなプログラミングをし、父親が中傷のキャンペーンの犠牲者である。しかし、小さな割合ではあるが、プログラマーが父親で「嫌われている」とみられる親が母であることもある。さらに、ここではこれを一方の親による、他方の親に対立させるシンプルな「洗脳」としては扱わない。しばしば子ども自身による中傷のシナリオが、プログラムをする親によって発令されたものに貢献・補完するからだ。これら両者の障害への寄与を示すために、片親引き離し症候群(PAS)という用語を導入した。子供の認知の未熟さゆえ、彼らのシナリオは多くの場合、(大人からみると)非合理である。もちろん、嫌われている親が本当に虐待に加担しているなら、子供による疎外は正当なもので、PASの概念は適用できない。

片親引き離し症候群を軽度、中度、重度にわけることができる。これら3種類の違いを詳細に説明するのは、このレポートの目的を超える;いま大切なのは簡潔な要約だ。軽度では、疎外は比較的に表面的であり、子どもたちは基本的には面会に協力するが、ときどき批判的になったり、不機嫌になったりする。中度では、疎外はより手強くなる。子どもたちはより破壊的かつ無礼になり、中傷のキャンペーンはほぼ継続的になりえる。重度になると、面会はほぼ不可能になる。敵対しているのは子どもたちであり、嫌っている親にたいして物理的な暴力をふるうようにさえなる。その他の行為も表出化する;面会している親を根深い苦悩に苛まさせることを目的とする行為である。多くの場合、子どもの敵意は偏執症のレベルにまで達する:迫害されるという妄想や、あり得ない状況において殺害される妄想や、あるいはその両方を持つようになる。

以下のリストは、PASの原発性(第一次的におきる)の症状である(ガードナー、1992年)。
  • 中傷のキャンペーン。
  • 薄弱・軽率・または不条理に、軽蔑を正当化する。
  • 両面感情の欠如。
  • 「独立思考者」現象。
  • 親間の対立に際して、愛している親を反射的に支持する。
  • 「嫌いな」親への中傷や搾取に、罪悪感が欠如する。
  • シナリオを借用する。
  • 嫌いな親の友人や親戚にまで憎悪の対象が拡大していく。

  • PASに関する著書での提言がいくつか誤って解釈されている。この論文の目的は、まずその誤解を解くことだ。これらの提言は適切な形で実行されてこなかった。それが不幸な・悲惨な結果を招いている。また、1992年の出版以降に改善できた点をここに示す。PASの各タイプごとの症状を表1に、それぞれの対処の方法を表2に要約する。

    母親が子どもにプログラミングすることが父親よりもはるかに多いので、ここではPASをおこす側を母親、子供の中傷のキャンペーンの犠牲者を父親と標記する。もちろん、PASをおこさせているのが父親で中傷のキャンペーンの犠牲者が母親なら、ここでの母親のための提言は、父親に適用する必要がある。(*時代変遷とともに父親が疎外親である事例も増え、著者もこの扱いの不適切さを認めて撤回している。しかしここでは歴史的な背景を明らかにするため、このまま訳出する。)

    遺憾にも、片親引き離し症候群が、特に長期間にわたる実際の虐待をうけた子供が、親に抱く憎悪を表すために用いられることが、しばしば起きている。この用語が、親の虐待の主要なカテゴリー、すなわち物理的、性的および心理的な虐待に適用されることがある。このような用法は片親引き離し症候群への誤解を端的に示している。この用語は、子供による中傷のキャンペーンを正当化するどんなことにも、その親が実際には加担していないときにだけ、適用できる。典型的な事例では、むしろ標的親は通常の愛ある子育てをしてきたことを審査官が認めることが多い。または最悪の場合でも親としての能力にごくわずかの問題を認める程度である。これが、片親引き離し症候群の特徴である、マイナーな弱点や欠点の誇張である。本物の虐待が存在した場合は、子の敵意ある反応は正当なもので、これに片親引き離し症候群という診断は適用できない。

    片親引き離し症候群を引き起こしていると疑われた母親は、ときに、子供の中傷キャンペーンは、本当に(父親からの)虐待ないしネグレクトがあったのだから正当なものである、と主張するだろう。片親引き離し症候群の主張は、非難されている親が自分の虐待やネグレクトを隠蔽するためにおこなっている隠蔽、陽動作戦であるという主張だ。これが事実である場合も、そうでない場合も、ある。このような非難の応酬、すなわち「真の片親引き離し症候群」対「真の虐待およびネグレクト」が起きた時は、裁定者は子供たちの告発を公正に吟味せねばならない。 状況によっては、この違いは簡単にはわからない、得に若干の虐待やネグレクトがあり、そこに片親引き離し症候群が重なっていて、虐待の状況から考えられるよりもはるかに軽蔑の度合いがひどくなっている場合には難しい。妥当な診断をするために、いつも厳密な公平性が求められるのはこのためである。子供と親の、個々・同伴のインタビューの組み合わせは、この重要な違いを見分けるためには、おそらく最良の方法だ。

    近年、一部の専門家は、親権争いの過程での虚偽の性的な虐待の訴えにたいする用語としてPASを使用している。いくつかの場合において、これら用語は互換的に使われてさえいる。これは、PASの概念の重要な誤解である。PASが存在した多くの事件で、性的な虐待の告発はなされなかった。いくつかの事例ではむしろ、他の排他的な作戦が全て失敗した後にはじめて、性的な虐待の告発が出てきている。性的な虐待の告発は、だから、ほとんどの場合、PASのスピンオフ、または二次的な誘導物であり、PASと同義では決してない。さらに、離婚訴訟の過程では、PASとは無関係に性的な虐待の告発がなされることがある。このような状況下では、当然のことながら、告発が夫婦間の分離よりも先んじているときには特に、真の性的虐待が生じている可能性に真剣に考慮を払う必要がある。

    PASの子供への法的および治療的アプローチに関する決定をする前に、適切な診断評価が重要である、特に軽度・中度・重度のいずれのタイプになるのかが。それぞれのタイプは、かなり異なるアプローチを必要とする。これを誤ると痛ましい結果を招き、すべての関係者に多大な心理的外傷を残す可能性がある。この原則は、適切な診断が治療に先行しなければならないという、古くからの医学の伝統に沿うものだ。さらに評価者は、PASのタイプは母親の努力の度合いで決まるのではなく、洗脳の試みがどの程度に成功したかによって決まることを理解すべきだ。分類を決定するのは子に顕れたPASの症状であり、洗脳に際しての親の努力の度合いではない。母親が執拗なキャンペーンを開始することの目的は、子供が手強く彼を憎む程に父親を貶めることだ。しかし、父親の愛情と、子への関与は、深く染み付いているものだ。父親の結合がとても強いときは、母親の努力が成功しない場合もある。子供の年齢が高いほど、母親の努力は成功しにくくなる。

    軽度のPAS

    症状

    軽度のカテゴリーの子どもは、8つの主な症状について、比較的に表面的な兆候しか示さない(表1)。ほとんどの場合で、これらの8つの症状うちのいくつかだけが見られる。ほとんど、全てではないにしても、が見られるのは中度か、特に重度の場合だ。面会は通常、引き渡しの際にちょっとした困難さがあるだけで、あとはスムーズである。父親の家にいる間は、中傷のキャンペーンの主な動機は、母親との、健全でより強い心理的な結合を維持することである。

    法的なアプローチ

    < 通常、軽度のPASに必要なのは、母親に親権が残ることを裁判所が認めることだ。このような状況下でPASは、格別の治療や法的介入なしに緩和する可能性がある。

    心理療法のアプローチ

    ほとんどの場合、軽度のPASの症状のためには心理療法は必要ない、それら症状は裁判所が母親を親権者に指定する決定を行った後、消えるだろうからだ。しかし、離婚にともなうその他の問題の解決のために、心理療法が必要になることがある。



    表1: 片親引き離し症候群の3つの段階の、症状の違い


    主な症状 軽度 中度 重度
    中傷のキャンペーン 最小 中度 手強い
    薄弱・軽率・不条理な、軽蔑の正当化 最小 中度 多数の不条理な正当化
    両面感情の欠如 正常な両面感情 両面感情なし 両面感情なし
    独立思考者現象 普通はない ある ある
    親間の対立での疎外する親への反射的な支持 最少 ある ある
    罪悪感の欠如 普通の罪悪感 最少か欠如 欠如
    シナリオの借用 最少 ある ある
    標的親の親戚へと憎悪の対象が拡大 最少 ある 手強い、しばしば狂信的
    訪問面会時にすぐ慣れるか 普通は慣れる 中度 手強い・訪問できない
    訪問時の行為 良好 時折、敵対的で挑発的 訪問しない・破壊的で、訪問中はずっと挑発的
    疎外する親との結びつき 強い、健全 強い、軽度から中度に病的 深刻に病的、 偏執的な結合
    標的親との結びつき 強い, 健全か やや病的 強い, 健全か やや病的 強い, 病的


    表2: 片親引き離し症候群の3つの段階の、治療法の違い

    軽度 中度 重度
    法的なアプローチ 親権は母親に残すと裁定 プラン A  (もっとも一般的)
    ・親権は母親に残すと裁定
    ・裁判所によるPAS セラピストの選定*

     制裁:
     金銭 →  自宅監禁  →  収監


    プラン B  (時に必要になる)
    ・親権を父親に変更するよう裁定
    ・洗脳防止のため、厳しく制限された・
     かつ必要なら監視つきでの母親の訪問面会
    親権を父親に変更するよう裁定(ほとんどのケースで)

    裁判所命令による、過渡的な仲介所を中継してのプログラム**.
    精神療法のアプローチ 通常は不要 プラン A  (もっとも一般的)
    ・裁判所が選定したセラピストによる治療*

    プラン B  (時に必要になる)
    ・過渡的な仲介所を用意して行う、
    監視つき治療プログラム**

    過渡的な仲介所を用意して行う、セラピストによる監視つき治療プログラム**
    * Gardner, R. A. (1992), The Parental ALienation Syndrome, Cresskill, Nj: Creative Therapeutics, Inc. pp. 230-245.

