2014年2月28日金曜日

子育て・発達障害はなぜ深刻か

以前に書いたエントリーがいまいちわかりにくかったと反省。

脳の細胞の特殊性

人間の脳は、あらゆる動物の組織のなかで、すごく特異な性質を持っています。
複雑な器官でもある。いろいろに分化した細胞が、ドンピシャな組み合わせ方で
集まっています。

こういう複雑なもんを、われわれの限られた遺伝情報でくみたてるのって、至難です。
もちろん、こんな複雑なものの設計図はゲノムにはない。
ゲノムには何があるか? それは、せいぜい、それぞれの細胞の働きの設計図です。
細胞は、お互いに情報をやりとりしながら(オーガナイザーを出したり受けたり)
それぞれが行くべきところ、とるべきかたち、発現すべき機能を実現していきます。
当然、「学習」も重要です。なんもしないで放っておいて、
高次な機能を獲得することはできない。

幹細胞を用意しても、脳の一部だけをつくることは、たぶんできません。
これは、最初から全部をつくることしかできないんじゃないか。
何年もかけて。

ある程度に完成したヒトの脳は、とても大きくなるから、
ヒトの産道を通ることができません。
だからヒトの赤ん坊は、ああした未熟な状態で生まれてきます。
生まれたあと、がんばって作って行かねばならないのです。

だから、順番って重要なんですよ。
もう出来上がっちゃった回路は、組み換えがききません。
作られるべきときに作られなかった機能は、あと付けできないんです。
途中から目の機能を回復してあげても、
視覚情報を処理することができるようにならないから、
ちゃんと見えるようにはならない、たとえば。
いま背中に鳥のような翼をつけてもらったとしても、
操れないから、飛べるようにはならないです。

しかも、ヒトの脳細胞は、作られる期間がきまっている。
ある時期をすぎたら、もう増えない。あとは基本的には死ぬだけ。
海馬とか、ごく限られたところが、限られた増殖能しか持たない。
がんばれば覚えられた時期ってあったでしょ? 
あれは、そのときだけです。もう帰ってきません。
時期が重要なんですよ。

被虐待児の脳は、まともに生育できなかった部分を持ってます。
あるいは、ストレスの挙句、異常に亢進したホルモンの影響をうけて
死んで脱落したか変性して血管が萎縮したか、もう働かなくなった部分、
ということなのかもしれない。

脳の機能には可塑性があるから、そうした部分が本来受け持つべき機能を、
別のところが補えるかもしれない。でも、間に合わないかもしれない。
そして、間に合わないことのほうが多いのかもしれない。

私達が、ある種の学生に対して感じる無力感はここに起因してます。
手遅れという言葉が、こんなに若い子たちにこれほど似つかわしくない言葉が、
でも、ぴったりきてしまう。

TEDで、ジム・ファロンの講義をみてみてください。
彼も脳科学者で、犯罪者の脳に興味をもったのですが、
ある種の犯罪者に共通する遺伝子の異常が自らの家系にもあることを発見しました。
この遺伝子は、ホルモンの亢進のために、脳のある部分を弱らせてしまいます。
そこは共感を司る部分で、そのために、この遺伝子異常をもつ人は
連続殺人などを引き起こしやすくなると考えられます。

このひとはしかし、自分自身がその遺伝子異常をもつこと、そして
自分自身の脳のその部分が弱っていることを見つけました。

でも彼自身は幸せな結婚をしていて、家庭をもち、まともに研究者として働いています。
すんげえ良い大学の教授です(まあ、大学の教授って、人を食ったようなひとおおいですが。
シリアル・キラーはあんましいないと思う)。

なにがこれを可能にしたか? なぜ彼の頭脳のどこかが、失われた機能を肩代わりできたか?
それが教育。それが、親の育て。彼は親から、とても大切に育てられたのです。

その逆だってあるってことです。
遺伝子的には何の問題もなくても、
ひどい育てられ方をすれば、才能が開花しないどころか、
ぜんぶダメになってしまうことだってあるでしょう。
オオカミに育てられた少女は、もう人間にはなれないんですよ。

だから、まともな教育の機会を奪ってしまう、
人とのつながりを断ってしまう、連れ去りと引き離しは、深刻な犯罪なのです。
親だからって、自分の子供をそんな人間にしてしまう権利はもっていない。
まして、公的な機関が、そんな行為に手を貸してはいけない。
子供の権利を司法や行政が踏みにじることは、とても看過できない。

ごめんなさい、柄にもなく、偉そうなことを言ってるぞ。

ちなみに、最近は、対象を傷つけずに、
脳の構造や機能をかなりよく調べることができるようになりました。
殺しちゃってもいいんなら、もっといろいろ調べられるのですが、
それだと人間のは調べられないから。
だから、いま以下のような装置が脳科学の大きな戦力になってます。
遺伝子の関わりも調べられるようになりました。
ほんのいくつかの細胞があれば、そこで働いている遺伝子について
調べることができるようになっています。