    ** ________ (1992), The Parental Alienation Syndrome, Cresskill, Nj: Creative Therapeutics, Inc. pp. 334a-334h.

    中度のPAS

    症状

    最もよく見られるのが中度だ。母親のプログラミングはより手ごわく、様々な排他的戦術を用いている可能性が高い。主な8つの症状がすべて存在しがちで、それぞれが軽度の場合より進行しているが、重度ほどの広がりがない。中傷のキャンペーンはより鮮明になる;(子供が父親を軽蔑するのを聞いて)母親が喜ぶのがわかるので、子の引き渡しの際にはとりわけ悪化する。子どもたちの悪口は、軽度で見られるものよりも、狂信的である。それぞれの両親に必然的にいだくはずの普通の両価感情が存在しない;父親はすべて悪い、母親はすべて良いとされる。父親に対する辛辣さは全て自分自身の気持ちからくるものと公言する。父母間のどんな対立に際しても、反射的に母親を支持するだろうことが明らかである。父親の悲しみにたいしての鈍感さから精神病が疑われるほど、罪悪感が欠如している。中傷のキャンペーンにはシナリオの借用が見られがちである。軽度であれば父親の親族には愛情ある関係が保たれるが、中度では親族は父親のクローンとして見られ、同様の嫌悪感や中傷のキャンペーンにさらされる。

    軽度であれば引き渡しの際にちょっとした問題がある程度だが、中度になると移送の際に手強い問題を起こす可能性がある。しかし最終的には子どもらは父親と行きたがる;母親が見送っているあいだ、子どもたちは普通には大人しく、ガードを下げて、自分の父親に好意的にする。これは重度の時とは対照的で、重度だと訪問が不可能になるか、あるいは逆に、絶え間ない中傷、財産の破壊、繰り返す挑発によって、訪問を不可能にするかのどちらかである。子どもたちの中傷のシナリオの主な動機は、母親との強い、健康的な心理的な結合を維持することだ。

    法的なアプローチ

    私は、中度の場合にはまだ、母親が主に親権を持つことを勧める、母親のPASの誘導が残るにもかかわらず。中度では通常、まだ子どもたちが最も深く結合してきた親であろうし、その役割を続けることは筋がとおっている。この裁定はいくぶんPASを和らげるかもしれないが、その症状がすべて消滅するとは考えにくい、彼らはこの命令がだされた時点ではとても密接に閉じこもった関係にあるからだ。

    ほとんどの事件では母親が主な親権者に裁定されるので、その後も訪問による面会への抵抗は続く。これは、父親が何らかの形で卑劣であるとして、母親と子ども両者の脳内回路が塹壕に立てこもった結果である。そこでほとんどの事件で、裁判所の命令をうけたセラピストが、自分の事務所を引き渡しの場所に使い、訪問がたしかに行われていることをモニターして、面会実施に何らの問題もないことを報告する必要が生じる。このセラピストはPASに精通し、特殊で厳密な治療アプローチをもって母親と子ども両者の症状を緩和できる人物でなければならない。

    どんな言い訳があろうと、子どもたちが父親を訪れていないほとんどの場合で、反抗的な母親は、様々な法的制裁が課されることを裁判所から警告される必要がある。これは反抗的な母親に面会への協力を「思い出させる」だけでなく、子どもたちにも大変に有用である。それは、この警告が子どもたちに訪問する口実を与え、母親に対しての後ろめたさを緩和できるからだ。そうでなければ、子どもたち自身は父親に会いたがっていることを、母親に認めることになってしまう。子どもたちは母親にこう言える。「わたしは彼が嫌いで、会いにいきたくない。でも、もし会わなければ、裁判官がお母さんを罰するでしょ。」 この点で、制裁の重要さは、実際には発動されなかったとしても、筆舌に尽くしがたい。

    私は一般的に、このような制裁の最初のレベルは罰金、たとえば扶養手当の減額など、を勧める。これが面会の実施に効果がない場合には、短い期間の自宅軟禁を命じられるべきだ。自宅軟禁の最初のレベルでは、女性は単に警察による伝統的な監視なしに「判決」の所定の時間枠の間、自分の家にとどまることを要求される。一般的には、数日の「判決」、例えば、子どもの週末の訪問の時間で十分だろう。その時間枠の間に外出したら逮捕されるということを周知徹底しておく。これが失敗した場合は、より正式なアレンジがなされるべきだ;つまり、足首に発信機をつけ、警察から24時間体制で、ランダムな時間に家に電話がかけられる。もしこれでもだめなら、短い期間、本当に留置する必要がある。私はこれらの女性が常習犯罪者の刑務所に投獄されることを推奨しない、むしろ留置場での短期間を提案している。ほとんどの場合、罰金の意識や投獄の可能性を意識することだけで、それら母親が父親の家に子どもを送り届ける十分な動機付けになる、そのような訪問にたいしての抵抗は残るにもかかわらず。残念ながら、私の経験では、裁判所は一般的に、こうした制裁を課すことを望まないため、それら中度のカテゴリーの母親は、PASのプログラミングをあきらめない。

    私は裁判所に、もうひとつ一般的な提言がある;同じ方法を、養育費を支払わない父親に適用することだ。通常このような状況下で罰金は課されないが、(特に週末)の短い刑期、家や刑務所内のいずれかで、は非常に有効であることが証明されている。子供にPASを誘導することは、児童虐待、より具体的には心理的な虐待の一形態である。養育費を支払わないことは、窮乏させるという点で、また児童虐待の一形態である。裁判所は両方の虐待者に、彼らのやり方を再考させるだけの権力をもっており、また裁判所はセラピストよりもずっと迅速かつ効果的にこれを行うことができる。

    精神療法のアプローチ

    裁判所の命令による治療、それも単にPASに精通しているだけでなく、その命令のために厳密なアプローチを用いることに慣れたセラピストによる治療が重要である。セラピストは訪問数を監視し、受け渡し場所として自分の事務所を使用し、面会を行う上でのどんな問題も裁判所へ報告する。裁判所への直接の連絡がとれず、裁判所が意味のある罰則を用意しないことには、この試みはうまくいかないだろう。この治療プログラムの詳細は、拙著「片親引き離し症候群」(ガードナー、1992)の230から245ページに示されている。

    中度のPASのほとんどの場合で、上記のプログラムが有効であることが証明されている。しかし、成功は裁判所とPAS家族のセラピスト双方が密接に協力できるかどうかにかかっている。裁判所が有効な制裁手段をとれなかったり(よくあること)、セラピストが前述のような治療に必要な条件を満たさなかったり(これもよくあること)すれば、子どもの症状を軽減できる可能性は低い。するとおそらく重度のカテゴリーへと進行する。このような状況では、重度のカテゴリへの進行と――と生涯にわたる疎外になる可能性――から子供を保護する唯一の希望 は、主たる親権者を父親に変更することだ。親権の移行は、しかしながら、以下のときに限られるべきだろう:母親からのプログラミングが非常に根深く長期にわたっていて、制裁やPASの治療プログラムが効果がないのが明確なとき。このような状況のひとつの例では、母親は明らかに偏執的で、治療に協力することを全く拒否し、投獄が彼女の妄想に何ら影響しないことが明白である。このような状況下では、PASが重度にまで進行し、父親と子の結合が最終的な崩壊することから子供を保護するために、親権の変更が必要である。変更後でも、母親から子どもたちの心へのアクセスは、様々な程度で、可能である――PASを誘導する操作をどれだけ自制できるかという、母親の能力に応じてであるが。子どもを洗脳から保護するために、母親との面会は監視下で行われるのが普通である。これは虐待する父親との面会に監視がつくのと似ている。結局のところ、子供にPASを誘導することは、子どもたちが保護を必要とする虐待の一形態なのだ。