こんな方法をつかって可視化します。やっぱ目で見えることって説得力があります。

脳の可視化・MRI

核磁気共鳴(NMR)をつかって、プロトンに歳差運動をおこさせ、
それが戻って行く過程を測定し、結果を画像化する方法です。
要は、体のなかにはいっぱい(水やらタンパクやら)プロトンがあって、
そこに強い磁気パルスをかけてやることで「磁化」させてやり、
それが消磁されていく過程を測ると。
プロトンがおかれている状況で消磁の過程はかわるから、
そこに位置情報とともに適当なコントラストを与えてやれば、画像になります。
これ、最近の3テスラのやつなんかだと、本当にくっきりばっちり
輪切りが見れるです。私もすげーたまげました。
ノーベル賞とっちゃうわけだよ、開発者。
でもまあ、その磁力をつくるために、液体ヘリウムで冷却とか、
すげえ電源とかは必要。
装置一式も数億円のオーダーになるんじゃなかったかな。

脳の可視化・PET

ポジトロン断層法の略。磁気ではなくて、すごく半減期が短い放射性物質を体にいれて、
そいつらがどこに行くのかを画像化する。
血流があれば、あるいは代謝が活発になれば、それを眺めることができるから、
たとえば刺激を与えたときに脳のどこが活発になるかを調べたり、
腫瘍が羽目を外していないかを見たりできる。
解像度はMRIよりはずっと劣るけど、
イマイマどこがどのくらい活発なのかがわかるのが意義。
ただ、ちょっとしたサイクロトロンがないと、その放射性物質を用意できない。
なんせ数分とかの半減期なので、輸送とか貯蔵ができないのだった。
だから装置一式は、さらに大掛かりになる。

脳の可視化・CT

コンピュータ断層撮影の略。X線をつかって連続的なスキャンをし、
その結果を3Dに再構成して画像を得る方法。PETと組み合わせることも。
あんまり柔らかい組織(脳はけっこうソフトだし)だと透けちゃって、
コントラストがつけにくいけど、解像度は高い。

2014年2月26日水曜日

子育て・虐待の加害者は、父母のどちらが多い?

加害者は実母、というケースが多い

裁判所の統計資料によると、
○虐待者は,実父が28.7%,実母が53.4%となっている
そうです。これだけ差があると、たとえばz分布に近似して計算すると
P値が3E-7くらいになって、すごく有意に違うことがわかります。

母と一緒にしておけば安全という母性神話は、考えなおすべきですね。

子どもにとっての面会交流のメリットのひとつ

は、こうした虐待が、もう片親からチェックできることです。

うちみたいに、引き離されちゃってると、何が起きているか、わからないです。
虐待は密室でエスカレートします。

さきほどの、秋田家裁の調査官の
子どもが会いたがってないなら交流させない
は、たとえば、この状況を知らないからこその発言でしょう。

子育て・片親疎外について司法は認識しているか?

認識されてないかもしれない。

不勉強なのか誤解なのか、または何らかの利益誘導なのか、
あまり認識されていないかもしれない実情があります。

たとえば、各地方裁判所には委員会があって、広く国民から意見を聞き、
あるいは啓蒙活動をしているのですが、
横浜家裁で平成24年11月28日に開かれた委員会の会議事録が公開されています。
ここで、ちょっと興味深いことが行われていたらしい。

この日、オブザーバーとして弁護士が参加していました。
そして、実務者としての意見を求められたらしい。
彼はレジュメを用意して、以下の意見表明ないし虚偽の発言をしています。
レジュメを引用しますね。
第4 心理学ないし児童精神医学の視点
1. いわゆる片親引き離し症候群(Parental Alienation Syndrome 略称PAS)
のようにすでに欧米で否定されているような理論を今さら導入しようと
する愚が法律に携わる者においてすら行われている。
と、このような独自の世界観を展開し、面会交流の意義を否定しています。

なぜ弁護士が、自ら心理学の大家のように振る舞うのか、
多くの研究を無視するのか、そして、その場がこの人に支配されていたのか、
(だれも間違いを指摘できないくらい不勉強だったのか)
いろいろ疑念は尽きないのですが。

この弁護士が、連れ去り・引き離しのプロであるなら、利益誘導。
誤解したまま威張っているなら浅薄。
たとえば、DSMに掲載されないことにかんして、米国の心理学会は、一言も、
「片親疎外を否定する」ことはしていません。
認めるにはまだ時期尚早であるので、今は何もコメントできないというのが、
彼らの立場であるはずです。
それでは現場が困るじゃないかというのが、むしろ実務家たちの実感だと思われます。

この弁護士先生、すごく断定的におっしゃってますが、
これは多くの人々の研究結果の軽視に他なりません。
たとえば、ここで愚かであると酷評されている人々のなかには
衆議院第一議員会館で開かれた超党派の集会
「親子断絶防止法制定を求める院内集会」で公演をされた
棚瀬一代先生も入っているんでしょうね。

私がその分野の研究者だったら、発言の真意とともに責任を問うだろうと思う。
あと、この先生、民法と真逆の主張をなさってますが、
弁護士が不法行為を教唆するのって、適法なことでしたっけ?
こういう人を招いて好き勝手喋らせておくのは、地裁の委員会として、適切な行為か?