    このような事情によって、中度のPASをプログラムしている母親の親権のためには、2つの選択肢がある。大多数の、その傾向が根深くも長期にもわたらない母は、罰則にも従うし、PAS治療プログラムにも参加することができる。私の経験では、中度のカテゴリーの母親の大部分は、このタイプである。しかしながら少数の母親では、長期にわたる洗脳の傾向が染み付いていて、罰則も特別な治療プログラムも効果がないか、あるいは効果がないことが予見できる。このような状況下では、子どもを重度のPASから防御せねばならない。これが表2のプランBである。

    重度のPAS

    症状

    重度のカテゴリーの子どもたちは、通常、狂信的である。子どもたちは母親と、父親についての母親の偏執的なファンタジーを共有する共有精神病性障害の関係になる。中度のカテゴリーに比べ、主要な8つの症状の全てが見られる可能性が高い。子どもたちは空想上のことにもパニックに襲われる。彼らの血の凍るような金切り声、パニック状態、および怒りの爆発は、面会が不可能なほど深刻になることがある。父の家に連れてこられたら逃げ去ったり、病的な恐怖で固まってしまったり、継続的に挑発したり破壊的になるために、連れ去らねばならないことがある。中等度および軽度のカテゴリーの子どもとは違い、彼らのパニックと敵意は父の家では低減できないだろう、母親と長い期間、分離された後でも。軽度および中等度のカテゴリーで子どもたちの主な動機が(多くの場合、偏執的な)母親との強い健康的な結合であるのに対し、重度における動機は母親との病的な結合の強化である。

    法的なアプローチ

    PASの症例ではほんの僅かな少数派である重度のPAS(私の経験では5から10パーセント程度)では、より厳格な措置がとられなければならない。子どもの症状が緩和できる望みがいくらかでもあるのなら、最初のステップで父の家へ看護の場を移さねばならない。これが永続的な移動になるかどうかは、母親の行動に依存する。子供たちは通常、父親の家に行くことに協力しない。これはPASの家族の治療に関して私が遭遇した最も困難な問題の一つで、セラピストはこれに直面することになる。私の提言は、裁判所はそうした子どもたちを、重度のPASを誘導している母親(偏執病が認めれる場合は特に)の家から引き離すべきだということだ。しかし厳密にいえば、私のこの提言は、裁判所や一部のメンタルヘルスの専門家にはまだ受け入れられていない。これが受け入れられない原因は、子どもたちは母親から離されるべきではないという根強い考えに基づいていて、これは彼女の心がいかに病んでいても関係ない。(表記の簡便さのため、この論文ではプログラムする親のことを母親と表記している。父親よりも母親がプログラマーである事件のほうがはるかに多いからだ。しかし、同じ原則が父親に適用される、もし父親がPASのプログラマーならば。)軽度や中度の場合、私の提言は裁判所に受け入れられやすい。それは子どもを母の家から引き離さないからだ。受け入れられないもうひとつの原因は、重度のカテゴリーの子どもたちは多くの場合、彼らの父を恐れていて、父の家にいることは危険であり、さらには致命的であるかもしれないという考えを吹き込まれてきたために、転居は不可能と考えられているからだ。しかし私の危惧は痛切である;この勧告の実施を裁判所が受け入れなければ、子どもがは母の家に残され、こうなれば父との関係も、偏執病といった永続的な精神病理を引き起こすことも、ひとしく運命づけられてしまうからだ。

    母親の家から父親の家への即時転送をおこなわずに、過渡的な仲介所を経て移動することで、即時転送にともなう問題の多くを解決できる。またこの方法なら裁判所も受け入れやすくなる。この仲介プログラムの詳細を説明する前に、子の受け渡しの最中が、PAS子供のために特に困難であることを再確認したい;このような状況では、両方の親が存在するので、子供たちの忠誠葛藤が最も深刻になる。 重度のPASに苦しむ子どもたちの場合、このような状況下での移行は事実上不可能である。ふつう父親は母親の家から子どもを連れてくることはできない。もし子どもたちの転居が強制されても、子どもたちは逃げ出すだろうし、母親の自宅に戻るためにあらゆる努力をするだろう。過渡的な場所への一時的な転居は、この問題に対する優れた解決法である。このように過渡的な場所では、子供たちは両親と一緒にされることがないので、前述の葛藤は回避される。

    重度のカテゴリーの母親は、洗脳を止めるようにという裁判所の命令に容易には従わないということは、繰り返し述べておくべきだろう。実際、母親が裁判所の命令を無視することは、重度のカテゴリーでの親権交代の根拠の一つである。ここで紹介するプログラムの主な目的は、母親と子どもの分離を状況に応じて補強し、母親の子どもへの操作・プログラミングの継続的なキャンペーンから子どもたちを守ることである。したがって、最初期には、母子のいっさいの連絡は遮断される、たとえば電話や手紙などの間接的なものでも。これら全ての連絡は洗脳の継続に使われかねず、この伝統的なプログラムが成功する可能性を著しく減じてしまう。

    過渡的な場所のレベル、段階、その他

    (訳注:ここで数ページほどにわたって、この「いったん第三者のところ(過渡的な仲介所)を経由する」方法の詳細が紹介されている。大変興味深い話題だが、遺憾ながら本邦の現状からは遠く離れすぎているため、現時点ではこの部分を省略する)。



    結論によせて

    PASの診断および治療アプローチを、表1および表2にまとめた。評価者は重大な格言を忘れてはいけない:「治療する前に診断しなさい」。この重要さは、どんなに強調されても良い。非医療分野からの評価者には、この重要な原則を見失う傾向がある。適切な検査とテストを実施しないままに心臓や頭を手術することはありえない。しかし、評価者と裁判所は診断カテゴリーの帰属さえままならない状態でPASの勧告を実施することがある。

    治療または法的措置を実施する前に、PASのカテゴリーを正確に判断することの重要性が、強調されすぎることはない。これを怠れば悲惨な過誤が発生する可能性が高い。この過誤は、すべての関係者に、深刻な精神障害をもたらす原因となりえる。私は、精神医療の専門家や法廷が、軽度ないし中度のPASを重度であると無分別に間違えたといういくつかの報告を読んだ。彼女らの洗脳のレベルは最小限であり、もし親権が認められていればPASは解決したかもしれない。しかしこの母親は投獄され、親権が父親に移行したという。また私は裁判所やメンタルヘルスの専門家が、子どもの状態ではなく、母親の洗脳行為に基づいてPASを評価した例を見てきた。このような場合、子供が軽度のPASの症状を示していても重度のカテゴリーと評価され、それによって母親の親権が奪われた。

    再び、PASの診断は、プログラマーの努力ではなくて、それがどの程度に「成功」したかによる。治療は、子供が疎外されている程度だけではなく、母親が洗脳を企てた度合いにも基づく。ほとんどの場合、親権は母からは移らない。親権や監護権が移行され、子どもの引き渡しプログラムが実行されるのは、彼女が洗脳をやめられないときか、やめようとしないときだけに限られるべきだ。この場合にも移行や引き渡しが行われなければ、子どものPASは進行して、病理学的なレベルは悪化する。

    父親への母親から親権変更が無条件で支持されるのは、重度のカテゴリーだけである。しかし、中度のPASでも、これが必要になることがある;もし母親の洗脳が根深く、しかも裁判のあとでも洗脳をやめない危険があるときだ。多くの場合、これらの中度のPASの子供が重度のカテゴリーへ進行していない主な理由は、父親からの健康的な接触が保たれているからだ。このような場合には、過渡的な仲介をするプログラムは必要ない。中度のPASによって父親は悩まされているかもしれないが、子供はまだ、自分の父親と面会できているので。

    私の経験では、軽度の場合に親権移行が支持されることはまれである。しかし、母親が狂信的であって、裁判後にも洗脳をやめないだろうときには、審査官は親権の移行を考慮する必要がある。子供が軽度のカテゴリーにとどまっている唯一の理由は、おそらく父親の健康的な関与のために、プログラミングが「受け取られて」いないからだ。

    明らかにPASは、親権を帰属するためのに考慮する多くの次項のなかのひとつに過ぎない。他の要素も考慮せねばならない、しかしPASの存在は――PASのレベルとともに――妥当な親権のあり方を提言する上で、非常に重要である。



    参考文献

    Gardner, R.A. (1992) The parental alienation syndrome: A guide for mental health and legal professionals. Cresskill, NJ: Creative Therapeutics, Inc.