まあいずれにしても、こうして議事録を公開してくれているので、
ああ、間違ったことをやってるぞとわかるし、
そこをお知らせすることもできます。これが開かれた裁判所のいいところ。
聞く耳をお持ちかどうかはわからないですが、意見を伝えることはできる。
その点、お白州からは離れている。

別の例として、秋田県の家裁委員会のケースを見てみましょう。
(委員の質問) 親が面会交流を求め,子供が親に会いたくないと言ったとき,
子供の意思 と親の意思とではどちらが優先されるのか。

(説明者) 調停においては,率直に子供がこう言っていましたと
当事者に投げかける 中で,親には,どうして子供がそういう気持ちになっているのか,
そういう 気持ちをどうやって解していったらいいのかということを,
子供の視点に立 って考えてもらうことになると思う。
審判においては,面会交流は親の権利 であるとともに,
子供が健やかに成長するための子供の権利でもある
という のが一般的な考えであるので,
子供の福祉を明らかに害すると考えられると きには,
子供の真意かどうかを確認の上,
面会交流については,一部制限さ れたり,
禁止されることが考えられる。
この資料では、引用箇所の前段で、子の真意を聞くために
裁判所がどういった配慮をしているかをいろいろ説明しています。

そうした配慮をしているので、子の真意が反映されているから、
その上で会いたくないと言っている子に会いたいというのは
親のエゴであるのでけしからん

というストーリーだと思われます。
その子がいま洗脳状態にあるかどうかといった配慮は、していなそう。
それでは虐待を見落としますよー。

この説明者、なぜ面会交流が子供の利益なのかを、
まるっきし理解していないものと思われ。
彼はたぶん調査官なんですが、不勉強であると言わざるをえない。

棚瀬先生、がんばれ。超がんばれ。家裁は啓蒙が必要みたいです。

2014年2月25日火曜日

子育て・片親疎外に対しての(学術的な?)批判はどういうものか

批判の実際?

国際的に使用されている精神疾患の治療マニュアルがあります。
これは、治療者の個人的な経験に頼るところ大であった精神病の治療を、
もっと科学的な客観性をとりいれるべく画策されているものです。
その分野の専門家が長いこと討論してできあがってくるもので、
当然、研究の進歩を取り入れて改定されていきます。

こうしたマニュアルの一つにDSMという、米国の精神医学会が編纂しているものがあります。
これ各国で使われるもので、日本でも臨床家が参考にしているようです。
これだけで診断ができるって程のもんではないんですが、
それはまあ内科のマニュアルと首っ引きの医者が信頼できないのと同じですね。

この新しい版 DSM-V が2013年に作られたのですが、その際に片親疎外を
取り入れようという動きがありました。よく見られる子供の状態であり、
様々な深刻な合併症を引き起こすので、取り入れるべきだというのは
たいへんリーズナブルな意見です。
一方、強力な反対意見もまた多くあります。
結局この版では見送られることになったのですが、
それら反対意見を4種類にカテゴライズして、
それぞれに反論した論文(査読付き原著論文)があります。

また、臨床家たちの学会において、どういう討論がなされているのかを、
日本からの参加者が紹介した論文があります。

ここでは、この2本の論文についてご紹介します。

Parental Alienation, DSM-5, and ICD-11: Response to Critics

(著者) William Bernet, MD、 Amy J. L. Baker, PhD
(誌名・巻・号)J Am Acad Psychiatry Law 41:1:98-104 (March 2013)
(ここで原文が公開されています) 
この原著論文によると、片親疎外が存在するかどうかについて、大きく4通りに分類できる否定的な見解が表明されています。しかしそれらはことごとく誤解に基づくもので、多くの実務者は片親疎外の事例を、実際に経験しています。
以下、この論文要旨を紹介します。

1 米国心理学会の見解を誤解したケース

この学会はかつて、「まだ充分なデータがないので、学会として公式な立場を定めない」という短いステートメントを出したことがある。これを誤解して、この学会によって存在が否定されたとか、まだ学術論文になっていないという批判がしばしばなされている。
しかし実際には、1980年台から、かなり多くの調査がなされており、それらは学術論文として刊行されている。逆に、これを否定する研究結果は見当たらない。そこで、上記の批判は見当違いである。

2 片親疎外ないし引き離し症候群が誤用される懸念

もしこれが誤用されると深刻な被害を及ぼす(適切な親から引き離して、DV的な親に引き渡すことにつながるから)という批判がある。
たしかに、高葛藤な裁判の場合、正しい証言と偽証が提出されて主張が食い違うのは、よくあることだ。どちらかまたは両者がそれぞれに片親疎外を主張することもよくある。しかし、誠実な裁判官を欺くのはそう簡単ではない。不幸にして間違えるケースがあったとしても、そう多くはないはずだ。実際、こうした間違いの例は、これまでにおそらく1件しか報告されていない。
DV的な親に騙されないための良い方法は、片親疎外の定義を皆が理解・共有することだ。すると、よく引き合いに出される「子供が面会を拒否したから、これは片親疎外だ」という(DV親からの)主張は通用しない(証拠不十分だから)。実際には、片親疎外の定義となる観察結果を偽造するのは、かなり困難である。

3 片親疎外を唱える人々の動機に関する疑惑

これが認められることで、父親の利権団体は利益を得るだろう。また、臨床心理士なども、その収入源を得ることになるだろう。その利益誘導が真実を歪曲しているという批判がある。
研究者たちが見る限り、実際にはおそらくふたつの動機がある。ひとつは、より真実に近づこう(たとえば正直さとか、科学的な価値とか)という動機。立場や意見の違いはあれ、実際に臨床や法の実務に関わっている人々のほとんどは、片親疎外が存在することを認めている。Association of Family and Conciliation Courts(家庭問題の解決を通じて、子どもと家族の生活を向上させるために働く職業人のための、非営利で国際的な協会)の会員を対象にした非公式な調査によると、回答のあった300のなかの実に98%が、「ある子どもたちは、その保護親によって、他方の親を正当な理由ななしに避けるよう操られている」ことを認めている。もうひとつの動機は、子どもたちが両親と健全な関係を築けるようにしたいということだ。これがきちんと認識されることで、子どもたちの問題発見と解決につながっていく。

4 (研究の第一人者である) リチャード・ガードナー個人への批判

査読のある学術論文として発表したのではなく、自著のなかでこの概念を明らかにした。そのため、これが証拠を欠いた妄想ではないかという批判がある。
たしかにガードナーはたくさんの本を出版しているが、彼が注意深い実務家であり、多くの臨床経験に基づいた意見であったことは明白だ。そして、片親疎外に関して、数多くの査読付き原著論文も著している。


Association of Family and Conciliation Courts大会の参加報告

大正大学の青木聡教授が、2010年の大会に出席したときの報告です(大正大学研究紀要)。DSMなどへの登録に際して、どんな話し合いがなされていたのか、その舞台裏が垣間みえます。

片親疎外を、DSM-5やICD-11*といった、国際的な診断基準として取り入れるべきかどうかの論争があった。これに否定的な人々は、定義が難しいこと、現場の混乱を招くこと、むしろ診断よりもその解決法の開発が急務だと主張した。しかし、いずれの人々も、この現象が存在することでは一致していて、いかにそれを解決すべきなのかを考えていることは共通していた。

以下の大会宣言が採択された。「『片親疎外』は、子どもに深刻な悪影響を与える問題である。離婚後も子どもは二人の親(父親と母親)を必要としている。私たちは『片親疎外』から子どもを守る」。

*いずれも国際的な、疾病の診断のための手引である。精神科は、伝統的に、医療者個人の経験に基づいて診断や治療方針の決定がなされてきた。そのため他科に比べ自然科学の発展による恩恵が得難く、患者の利益を損ねているという批判があった。そこで客観的な医療を実現するために、共通する指針を得るべく、多くの専門家が共同して、これらのマニュアルを作製・改定している。William Bernetはそうした専門医の一人である。

DSM-5:精神障害の診断と統計の手引きは精神障害に関するガイドライン。精神科医が患者の精神医学的問題を診断する際の指針を示すためにアメリカ精神医学会が定めたもので、本邦でも使用されている。片親疎外をこれに記述することで、この問題の発見と解決を早めようとして、多くの専門家がその準備作業をしている。

ICD-11 :疾病及び関連保健問題の国際統計分類は、死因や疾病の国際的な統計基準として世界保健機関 (WHO) によって公表された分類。死因や疾病の統計などに関する情報の国際的な比較や、医療機関における診療記録の管理などに活用されている。

裁判・東京高裁にみた良心

東京高裁 平25(ラ)1205号

昨日、お願いしている弁護士の○○先生のところへ、打ち合わせに行ってきました。

この先生はベテランで、それだけにこのへんの「相場観」に明るく、
またそれだけに、たとえば共同親権とか、頻繁な面会交流は困難だろうと
予想していらっしゃいます。

ある意味、もしこの先生を説得できないようなら、
裁判ではぜんぜん通用しないだろう、と思うです。

これ論文かくときもそうで。
指導教官がいる場合は、その教官を説得できないようでは、
その原稿は、まともなジャーナルにはアクセプトされないもんです。
共同執筆者の意見統一ができないときもそう。
私の場合、もっとも最初のハードルは、たぶんこの先生です。

さて、先達のサイトに、 表題の記事がありました。これは 判例タイムスの記事を紹介したものです。
これ○○先生の事務所でバックナンバーを見せていただきました。

先日の調査報告書で、うちの家裁に失望していたんですが、
なんだか司法を信じていいのかなと思わせる内容でした。
以下、かいつまんでご説明します。

事案のあらまし
夫によるDVを理由にして妻が娘(小1)を連れ去った別居で、そのまま引き離しています。
夫が理不尽な暴力をふるい、支配的であったため、逃げ出したようです(気の毒)。
ここには争点はなく、しかし、子供への暴力はなかったらしい。
子供は父には会いたがっていないらしい。
これには、あまりはっきりした理由がなさそう。
離婚協議が進行中で、面会交流を求めて審判がなされていました。
地裁で、月に一度の面会が申し渡されたのですが、
これを不服とした妻が即時抗告した事案です。
高裁の決定
原審判を取り消して、差し戻し、でした。
抗告を却下したのではなく、審判をやりなおせ、審理不尽であると。
では、審判のどこがダメだったのでしょう。

両親が高葛藤な離婚係争中であれば、子供に忠誠葛藤が生じるのは当然である。
その状態での発言をもとに、「会いたくない」と解釈することはできない。

面会の頻度と方法について話し合われた形跡がない。
その根拠も示されていない。

(さらに踏み込んで、)
両親が高葛藤な状態であるときに面会交流を命じても
うまく機能しないだろう。
第三者の介入をふくめ、禁止事項や順守事項を盛り込むといった
方策を示すべきだ。
子の福祉
私からみて、この決定の画期的なところは以下の3点ではないかと。
  1. 何より子の福祉が優先されるとしたこと。
  2. そのためには両親から愛されているという実感が必要で、そのために面会交流を望ましいかたちで実施すべきだとしたこと。
  3. 判例よりも、いまそこにある事実を尊重していること。
要は、「ちゃんと調べた上で、法律にあるようにやってくださいよ」ということですが、
どうすれば子供の利益が守られるか。地裁が、期待されている大きな役割を全うできるか。
こうなっていない現状を、上級審が認めたということが、画期的です。
司法がお白州を脱却していくステップを見る思いです。