    リチャード A. ガードナー医学博士はニューヨーク市のコロンビア大学、内科・外科医局、小児精神病の教授である。

    この論文は最近発表されたガードナー博士のThe Parental Alienation Syndrome: A Guidle for Mental Health Professionals (1992)への補遺のための労作である。PASの分野で働く読者からの連絡先は155 County Road, P.O. Box 522, Cresskill, NJ 07626-0522である。

    ガードナー博士の1998年の論文の感想

    ちょっとまだ、まとまってないながら。
    いま見返し中で、あとHTMLにするのにちょっと手間がかかる。

    関係ないながら、いまネコ捕獲機に、通称「あんちょび」がかかるのを待ってるです。
    いつもその捕獲機から餌を食べてたのに、今日に限って、来ない。
    そんで、うちでおなかいっぱい食べて、もふもふして、
    上機嫌で帰っていった(どこへ?)「しゃけ」が昨晩ひっかかって、
    またすごい怒っていました。開放したらぴゅーと走り去った(どこへ?)。

    今しがた、またご飯食べにきて、もふもふしていきましたが。
    鷹揚だなあ、しゃけ。


    母親への先生の視線

    ガードナー先生、母親たちの利権団体から、蛇蝎のごとく嫌われていました(います)。
    すごい反発にあった表現が、この論文にも含まれてた。

    あと、やっぱり感情的に叩かれていた内容が、もうひとつ含まれていた。
    これはその叩く記事を私がたまたま見ちゃったっていうだけで、
    圧力になってたかどうかはわからないながら。

    しかし思うに、この先生が母子にむける視線は、
    たいへん暖かで柔らかいものではなかったかなあ。

    先生、母子を引き離すことには、かなり反対してました。
    これは論文を素直によむと、明々白々です。
    本当にどうしようもないときだけ。
    他に道がないときだけ。
    その状況が解決する間だけ。
    子どもを母の洗脳から守れと言っています。
    それななぜかといえば、

    なによりも子どもが大切

    と思ってたからでは。
    母親が抱え込んでしまって、(これを塹壕にこもると表現してます。時代かな。)
    そこに司法が介入しないと、(セラピストには手が出せないから)
    わりととんでもないことになる。
    それがわかってるから、義憤にかられている。
    口には出してないけど。
    「こら裁判所! 現実を見ろ! 考えろ! 仕事しろ!」
    と言っているよう。

    このへんの状況は日本と似てるかもしれない。
    もっともアメリカの司法はもっとパワフルみたいですが。
    日本の家裁には、使えるオプションが、ぜんぜんなさそうだし。
    面会交流に応じない母親への罰則、なさそうだなあ。
    使える予算も少なそうだよなあ。
    証人をよぶ金とか、ないんじゃないかしら。暖房費も切り詰めてるくらいだし。

    背景の違いと、違和感というか羨望

    もう面会交流は必須、あたりまえ、週末は父の家に泊まるもの、それが当然。
    引き渡さないときは罰則がある、逮捕もされる。
    これが前提になってる。
    1998年。ふう。日本があと5年以内にこうなってるとは思えない。

    「洗脳する親は母であることが圧倒的に多いから」ここでは洗脳親を母親と標記する。
    いくらシンプルになるからっていっても、
    それはポリティカリー・コレクトじゃないっすよ先生。
    まあ案の定、いつまでもこれが突っ込まれていくわけですが。
    これは時代かな? いや2Kのころって、すでにこれアウトじゃなかったか?
    私そのころ、ケータイもってたっけ?
    Win98? 漢字トーク7?

    とはいえ、母が抱え込む図ってのは、共通するみたいだ。
    これ本能に近いなにかなのかもしれないなあ。
    本能が暴走すると、
    まあ本能って、きちんと書かれたもんじゃなくて脳みその傾向なので、
    暴走することがあって、これまずいんだよな。
    そのひとの知性を破壊しかねないので。
    いくつかの遺伝子が暴走するとガン化するのと似てるかもしれない。
    子が育っていく過程も本能ベースなので、
    そこをうまく文化なり知性なりが利用できれば理想的なんだろうけど。

    もうひとつ人の心でやっかいなのは、
    暴走したプログラムがハードウエアを破壊するということ。
    コンピュータじゃ、これは滅多にないのだけど。
    たぶん血流とかが変わるんじゃないか。
    で、壊れたら再生されないのが脳だから。
    鬱でも、たとえば、すごく重いやつは脳みそに痕跡がのこって(可視化できる)、
    将来たとえばアルツハイマー病になるリスクが有意に上昇するようです。

    精神病は、ひどいやつだと治らないのは、この再生しないせいですたぶん。
    発作的な症状はコントロールできる(やつもある)し、
    だめならだめなりに生きていく方法を見つけることになるんだろうけど。

    幹細胞いれて、なんとかできないかなあ。

    論文と査読

    この論文はまともに査読されてないですね。編集も最小限とみた。
    繰り返しフレーズが多くて、きりつめれば2-3割は短くなるっぽいし、
    用語の統一も甘い。

    さて素人なので、心理学のいわゆる論文をあんまし読んだことがないのです。
    まるでないわけじゃない、最近は定量的な仕事も増えてる。でも、
    数値化するのにはみなさん苦労しているみたい、エイヤッと感が強い。
    あと、おいおいっていうようなノンパラなモデルがよく出てきて、
    このへんをきちんとしていくのは、けっこう難しそう。

    いわゆる自然科学の土俵にはまだ乗ってないだろうと思われ。
    すると、誰が言ったことばなのか、といったようなことが重要になる。
    PAに異論が多い理由の半分くらいは、ここにあるんじゃないかな。
    意見と事実の区別、意見を裏付ける定量的な知見、といった扱いが、
    どうしても難しいんだろうな。

    用語といえば、PAS 片親引き離し症候群 の定義がない。
    あるいは、論文のなかでもちょっと揺れていそう。
    やっぱPAのほうが正確ですね、そこは批判に答えたからだろう。

    母親からの反発

    裁判所が面会に従わないで抱え込む親に、なんらかの罰則を与えることの
    効能を紹介してますが、そのなかに秀逸なやつがあって、
    子どもがこれを、もう一方の親にあう口実にできるっていうんですね。
    なるほど!

    ここに噛み付いたひとがいて、
    「裁判所がいうから、仕方なく、父にあうよ」
    という子どもの台詞とともに、子どもが可哀想だろというキャンペーンを張ってる。
    まあ同じ舞台を、違う方向から見てるだけですけど。
    私はこっちの「噛み付き」の方から先に読んだので、
    ずいぶん感情的なHPだなあとおもってたんですが、
    この論文をみて、まあネタがばれた、みたいな。

    どんだけバカなのかと。

    面会とPAS

    まあなんです、面会していても、母が洗脳する気になれば、
    PASになる(こともある)んだなあと。

    母親の利権団体

    どうしても、こういうのって、
    被害妄想的にならざるをえないのかなあ。
    平等な社会の実現を、ってことで立てばいいのに、
    弱者救済をって立場になるから、おかしくなっちゃうんじゃないかしら。
    もしそうなら、それはリベラルじゃないんじゃないか。

    とか思う。

    あと、なんでか、アンチPAの主張には知性が感じられない。
    利権が根っこにある主張だからじゃないかなあ。
    たまたま、悪い例が先に、ぐぐると飛びだしてくるようになってるのかもしれませんけど。

    このブログとか、ぐぐっても出てこないよね、きっと^^。

    2014年4月6日日曜日

    本家はすごい

    おもえばガードナー先生のを初めて詳細に読んでます。

    やっぱ本家はすごいや。表現がナマっていうかシズル感があるっていうか。

    ちょっと泣きそうですよ。やめてー。ですよ。

    急がなきゃ。

    2014年4月5日土曜日

    裁判・翻訳・親権事件における洗脳

    AUSTRALIAN FAMILY LAWYER, v. 4(3), 1989, p.1 

    親権事件における洗脳:片親引き離し症候群


    ケネス・バーン

    序論

    離婚は、ほとんどの人にとって、一生の間に経験する最も過酷な経験の一つである。多くの場合、苦痛、裏切り、怒りと、かつてのパートナーへの不信感といった強い感情が伴う。それぞれの当事者は、多くの場合、そのカップルが互いに同意できない問題について、自分たちの方が正しいと感じる。子どもがいるときには、この図式は際限なく複雑になる。様々な対立のなかでも、子どもに関する重要事項には、特に関与したがったり、決定権を持ちたがる傾向が、よく見られる。カップル間により複雑な問題があり、より強い負の感情があるほど、これが事件化されやすくなる。

    いくつかのケースでは、子どもの同意を得たいという親の願望は、洗脳といってよい域に瀕する。ここでは洗脳という言葉を、片方の親の次のような子どもへの働きかけに対して用いる:その子どもが持っていた他方の親への肯定的な認識を放棄させ、自身がもつ否定的な認識に同意させること。働きかけがここまで強い場合、その親の動機は、単に子どもたちの同意と支持を得ることという範疇を超える。一般的に、洗脳をする親は、他方の親への子どもからの愛情を奪うことによって、その親に復讐をしたいということに動機づけられている。

    典型的な例には、他方の親の明白な弱点に言及し、それが親間の問題の主な原因であると非難することが含まれる。その親の肯定的な特性については全く触れない。両方の親が問題に貢献しているという事実も省かれる。