ちなみに、これに関連する民法はこうなっています。

(離婚後の子の監護に関する事項の定め等)
第七百六十六条  
  1. 父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない。
  2. 前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所が、同項の事項を定める。
  3. 家庭裁判所は、必要があると認めるときは、前二項の規定による定めを変更し、その他子の監護について相当な処分を命ずることができる。
  4. 前三項の規定によっては、監護の範囲外では、父母の権利義務に変更を生じない。
最初に、「子の利益を最も優先して考慮しなければならない」とある。
これでこそ、児童の権利に関する条約に加盟する法治国家の、あるべき姿でしょう。
でも、当たり前のことが当たり前にあるのは、じつは貴い。

この時間に関しての私見
このケース、奥さんの不貞もあったりするみたいなんですが、
「暴力によって支配」は論外ですよ。家族ってそういうものじゃないでしょう。
それはダンナが悪いよ。
子供にも被害が及ぶかもしれないって懸念も出てくると思う。
面会交流をみのりあるものにするためにも、
ダンナにもカウンセリングを行うとかして、
その暴力衝動の元にあるものを突き止めないといかんのでは。
そのまま子供に会わせても、子供が板挟みになっちゃいかねないし、
もし子供が片親疎外だったら、悪化させかねないし。

だから、そこまで踏み込んだ東京高裁の決定はエライと思うです。

あと、ここでは「片親疎外」というタームが使用されてませんが、
「忠誠葛藤」を使うことで、片親疎外の概念が盛り込まれています。
どうしたら、その葛藤のなかにある子供を救えるか、知恵をつくして考えていらっしゃる。
ここに、裁判官の良心を感じるです。

2014年2月24日月曜日

子育て・片親引き離し症候群に関する定義

ガードナーによる定義、ないし症状の説明

現在の片親疎外の定義がこうなのに比べて、
最初に提出されたガードナーによる定義はもっと詳細です。
このリストは、かなり長いこと、実務家たちに使われてきました。
たぶんこの状態の子供について考えるときには、
こっちのほうがより役立つのではと思うので、
ご紹介しておきます。
(もしかして、適切な用語の選択に難があるかもしれません。
間違いはコメントでご指摘いただけると嬉しいです。

リストの原文はガードナーの原典ではなく、それを引用した論文をもとにしています)。

  1. 子どもによる、標的親に対する一貫した誹謗中傷。
  2. 子どもが標的親を批判するときに、馬鹿げた理由付けが行われる
  3. 「借りてきたシナリオ」   子どもが標的親を非難するときに、監護親の使う言い回しや言葉やアイデアを使う。しばしば、話している言葉や内容を理解していないこともある。
  4. 拒絶することに、迷いや、ためらいがない。
  5. 「独立思考者」現象  (監護親の影響が深く疑われるような場合であっても、標的親を避けるのは自分自身の考えであると、頑なに主張する。)
  6. 標的親への扱いにたいして、後ろめたさや罪悪感がない。
  7. 標的親だけでなく、その親戚なども、拒絶するようになる。
  8. 標的親と対立する監護親への無条件の支援。
これを知っていた上で、片親疎外という現象を見直すと、
片親疎外の定義がこれらの核心部であることがわかります。
ここに挙げたのは、実際に観察されやすい現象なのでしょう。

これで見る限り、うちの子供らは、まだ症状が軽いのかもしれません
(むしろ、より重かったのは二女?)。
とはいえ、裁判所の報告書から、この全てのカテゴリーの現象が確認されます。
  1. 私に暴力を振るわれたことがある、というキャンペーンを展開中。ただ、詳細は語れない。
  2. まだ妙な理屈はあまり持ち出していない。怖いとか会いたくないという理由を何度問われても、まだ答えられない。
  3. 妻の言い回しをそのまま使っている(ために、二人とも同じことを言う)。
  4. 拒絶することに、迷いや、ためらいがない。
  5. 標的親を避けるのは自分自身の考えで、妻からの指示はなかったと主張している。
  6. 標的親への扱いにたいして、後ろめたさや罪悪感が、まだちょっとあるみたい。
  7. 標的親だけでなく、あんなに仲が良かった姉たちも拒絶するように変化してきている。
  8. 食べられればオッケーだし、外食でもかまわないし等々、家事をしない母親をかばっている(涙)。
この現象について、調査官がちょっとでも知っていてくれれば。
あんな結論の導き方はしなかったろうに。

ちなみに、その暴力キャンペーンに調査官が反応して、
3回やった面接で3回とも、詳細をしつこく問いただしています。
かれらはなんとしても、「父がふるう暴力を子どもたちが恐れている」
という証言が欲しかったのでしょう。
でも、こういう誘導尋問を繰り返していると、
そのうち子供がストーリーを作ってしまいます。

こうした、カウンセラーによる誘導が、虐待を捏造する
(そして、そのために子供の状態が悪化する)という現象は、
かなり以前から知られていて、だからカウンセリングでは禁忌なはずなんですが。

子育て・連れ去りと引き離しは心理的虐待である 2

社会への接点と、子供の時間とを、失う

子どもたちは、私と関わりのあるいろんなことから引き離されてしまいました。
同僚の奥さんがやっていた教室。友達もきてたのに。
ご近所の人たち(みなさんに可愛がられていました)。
姉たち。そして私。

調査書によると、私の家にいたときのことは思い出せないそうです(解離!)。

彼らが失った記憶は、たとえばこんなものです。

ここしばらく寒くて雪が続き、隣家との境が埋まってきましたが、
こんな休日は雪かきをしました。
家の隣の空き地に積み上げて、山をつくりました。
ワンボックスのバンくらいの山ができると、そこに滑り台をつくったり、
長男と掘り出して、かまくらをつくったりしました。
三女はかまくらの中で遊ぶのが好きで、二女や長女も混じって、
ままごとあそびをしました。
長男と私はそのまわりで雪合戦をしました。
雪だるまもつくりました。

近くの公園に、展望台のある小山があります。
こんな雪のときは、その山でそり滑りができました。
長男と三女がめいめいでそりを持ち、私はスコップを持っていき、
コースをつくったり、ちょっとジャンプできるようなコブをつくったりしました。
三女は私とそりにのりたがり、長男とはどちらが遠くまで滑れるかも競いました。

スキー場の、そり用のゲレンデにも行きました。
ゲレンデ近くのプールにも寄って、泳いだり温泉につかったりしました。

帰りぎわにふたりにアイスを買って、車のなかで食べながら
(夜ねれなくなると困るので、なるべく寝かさないように)帰りました。
でも、三女は、大好きなピノ(チョコレートでコートした、ひとくちサイズのアイス)
を買ってもらうと、ゲレンデの山を下りるまでに食べつくしてしまい、
よく箱を持ったままで寝ていました。
家につくと、そっと起こさないようにチャイルドシートから抱き上げるのですが、
しばしば目を覚ましてぐずり始めました。
家では姉たちが待っていたり、無人だったりしたのですが、妻の存在感は希薄で、
食事が用意されていたことはありません。
三女がぐずれば私が寝かしつけて、そのあと夕食の支度をしました。

本当ならこの冬くらいに、そろそろ三女にスキーを教えて、
ゲレンデに連れて行くはずでした。
長男はスキーが滑れるのに、三女につきあって、そりで遊んでいましたので。
自分で行きたいところに行けるようになる楽しさを、
ゲレンデのいちばん上から麓を見下ろす爽快感を、教えてあげたかった。

吹雪いて外出できないときは、長男とはよくベイ・ブレードで遊びました。
彼はいろんなパーツを持っているので、借りて、組んでもらいました。
長男は上手で、けっこう、白熱した良い勝負になりました。
三女も、ちょっとならまわせるようになっていました。

動物園には(飼育員さんたちに覚えてもらえるくらい)よく行きましたが、
冬季にも公開されるようになってからは、ちょくちょく「冬の動物園」にいきました。
そりを貸してもらえたので、そりを持って。
歩き疲れると、私がそりで引っ張って移動しました。
長男は、飼育員さんたちに、いろんなことを教えてもらうのが大好きでした。
レッサーパンダはいろんな果物を食べるけど、いちばん好きなのはぶどう。
アライグマが好きなのはザリガニ。
ザリガニは飼育員さんたちが、近くの池に罠をかけて捕まえてくる。

スケート場にも行きました。
長男はある程度滑れて、同い年くらいの男の子たちとあっというまに友達になって、
鬼ごっこをしたりしていました。
三女は、うしろから支えれば滑れる、ないし
歩くことならできる、という程度なのですが、
小学生の女の子のグループに混じって一緒にあそびたがり、
しばしば実際に場を仕切っていました。
私はその様子を、つかず離れず見ていました。

いちばん頻繁に行ったプールは、県立プールです。
二人共、プールが大好きでした。
長男とはたまに競いました。
彼は平泳ぎが得意で、私よりも速いことさえありました。
三女は向こう見ずで、自分の足がつかないところでも平気で飛び込みます。
目が離せませんでしたが、息が続かなくなると私の方にふりむいて、
私につかまって息継ぎしました。
いつも私が近くにいてサポートしてくれることを信頼していました。
どこに行っても、
帰りがけにはスーパーマーケットに寄って、食材を整えました。
姉たちはどちらかというと菜食なのですが、長男と三女は肉が好きでした。
カレー粉で下味をつけた唐揚げや、皮をパリパリに焼いたチキンソテーが好物でした。
みんなフライドポテトが大好きで、揚げる端から消えてなくなり、
ネタがつきるまで、競うように食べていました。

一年ずっとこんなかんじで。

夏の土日はよく、川か海で過ごしました。
子供を連れて行くのに好適なところが、クルマで小一時間のところにいくつもあって。
カヌーで川下りしたり。
岩場からとびこんでみたり。
魚をおいかけたり。
子どもたち、それもこれもみんな、思い出せないと言います。

これらの記憶の欠落を埋めたのは、私が蹴ったとか叩いたという偽の記憶です。
私を思い出すときに最初にでてくるエピソードがそれだとは断腸の思いです。
愛された、楽しい、温かい記憶の代わりに与えられたものがこれだというのは、
あまりにも不憫です。
この忌まわしい記憶の書き換えは、
妻が連れ去って引き離している間に起きています。
これは単純な事実です。