    この種のやりとりは、少なくとも二つの点で、心理的に破壊的な影響を持つ。第一に、それは子どもを、忠誠心を競うコンテストの真ん中に置くことになる。このコンテストにはたぶん勝てない。子どもは、好ましい親が誰であるかを選べと言われている。どちらを選んでも、子どもは痛いほど後ろめたく、混乱するだろう。大多数の事案で、子どもは両方の親との関係を継続したいと考えるからだ、親どうしの葛藤とは切り離して。

    第二に、子どもが現実を評価するためには、交代の必要がある。片方の親はすべての問題に責任があるとされ、一つも良いところがない人だとされている。こうした認識は、いずれも、看護親の現実認識の歪みを示すものだ。たとえば、晴れた日に子どもが夏服で外出して、快適に感じているとする。片方の親が「いまそとは雨だし、寒い。レインコートとジャンパーを着なさい」と言う。その親を鎮めるためには、子どもは指示に従って行動し、子ども自身の現実認識を曲げる必要がある。

    そのような行動は単に親の指示にしたがっているだけで、それは子どもならいつもそうすべきだと主張する人もいるだろう。しかし、健康的な意思疎通としては、子どもには正確で適切な現実認識をさせるべきだ。 ( 「勉強したくないことはわかるんだけど、しないと、試験に落ちるよ」)。

    離婚の渦中にある大人は、なかなか客観的になれない、特に配偶者については。しばしば、子どもは何週間、何ヶ月、何年にもわたって、ずっとそうした歪みにさらされる。多くの事例で、子どもは一方の親から、正反対の情報を与えられる。この集中砲火を浴び続けた子どもたちは、不可避的に、重大な精神的混乱をおこし、外界の認識に歪みをもつようになってしまう。

    親権や面会の問題を解決する手段を見つけられなかった離婚では、親たちは法制度に頼ることが多い。ほとんどの場合、それぞれが自分の弁護士の助言を求め、裁判に臨む。こうした争いの効果の一つとして、それぞれの親が他方についての一連の「ホラー・ストーリー」の必要性に気づく、ということがある。その直感は、一方がよりたくさん、より鮮やかに、相手を「より悪い」ことを示すことができれば、親権(場合によってはより多くの面会)を得るかたちで「勝利」できるというものだ。

    片親引き離し症候群

    親権や面会が争点になっている事件例において、メンタルヘルスの専門家たちは、洗脳の極端なかたちがみられる頻度が高まっている現実を見てきている。この洗脳はリチャード•ガードナーによって片親引き離し症候群(PAS)と紹介された現象である(最初の出典はDr. Richard Gardner, "Recent Developments in Child Custody Litigation", The Academy Forum Vol. 29 No. 2: The American Academy of Psychoanalysis, 1985である)。

    このような状況に苦しめられている子どもたちは、一方の親によって強烈で持続的な形で、他方の親に背くように洗脳が施される。この明白な目標は、ほとんどの場合――最低でも――他方の親への子どもからの接触を劇的に削減することである。通常その目標は、その子の人生から、実質的にその親を消し去ることになっていく。

    例: 蘇椒夫人は彼女の二人の子ども、5と8歳の、が父親に面会することを嫌がり、面会の日が近づくにつれて泣いたり嫌がる傾向が何週間か続いていると事務弁護士(solicitor)に訴えた。そして毎週の訪問を、2週か3週おきに減らすか、「子どもたちをこの圧力から免れさせるために」全く取りやめることができないかと持ちかけた。

    蘇椒夫人は10年間、彼女の最初の夫、只野氏と結婚していた。彼女は4年前に離婚し、蘇椒氏と再婚した。事務弁護士は、法医学心理学者の中立博士に相談することを要求した。

    両方の子どもの父親である只野氏は、彼の事務弁護士に訴えた:彼の元妻は、だんだん子どもに会うのを難かしくしている。それは、子どもを引き渡す際に、だんだん長い時間待たせることから始まった。最近では、子どもたちはふくれっ面で、只野氏が「意地悪」だったと言うようになった、小さい方の子も上の子を真似て。週末に面会するときには、これは金曜日の夜に始まって土曜日の朝まで続く。ランチタイムには両方の子どもたちが幸せに見えるようになり、それは母の家に送っていくときまで続いた。しかしこの時点で、子どもたちは、再び父親を軽蔑し始め、たとえばこう言い出す。「お父さんなんか好きじゃない。楽しんでいたふりをしていただけだ。」 

    中立博士が上の子ども、ジョー(8)に最初に問診したとき、ジョーは彼の父をとても嫌って、頻繁には会いたくないと述べた。その理由について質問されたとき、ジョーは「父さんは僕を叩くし、テレビを見させてくれない」と述べた。この子は父親について肯定的なことは一切言わなかった。ひるがえって、母親は様々に褒め称え、ひとつの苦情も言わなかった。

    妹のリサ(5)は、ほとんど兄の言葉を繰り返すだけだった。父親に会いたくない理由は「会いに行くと、父さんはただ座っているだけで、私に夕食の料理をさせるの!」。リサもまた、父に対しては肯定的なことは見いだせず、母には一切の苦情を言わなかった。

    父と二人の子どもとでいっしょに問診をしたとき、ジョーからの苦情が父に明かされた。只野氏は息子の証言を直ちに認めたが、より詳しく説明した。彼はテレビを見る時間を2時間までに決めてあった。その時間になったのでテレビを消した。最近の土曜日の朝、ジョーはこの決まりを破ったので言い合いになり、只野氏は一度だけジョーの尻を叩いた。

    蘇椒夫人との問診で、すぐに、彼女が前夫を軽蔑していることが明らかになった。別居からずっと確執があり、両者間には苦い非難の応酬があった。彼女自身は子を励まし、ときには強制して子どもを面会させようとしていると強く主張した。嫌がっているのは子どもたちだと。彼女から提案された解決策は、より少ない面会の機会だった。彼女の今の夫を単独で問診した際には、彼は蘇椒夫人の彼女の辛辣さをただそのまま繰り返すだけだった。彼の意見では、子どもたちの父親は肯定的な美徳を何を持っていないので、子どもたちのためには、これからは自分の父親には会わせないほうが良いだろうとのことだった。

    只野氏の心理的な評価は、彼は理屈っぽく頑固な性格で、いくぶん付き合いづらい面があることが示された。彼はまた、子どもたちに申し分のない愛情と支援を提供し、深く関わっている、とても適切な父であると見て取れた。

    蘇椒夫人の評価では、献身的で有能な母親であるものの、彼女が未成熟であり、自身の感情が判断より優先する傾向が指摘された。

    裁判所と関係者に提出された報告書に、中立博士は片親引き離し症候群の診断書を作成し、この問題の解決のための提言を行なった。

    この事件では、疾病の全ての症状が顕在化した状態になっている。その症状は以下の通り。

    1. 子どもは両面感情を全くなくしている。つまり、一人の親はほぼ完全に否定的に、もう一人はほぼ完全に肯定的に書かれている。

    2. 片方の親を嫌うのには理由があるようにも見える。しかし調査結果は、それら理由が薄っぺらく、誇張であることを示している。年下の子では、その理由はさらに薄弱である。

    3. 子どもは、片方の親とより少ない接触を望むという意見を、すらすらと迷いなく提案している。これはリハーサルや練習をしたと思われるクオリティだった。

    4. 子どもは、こう苦情を述べられる親の心情に、ほとんど何の関心ももたないようだった。

    5. 疎外親は子どもの最善の利益のためのように見せかけながら、実際には子どもと他方の親との関係を破壊するために行動している。この行為が、新たな配偶者または内縁関係にあるものによって強化されることは珍しくない。

    6. 最も重要なのは、子どもたちは口先で一方の親を侮辱する一方、彼らはその親のための親近感と愛情を隠し持っている。しかしながら、この症候群が見過ごされて悪化すれば、これら全ては疎外親によって消し去られることになる。

    これらの症状は、親が親権や面会のための法廷闘争に明け暮れている子どもたちに、もっぱら見られている。より長期間、より激しい論争になるほど、これが起きやすくなる。

    片親引き離し症候群は、そこに複雑に絡みあったたくさんの要因があることの顕れである。それはおそらく、単純な洗脳という範疇をずっと超えている。それは疎外親にある多数の要因(意識にのぼる部分と、潜在意識の部分からなる)によって始まり、推進される。しかもその子どもは、疎外親とは独立して、他方の親に明白に対立する立場を守るため、意識にのぼる部分と潜在意識の部分からなる理由によって、自ら積極的に行動することがある。(訳注:この子どもが積極的に疎外に関わっていくという現象から、たとえばリチャード・ガードナー博士は、これを「洗脳」とは表現しなかった。)

    上記のケースは比較的「純粋な」形態の症候群である。より普通には、他の多数の因子によってもっと複雑になる。例えば、子どもの性的虐待の疑いは、親権争いの間、より高い頻度で申し立てられる。多くの場合、子どもは他の親(通常は父親)が子どもを虐待したことの詳細を報告する。これらの主張の中には、筋が通ったものもあるが、より多くは、この症候群の症状の現れである。子どもの誘拐は、しばしば州または国境を越えて、より頻繁に報告されている(1988年にメルボルンで開かれた家族法200年記念会議で、ローレンス・スポッターは次のデータを示した。1973年から1979年の間に、米国領事局に報告された国際的な子の拉致事件は85例であった。これが1983年から1988年までの間では 1516に跳ね上がっていた)。これら事件のような法的な異議申立ての山の頂には、この症候群による要素が、仮に全てでなかったとしてもほとんどの事件において、加わっている。

    専門家の誤った判断

    私は次のような事件に何度か遭遇したことがある:メンタルヘルスの専門家が、自分の扱っている事案の本質に気づかないまま、こうしたシナリオに巻き込まれていったケースである。

    ケース1:裁判所の要請により、精神科医の熱血医師は、メアリー(6歳)の親権に関する評価を実施した。それぞれの親と一回ずつインタビューした後、熱血医師は父親に親権を与え、母には制限つきの面会権をあたえることを提案した。裁判所は、この勧告に従った。母親はこの決定に対して上訴を申し立てた。裁判所はその最初の決断をした後、父が熱血医師に、娘の治療を依頼した。熱血医師はこれを了承し、父親と娘が週一回ずつ問診を受けることになった。しかし、熱血医師は治療に母親を含めず、父親も博士も、娘が治療を受けていることを母親に伝えなかった。

    次の公聴会で、父親は熱血医師からの、現在メアリーを治療していることを示す書簡を提出した。その書簡では、子どもが母におびえていたことが記され、今は6歳であるメアリーの、3歳のころ母からどういうふうに叩かれたかの証言を紹介している。医師はこう結んでいる:「私の考えでは、メアリーの感情の状態は、母親と面会できるほどには安定していない。通常のように面会できるようになるまで、どのくらいかかるかはわからない。」さらに、「もし面接を始めなければならないのなら、独立した第三者(たとえば州の社会福祉事業部門のような)の監視下で行われるべきだと思う」。

    ここで熱血医師は、すでに一度会ったことがある母親を関与させないで子どもを治療している。彼は6際の子どもがおそらく思い出すことができそうにはない記憶を、疑いもなく受け入れ、父親によるプログラミングの可能性を全く考えていなかった。おそらく最も問題なのは、たった一回の母子同伴のインタビューから、子どもが母親と面会するには不安定すぎると結論づけたことだ。

    いくつかの質問が提起できるだろう。母がそんなに破壊的で恐ろしいのなら、普通には治療の焦点は母と子の再統合にあって、セラピストのオフィスなど、より慎重に母の育児能力を推し量れるような安全で制御された環境でなされるべきではないだろうか? もし問題が見つかったのなら、その子のためにも母親にセラピストをつけて、もっと有効に親業が勤められるよう母親を訓練するべきではないか? そして、6歳の女の子を、母親の関与なしに、扱えるものだろうか?

    ケース2 :母親が家族問題専門の開業医に、5際と7歳の二人の子どもを連れてきて、子どもたちが父親と面会することにたいへん消極的であると説明した。その医師は母親の事務弁護士(solicitor)に次のような手紙を書いた:「私は診療所で、ビリーとサリーに午後2:10 にインタビューした。もし必要ならビデオを録画してある」。

    「どちらの子どもも、父親に会いたくないと意思表示をした。父親との面会を断わりたいというのがビリーとサリーの、個々の、かつ個人的な願いであるというのが私の意見だ。また、私の専門家としての意見は、このような面会が許可された場合、児童の福祉に有害であろうということだ。」

    医師は母親と子どもの発言を、額面通りに受け入れた。医師は父親のことを知っていたが、その父親には相談することなく、母親の事務弁護士に専門家としての意見を提供した。彼の推論の根拠は、これら5歳と7際の子どもたちが、自分たちの父親と面会して関係を保つかどうかが自分たちの最善の利益にどれだけ影響するかを自ら判断できる、ということにあるようだ。

    いずれの場合も医療の専門家は、他方の親や夫婦間に内在する問題を注意深く調査せず、一方の親の「動機」のために、その権威の重さを用いて、意見書を作製した。まず間違いなく、両方の専門家ともに、意欲的ではあった。ただ、経験不足で軽率であった。私の意見では、彼らの努力は、もともと困難な状況をさらに悪化させただけだ。二人ともに、公平な審査官として仕えるかわりに、一方の当事者に操られてその擁護者となる誤りを犯してしまった。

    事務弁護士(ないし法務官)のためのガイドライン


    1. 面会訪問を減らすか、または中止したい親や子どもたちに直面した時は、(健全な程度に)懐疑的な態度を崩さないこと。忘れるなかれ:疑いの余地なく物理的・性的に虐待されているような子どもでさえも、見知らぬ人と虐待について議論することには、非常に消極的であるものだ。子どもが事務弁護士(ないし法務官)に、ほとんど否定的な批判を進んで提供してくるときは、あなたの内なる警報ベルをオフにしておくこと。

    2. 両方の当事者から話を訊くためにあらゆる努力をすること。これにはより柔軟に機会に対応する必要がある。法的なトレーニングは敵対精神を植え付けるように設計されており、そしてこのように子どもたちを使う親たちは、すばやく人の「心のジュース」をかき回して「この子のために戦う」ように仕向けることができる。両者から話を聞いたとしても、後で敵対することはできる、もし必要であれば。当事者たちとその事務弁護士たちによる、先入観のない円卓会議をアレンジする努力をすべき。

    3. 着手する段階から、公平な審査官としてだけ関与する専門家(たち)を選びなさい。この人達は、引きこまれて、どちらかの擁護者になる危険性がより低い。この選択にはリスクがある;クライアントは勝つためにあなたを雇っているだろうけど、もし選ばれた人があなたのクライアントによって不都合な意見をもっていれば、あなたは戦いに負けるだろう。しかしながら、子どもの最善の利益に誠実な意見を得る可能性は、格段に高まる。そうした意見は、あなたのクライアントの利益でもあるはずで、このように専門家が判断したという事実は、裁判官に信頼を得やすい。

    4. 本当に最後の手段としてだけ、法廷訴訟を使いなさい。
    訴訟は、子どもへの心理的に有害である。カップルが裁判所に行く機会が増えるほど、より多くのダメージを子どもたちに与える。裁判所が唯一の答えである場合もあるか? イエス。しかし、それは実際に裁判になる事件の数ほど、多くない。

    5. 法廷の代替策を検討しなさい。本当に公平な審査官による徹底的な評価は、多くの場合、裁判所に行く前に事件を解決するのに役立つ。カップルがカウンセリングに同意する場合なら、これは明らかに好ましい解決策である。しかし、カップルが弁護士のところに来るような時には、彼らがそのような忠告に従う可能性はわずかしかないだろう。もう一つの選択肢は、すべての当事者が合意した機関への、裁判所命令でのカウンセリングである。これを実現させるためには、一定の前提条件が必要不可欠である。この計画は、双方の弁護士が賛成する必要がある。機密保持のための通常の規則に何か変更があるときは、書面で合意される必要がある。セラピストにはかならず全ての関係者と面会できるように保証する必要がある、かりにそれがどのような組み合わせであっても。新しい配偶者または内縁関係者も立ち会えるようにしておく必要がある。セラピストはその家族と仕事をするために十分な時間をとれる必要がある―― これらのケースは、1回ずつの問診では終わらない。当事者たちがカウンセリングを望む必要はない。彼らが裁判所の命令に従うこと、そして彼らがこれを、その法廷闘争に利するものと理解していることだけが不可欠である。

    結論

    片親引き離し症候群は、一方の親による、子どもへの徹底的な洗脳を示すものだ。これは親権や面接権の争いの過程でいつも見られる。洗脳親の目的は復讐である。子どもの人生に意味のある関与ができないようにブロックすること以上の復讐はない。この症候群には明確な徴候や症状があり、適切な方法によって、診断と治療ができる。この症候群は、子どもに性的虐待や誘拐が疑われている状況のなかにあるとき、より複雑なかたちで現れる。こうした問題について経験や知識を欠く専門家は簡単に欺かれ、この専門家による間違った努力が、既に悪い状況をさらに悪化させることがある。

    バーン博士はビクトリア州クリフトン•ヒルで開業する、臨床および法医学の心理学者であり、モナッシュ大学心理医学科の名誉講師である。

    2014年4月4日金曜日

    嘘つきに関してのDSMの記述

    これが意外と、なさそうなんだなあ。

    バーネット先生がいう病的な虚言って、見当たらないんですよ。

    ぐぐっても、ぴんとくるところがない。
    目次みてもない。

    いくつかのパーソナリティ傷害が近いっていえば近いのだけど、
    たとえば 反社会性パーソナリティ障害 から犯罪歴をひく とか
    演技性パーソナリティ障害 から性的誘惑をひく とか
    境界性パーソナリティ障害 から自殺・自傷をひく とか
    自己愛性パーソナリティ障害 に粘着性をたす とか。

    これまで、妻の様子にいちばんピッタリきた描写は、
    M・スコット・ペックさんの
    「平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学」にある邪悪 (evil) でした。