いまや子どもたちは、塾以外はずっと引き篭っているらしい。
土曜日には教会にいくのだそうで。
教会が社会との接点、、、まあまだ全てが失われていないだけマシですが。
それで、私への愚痴をえんえん聞かせられているらしい。
子供に、泣きながら、父親の悪口を言い続けているって、どういうことだろう?
妻には友達がいないんだろうなあ。昔の友達は、私ともつながっているので(?)、
絶縁状態みたいで。
でも子供を友達のかわりにしちゃうことで、
子どもたちの「子供の時間」が奪われています。

これは虐待です。

2014年2月23日日曜日

子育て・連れ去りと引き離しは心理的虐待である 1

過干渉の行き着いた状態

子供に自分のエゴを押し付けて、子供の自我の発達を阻害するのが、
過干渉という問題の本質だと思われます。
もちろんそうしたエゴは、周りの人たちから非難されます。
配偶者がいれば、子供の兄弟がいれば、止めますよね、普通。

自分がやりたいようにやるなら、
そうした反対勢力から切り離すのがもっとも都合よい。
(虐待は密室でエスカレートするんです。)

連れ去りと引き離しは、まさにこれです。
自分のエゴを押し付けるために子供を拉致するということ。

洗脳の結果

ここまで行動に移してしまう親は、やっぱり「普通」の状況ではない。
こうした監護親が、多く精神疾患を抱えていることは、
実務家の間ではよく知られていることのようです。
たとえば前述の杉山先生の著書でも、虐待児とみられる674症例のうち
94人の母親が治療対象になったことが紹介されています
(ちなみに5人の父親も対象になっています)。
その子を連れてきた、その親が治療対象になったケースが、これだけあったわけですから
(原因となった親は、なかなか子を連れてこないのではと思われ)。
どれだけ高確率なのかと。

こうした尋常ならざる親が、子供を支配すべく、あらゆる手段をつかって洗脳していく。
その結果、前述した片親疎外という状況がつくられていきます。

妻がやった(ている)行動はこれにあたります。
事前にいろいろ準備して、子供もおもちゃを買い与えたり、
ゲームをつきあったりして、買収しておく。
その上で、虚偽DVを訴えて、子供を連れ去る。預金通帳そのほかをぜんぶ持ち出す。
そして、裁判では「配偶者の考え方が受け入れられない」等を主張して、
調停では面会交流に応じない。

こんなことをやっていると、裁判所の都合で、1年くらい経過します。
その間、ずっと子供に、配偶者がいかに危険な人物であるかを言い含め、洗脳していく。

洗脳された子供は、だんだん片親疎外を引き起こすようになる。
我が家の状況は、いまここ。

私と子供たち、とても仲がよかったのです。
週末は妻、まったく家事をしなかったので、私がごはんつくって、
子供を遊びにつれていきました。
一緒に出て行った(そして追い出されて帰ってきた)二女が言うには、
連れ去られてしばらく、子供たちはとても会いたがっていたそうです。
いまや彼ら、私に会いたくないと証言する。あり得ないですよ。

普通の(?)過干渉の域を超えてます。洗脳です。
子供たち、私の家で暮らしていたときのことを思い出せないのだそうです。
すでに解離の症状を呈しています。

子育て・被虐待児に何が起きるのか

深刻な影響

これに関して、実務家が調査して、実務家のために紹介している本を見つけました。
あいち小児保健医療総合センターの杉山登志郎先生(著)の
子供虐待という第四の発達障害
これ、本人に向けて書かれていないので、遠慮がなくて、
それだけにかなりショッキングな内容です。

杉山先生によると、被虐待児は以下のような症状を示すことが多いそうです。

  • 反応性愛着障害
  • 解離
  • 高機能広汎性発達障害
  • 多動性行動障害
やがてこれらが、
  • 解離性同一障害
  • 複雑性PTSD
といった症状を示すようになります。

杉山先生のところには、全ての被虐待児が連れてこられるわけではないはず。
精神症状を呈しているから運ばれてくるわけだから
(全ての被虐待児が精神症状を示すとは限らない)。
このバイアスはあるものの、
運ばれてきた子供の多くが被虐待児であったというのは注目すべきです。
被虐待児は、そうでない子供が起こさないような問題を抱える危険性がある。
その危険性の深刻さを考えれば、「虐待が子供に与えるダメージ」を
過小評価するわけにはいかない。

そして、何故にこれが深刻なのか、この本がショッキングなのか。
それは、虐待によって発達障害が引き起こされるということ。
ヒトの脳は、しかるべき時にしかるべき刺激がないと、ちゃんと形成されないんです。
で、その時を逃してしまうと、後からどうしても、まず無理。
この本にも、そうした脳の発達に関する研究結果が紹介されています。
最近はMRIみたいな、非侵襲性の測定装置がずいぶん発達しました。
そうした測定をすることで、より客観的な診断ができるようになってますし
より研究も進んでいるわけです。

で、脳そのもの、その構造にまで影響が出てくるということは、
もうカウンセリングでどうにかできる状況ではない、ということです。
何人かで手分けをして、薬剤もつかって、手探りしながら、
社会と折り合いがつけられる状態に持っていく。治るとか治すではなくて。
これがどんなにたいへんな作業なのかも紹介されています。

杉山先生は、そうした作業のことを「敗戦処理と言うひとがいる」と紹介します。
私もそうした学生さんの対応をしているとき、同じ感覚をもちます。
つぎ込んでもつぎ込んでも改善しない、砂漠に水をまくような無力感。
だからこの本の内容、すごく説得力があるのです。