    その後、これら人々はサイコパスと言われるようになったみたいですが、
    まあそこから犯罪というか違法をひいた状態がいちばん近そう。

    もしかして、いくつかのパーソナリティ症候群のコアに、
    自分を愛するあまりに正当化された虚偽行為
    があるんじゃないかな。

    ちなみに、虚偽性障害
    病院外に拡大したかんじでもあります。
    やっぱDSMは医療関係者むけのマニュアルだから、どうしてもそっちが手厚くなるんじゃないか。
    これバーネット先生に聞いてみよう(ぼちぼち、うるさい素人になってないといいんですが)。

    2014年4月3日木曜日

    DSM-5の関連項目 試訳 虚偽性障害

    その他の症状に影響する心理学的な要因

     (p. 322)

    虚偽性障害 (p. 324)


    診断分類 300.19(F68.10)


    自分にたいしての虚偽性障害


    A. 身体的・精神的な兆候や症状を改ざんする、または実際に傷害や病気を引き起こし、その手口が露見した場合
    B. その人自身が病気である・障害をもった・傷害をうけたと訴える。
    C. (その嘘による)利益がはっきりしなくても、行為の虚偽性は明白である。
    D. 行為が、たとえば妄想性障害などの他の精神疾患では、より良く説明できない。

    他者についての虚偽性障害(代理虚偽性障害を改題)


    A. 身体的・精神的な兆候や症状を改ざんする、または実際に傷害や病気を引き起こし、その手口が露見した場合。
    B. 別の人(被害者)が病気である・障害をもった・傷害をうけたとして提示する。
    C. (その嘘による)利益がはっきりしなくても、行為の虚偽性は明白である。
    D. 行為が、たとえば妄想性障害などの他の精神疾患では、より良く説明できない。

    自分・他者のいずれも、以下のいずれであるかを特定すること:
    単発性
    繰り返しておきる (二回以上の詐称・または自傷)

    記載方法

    患者が他者(たとえば子供、大人、ペット)の病気を詐称するときに、「他者についての虚偽性障害」という診断名を使う。その被害者ではなくて、加害者のほうに診断名がつく。被害者のほうは、虐待かもしれない(たとえば995.54 [T74.12X] 物理的な児童虐待、「その他の、医療上に注意すべき状態」の章を参照のこと)。

    診断の特徴

    虚偽性障害の要諦は、自分自身または別の人の医療・精神医療上の兆候や症状を改竄し、それが露見していることである。虚偽性障害の患者は、傷害や病気をおこさせたあとの自分や被害者にたいしての救済策を探すこともある。この診断のためには、その患者が(外的な)秘密裏に症状や兆候を偽り、真似し、あるいは実際におこさせたりすることの立証が必要である。虚偽の手口の例としては、誇張、でっちあげ、真似、実際に引き起こすことが含まれる。なんらかの病状がもともとあった場合、ごまかし行為や実際に傷つけたりすることは、その本人(ないし他者)がより重い病気ないし不全になっていると見せかけるので、より強い医療の介入につながるだろう。虚偽性障害の患者は、たとえば、配偶者の死別のあとの抑うつや自殺傾向を訴えるが、死別が虚偽だったり、実際には配偶者がいなかったりする;神経学的症状の詐称(たとえば発作、めまい、失神など);検査に手を加えて異常な結果を導く(たとえば尿に血液を加える);病気であるように医療記録を改竄する;物質を摂取して検査結果を異常にしたり病気を引き起こす(たとえば糖尿病につかわれるインシュリンや、血栓予防に使われるワルファリン);物理的に自分を傷つけたり、自分や他者に病気を起こしたりする(たとえば排泄物を注射して膿瘍をつくったり敗血症をおこさせたりする)。

    診断のための支持的な特徴

    いずれの虚偽性障害の患者も、彼ら自身や別の人を傷つけることによる、強い精神的苦悩や機能不全に陥るリスクを抱えている。患者の家族・友人、そして医療関係者は彼らの行為から悪影響を受ける。虚偽性障害は物質使用傷害、摂食障害、衝動調節障害、小児性愛、そしてその他のいくつかの障害と、行動上のこだわりと、病的な行いを秘密裏に行うための内なる努力という点で、共通点がある。虚偽性障害のいくつかの面は犯罪的な行為である(たとえば他者についての虚偽性障害で、親が子どもに虐待をはたらいていたとき)が、こうした犯罪的行為と精神疾患は、相互排他的ではない。虚偽性障害の診断は、意図の推定や水面下の動機というよりはむしろ、疾患の兆候と症状の客観的な帰属を重視するものである。さらに、こうした行為、実際に傷害や病気を引き起こすことをふくめて、はごまかしに基づくものである。

    有病率

    虚偽性障害の有病率(罹患率)は不明である、この病態に特有な偽りが調査を難しくしているのだろう。入院患者のうち約1%が虚偽性障害の要件をみたすと見積もられている。

    発病と経過

    虚偽性障害の経過は、ふつう間欠的な症状の出現をたどる。一回だけ、あるいは慢性的・持続的におきることは珍しい。発病はふつう若い大人のころで、しばしば精神状態ないし精神病のために入院したあとである。他者に対する場合は、その患者の子どもなどの入院の後であろう。病気の兆候や症状の虚偽やだれかを傷つけるような行為を再発する場合、このような医療従事者を欺く行為、それによる入院を含む、は一生続く可能性がある。

    これとは異なる診断

    看護者で、虐待による患者の傷害について嘘をつく場合は、自らの責任を回避するための嘘なので、虚偽性障害とはいえない。明らかな外的な利益があるからだ。(クライテリアC:(その嘘による)利益がはっきりしなくても、行為の虚偽性は明白である。)ただし観察、医療記録の調査、そして・あるいは人々へのインタビューから、自己防衛に必要な分よりもより頻繁に嘘をつくことがわかったら、この看護者は他者についての虚偽性障害であると診断される。

    心身症 心身症では、認められた医学的な問題の原因を探るために、特別な注意とケアが必要になるだろう。しかし、その患者が偽の情報を与えたり、だまそうとして行動することの証拠がないのなら、虚偽性障害ではない。

    仮病・詐病 詐病は虚偽性障害とは、個人的な利得の大きさという点で異なる(たとえば、お金や、仕事の休みなど)。特にそうした報奨がない場合でもおきるのが虚偽性障害である。

    転換性障害(機能的神経学的な症状) 転換性障害は神経学的な症状であって、神経の病態生理学とは異なる。神経学的な症状を伴う虚偽性障害は、症状を偽ることにおいて、転換性障害とは区別される。

    境界性パーソナリティ症候群 自殺の意図がなく、意識的に自分を傷つけるのは、たとえば境界性パーソナリティ症候群との関連でも起きる。虚偽性障害と診断するには、傷害が騙すためであることが必要である。

    意図した症状の虚偽とは結びつかない病状または精神疾患 診断がつくような症状や精神状態と一致しない、病気の兆候や症状を訴えることは、虚偽性障害の疑わらしさを高めるものである。しかしながら、虚偽性障害の診断は、真の病状や精神疾患を否定するものではない。しばしば、虚偽性障害はほかの病気を併発するからだ。たとえば、血糖値を改ざんして症状をつくりだす患者は、実際にも糖尿病であるかもしれない。

    2014年4月2日水曜日

    ところで

    使用は自己責任でお願いしますね。
    っていうか、まさかとは思うけど、
    ブログよんで診断しないでね。
    ここに書いてありますよとか言われたら、私なら、主治医かえるね。

    面白い本じゃないですね。半分くらいは、法律みたいだ。
    どうしてもこういうスタイルになっちゃうんだろうな。

    そして、実際にはあんまりシステマチックじゃない。
    これはこの学問分野の限界なんだろう。
    システマチックであろうとしている努力は理解できるけど。

    まあそれは私達の肩にもかかっているので、うーん。。。

    それはともかく、6版目はネットで公開してほしいな。
    安い本だし、刷ってもたいして儲からないだろう。

    現状、検索がプアすぎ。
    読み込んだ(書いた?)専門家がダイジェストしてくれないと、
    現場では使いづらいだろう。

    医者は、本ではなくて患者をより見るべきだし。

    あと、章立てがわかりにくい!
    これはレイアウトのセンスの問題だと思う。
    章ごとのフォーマットが必ずしも統一されてないんじゃないか。
    番号ふってくれてあればなあ....
    トーシロが文句いいすぎ?

    DSM-5の関連項目 試訳 その他の統失スペクトラム

    その他の統合失調症スペクトラムと、その他の精神病性障害

     (p.122) 298.8 (F28)

    このカテゴリーは、統合失調症スペクトラムとその他の精神病性障害に特有な症状:すなわち社会的・職業的またはそのほかの重要な機能上の不全・苦悩を示し、統合失調症スペクトラムやその他の精神病性障害の疑いがもっとも強いが、しかしこれらの内のどの診断クラスとも完全に一致するわけではない症状にたいして用いられる。この「その他の統合失調症スペクトラムとその他の精神病性障害」は、臨床医が、その症例が他の統合失調症スペクトラムとその他の精神病性障害の他のクラスにも当てはまらない特別な理由を示すために用いる。この「その他の統合失調症スペクトラムとその他の精神病性障害」を記録した上で、その理由を特記すること(例えば、「持続性の幻聴」など)。この特記理由の例としては、以下のものが含まれる:

    1. 持続性の幻聴が、その他の症状なしにおきること。

    2. 気分障害と同時に起きる妄想: これは持続性の妄想で、妄想性障害のかなりの部分が気分障害と同時期に生じる場合を指す(だから持続性の妄想がたまに気分障害を起こす場合は当てはまらない)。

    3. 弱い精神病性障害症候群: この症候群は、精神病性のようであるが、完全に精神病性障害であるための閾値に達していない場合に用いる(たとえば、症状がより穏やかで一過的で、洞察力が比較的に保たれている場合)。

    4. 妄想性障害の患者のパートナーにおきる妄想症状: 関係のなかで、上位にあるパートナーの妄想が、それ以外には妄想性障害の基準にあてはまらないもう一方の人に、その妄信を植え付けてしまった状態。

    DSM-5の関連項目 試訳 虐待とネグレクト

    DSM-5の関連項目 試訳

    その他の、医療上に注意すべき状態 (p715- )


    虐待とネグレクト

    家族(たとえば保護者、親しい大人のパートナー)または親戚でない人からの児童虐待はその時点での医療上の焦点にもなり、また虐待は精神やそのほかの疾病にかんする患者の調査と治療における重要なファクターでもある。虐待とネグレクトは法的な問題にもなるので、状態を調査して分類する際には注意が必要である。過去に虐待やネグレクトがあったことは、多くの精神の病態に影響するので、診断に際しては、そのことを記載するべきである。
    以下のカテゴリーにおいて、確認された・あるいは疑いのある虐待とネグレクトに加えて、かつての虐待やネグレクトが、患者または加害者の現在の精神保険上の問題になっているときのためにも、コードを付与する。虐待やネグレクトの前歴にもコードを付与する。

    児童虐待とネグレクト


    物理的な児童虐待

    物理的な児童虐待は、事故ではない、子どもに与えられた物理的な傷害で、親・保護者ないしその子どもに責任のある者からの、殴る、平手でうつ、蹴る、噛む、揺さぶる、投げる、刺す、絞める、打つ(手、棒、鞭、そのほかの物で)、やけどさせる、ないしその他の行為の帰結であり、ちょっとした痣から骨折や死までの幅広い範囲をもつ。 (中略)

    性的な児童虐待

    性的な児童虐待は、親・保護者ないしその子どもに責任のある者の欲求を満たすためのあらゆる性的な行為である。(中略)

    児童ネグレクト

    児童ネグレクトは、親・保護者ないしその子どもに責任のある者のあらゆる確認された・または疑われるひどい行為ないし怠慢で、その年齢にふさわしいケアを与えないことで、身体や精神に害をあたえる・あたえることが予想できることである。(中略)

    心理的な児童虐待

    心理的な児童虐待は、事故ではない、親または保護者の、言葉による、ないし象徴的な行為で、明確に子どもに心理的な害を与えたり、与えることが明白な場合である(物理的な、あるいは性的な虐待は、ここに含まない)。心理的な虐待の例としては、子どもを容赦なく叱りつける、軽視する、屈辱を与える、脅迫する、子どもが気にかけている人や物を傷つける・捨てる――ないし特定の誰かが傷つける・捨てるとほのめかす、子どもを拘束する(手足を縛る、家具その他に縛り付ける、あるいは押入れなどの狭い場所に閉じ込める)、子どもをスケープゴートにする、自分自身に苦痛をあたえるように強要する、(物理的かどうかにかかわらず)子どもを過剰に懲罰する(頻繁ないし長い時間、もしそれが物理的な虐待ではなかったにしても)、が含まれる。
    (コード番号は略 子どもにたいする項目は以上)

    DSM-5の関連項目 試訳 関係の問題

    DSM-5の関連項目 試訳
    ここは、ディスカッションとして扱われている部分で、本の後半部にあたります。
    病気そのものではないけれど、治療上の焦点になるだろうから、その情報を記載して
    コードをあたえるというニュアンスなのかな?

    その他の、医療上に注意すべき状態 (p715- )


    関係の問題

    主要な関係、特に親密な大人のパートナー関係や、親・保護者と子供の関係は、これら関係をつくる個人の健康に、大きな影響を及ぼす。これら関係はときに健康を増進・保護し、ときに影響せず、ときに害悪である。極端な場合は、これは被害者に医学・心理学上の影響をおよぼす、精神的虐待やネグレクトへとつながる。関係の問題は、その人がヘルスケアを求める理由として、またその人の精神やその他の健康上の問題を手当する方針・予後・治療に影響する問題として、医療上の注意点になるだろう。

    家庭の養育に関する問題

    V61.20 (262.820) 親子関係の問題

    このカテゴリーでは、「親」とは、子供の主たる養育者を指す。これは生物学的な親や、里親、養父母や、そのほかの親戚(たとえば祖父母)で、親の役目を果たす人である。このカテゴリーは、医療上に注目する焦点が、親子関係の質にある場合や、親子関係が精神やその他の健康上の問題を手当する方針・予後・治療に影響する場合に、用いられるべきである。通常、親子関係問題は、行動・認知・ないし感情の、各領域の機能不全と関連している。行動上の問題の例としては、親による子どもへの不適切な支配・管理・関与;過保護;過剰な期待;暴力による脅しにまで発展するような口論;問題を解かずに忌避すること、が含まれる。認知上の問題は、相手の意図を悪く解釈すること、相手に敵対したり、相手をスケープゴートにすること、正当な理由なく相手を疎遠にしたくなる気持ち、が含まれるだろう。感情上の問題は、相手にたいする悲しみ・無気力・怒りが含まれるだろう。臨床医は、子どもの発育上のニーズと、文化的な背景に注意を払うべきである。

    V61.8 (262.29) 親からのしつけのされかた

    このカテゴリーは、医療上に注目する焦点が、子どもがどう親からしつけられたかの問題、ないし養育が、精神・そのほかの医療上の手当する方針・予後・治療に影響する場合に、用いられるべきである。ここで子どもとは、親でない親戚の家に住む子、友達と住む子を含むが、裁判所の認可や委任されていない家に住む子はあてはまらない。グループホームや孤児院に住む子はあてはまる。寄宿舎に住む子V60.6 (259.3)のケースは当てはまらない。

    V61 .29 (262.898) 親間の不調和による苦悩に影響された子ども

    このカテゴリーは、医療上に注目する焦点が、子についての親間の不調和(例:高葛藤、苦悩、軽蔑)による悪影響(精神・そのほかの身体の不調への影響を含む)にある場合に、用いられるべきである。

    バーネット博士への質問と答え

    さきほどの記事のなかの
    妄想性障害の患者のパートナーにおきる妄想症状で、
    強迫観念が妄想に至るという言い回しがあります。

    もともと、それらは別物なのではと思ってました、
    たとえば妄想は統合失調などにみられる、感受ないし認識の間違いなんではと。
    目や耳の狂いというか。

    それについてお聞きしたところ、以下を教えていただきました。
    なるほど。妄想はもっと幅広い概念なんだな。
    嘘をついて、その嘘を自分で信じていても、妄想。
    Obsession(強迫観念)は一つの特有のことを繰り返して考えることです。
    たとえば、だれかがドーナツについて強迫観念をもつとき、
    その人はドーナツについて繰り返し考えます。

    Delusion(妄想)は、間違ったことを繰り返し考えること、
    ないし間違ったことを固く信じこむことです。
    たとえば、自分の子どもが虐待をうけていたと妄想することがあります。

    統合失調症以外でも、妄想はおきます。
    DSM-5には、いくつかの妄想のタイプが掲載されています。

    嘘をつき続ける人々がいて、彼らのことをfabulists(嘘つき)といいます。
    これはときに病的な虚言ともいわれます。
    ふつうは、目的のために嘘をつき、
    そしてそれが嘘であることを本人は自覚しています。
    しかし、しばしば、病的な虚言と妄想は、区別がつきません。

    虚言癖がある人の治療は、難しかろうなあ....

    もうひとつ、「悪意として帰属する」という表現についても質問してみました。
    認知における帰属ってなんだろう(教科書を読め馬鹿者、ではありまするが)。

    これは、標的親がやることなすことを悪くとってしまう状態で、
    それはつまり認識の歪みであり、
    それが拡大するとあらゆる妄想を引き起こす原因になるということでしょうか?
    そのとおりです。標的親が何をしようとも、
    その子はなにか邪悪な目的をもっていると考えます。
    かりにまったく無害なことをしたとしても、
    なにか悪い理由があって、それをしているのだと考えます。