そしてなにより大切なのは、そんなところまで放っておかないで、
もっと手前でケアしなければいけないということ。

裁判所も児童相談所も、
死にそうにない虐待は虐待として認めないという姿勢なのだとしたら、
(そうでないことを祈ってますが)
それはとんでもなく間違っています。

2014年2月22日土曜日

子育て・片親疎外がなぜ問題なのか

片親疎外が子供に与える影響

ちょっと考えただけだと、これはそんなにすごいことじゃないだろうって思うかもしれない。
人間って、何かの味方をするもので。
サッカーとかオリンピックとか、別に知り合いでもない選手のことを、
旗を降って応援するわけだし。
親が一人で頑張っている。そりゃ、子供は応援するでしょう。
その親が、もう一人の親を非難しているなら、子供だってヤジくらい飛ばすだろう。
なんて、思われても不思議じゃない。

これ、的外れ。もっと事態は深刻。

実際には、この状態にある子供には、いろんな不適応がみられるようになります。
成績が悪化する、誰かをいじめる、不登校になる、万引きをする、非行や犯罪、、。
「毒になる親」は、ある程度育ってからの、
悩める(が分別と知性のある)大人、その本人にむけて書かれています。
実際に起きていることを客観的に言うなら、もっと深刻(これはまた項を新たに)。

この状態の子供は、庇護されるべき存在です。
ひとつの家のことじゃない。ただ一人の人間の問題でもない。
次世代の社会の構成員が激しく損なわれていくのです。
社会が責任を持って立ち向かうべき問題なのです。

棚瀬一代先生の著書「離婚で壊れる子どもたち」によると、
片親疎外を起こしている子供たちはこんな問題を併発することがわかっています。

認知の歪み
実は誰よりも自分たちを愛している別離親を、
自分たちを迫害する恐ろしいものであると信じこむ等、認知の歪みがおきる。
これがパラノイア的パーソナリティーとして固まっていく可能性が指摘されている。

また、支配的な大人がこうした妄想を植え付けていく行為は、
共有精神病性障害として、ICDやDSMでも取り上げられている。
自己の喪失
監護親に見捨てられないために、監護親の意見を100%鵜呑みにして生き、
結果として「無自己」として生きることを強いられる。
長じてから深刻な抑うつ感や
希死念慮といった深刻な後遺症を引きずることになる。
精神的な問題を引き起こしやすい
学業成績不良、睡眠障害、抑うつ症状、自殺企図、違法行為、
風紀の乱れ、薬物依存などの問題を起こしやすいとされる。

その他、子供の発達・発育に不利になる、
将来、父親の役割を果たせなくなる、
同居親との関係もうまく行かなくなる等の問題が指摘されている。

この認知の歪みは、いわゆる解離の原因になるのではないかと思います。
二女も、出て行った当初、私や長女からの連絡を拒否していました。
当時をふりかえって、暖房も寝具もない新居で段ボールを床に敷いて寝たとか、
少しずつ話すようになってきています。でも、ほとんどのことを忘れているようです。
たとえば、「そんときに帰ってくれば良かったのにさ」と尋ねると、二女は、
「そうだよねー。その発想はなかったみたいねー。」と他人ごとのように言います。
片親疎外を起こしていたときの自分と、今の自分との間に、ちょっと隙間があるかんじ。

よく、この子、帰ってこれたな。彼女を励ましてくれた○○○ちゃん、ありがとう。
それで認知の歪みがだんだん解消されて、私らと連絡をとるようになって、
それから「同居親との関係もうまくいかなく」なって、追い出されてしまったわけですが。
この娘の解離な状態は、だんだん落ち着いて、統合されていくことでしょう。
一緒に暮らしていての手応えがあります、これはあまり案じていません。

2014年2月21日金曜日

子育て・片親疎外という現象の定義

片親引き離し症候群または片親疎外とは

これは、もっとも進行した過干渉が、子供の精神を蝕んでいるときに現れる現象だと思われます。

どんな現象?

看護親によって、もう一人の親から引き離されている子にしばしば見られる現象なのですが、
格別の理由なく、離別親を拒否するように変化している状態を指して、片親疎外といいます。

もうちょっと詳しくは(この分野の研究者である米国のバーネット医師による定義)

片親疎外の定義は、(高葛藤な別居状態か、離婚した親を持つような)
子どもの精神状態を表す言葉で、
公正な理由なしに、
監護親と強い連帯関係をもち、他方の親との関係を拒絶する状態である。
片親疎外の特徴は、
(拒絶された親が邪悪で、危険で、愛するに足りない存在だと誤って思い込む)
異常な精神状態によって、
異常で不適応な行動(親愛的な親との関係を拒否する)をすることである。

それは病気?

この概念は、要は連れ去り事案がより早く発生していた欧米で認識されるようになり、
小児心理学の研究者で、実務家でもあったガードナーが最初にまとめたものです。
そのときは、病気としてとらえられ、だから症例として紹介されました。

でもこれを病気であるとするかどうかについては、いろんな批判があったようです。

とはいえ、この「状態」は、とても頻繁に観察されます。たとえば、
Association of Family and Conciliation Courts
(家庭問題の解決を通じて、子どもと家族の生活を向上させるために働く職業人のための、非営利で国際的な協会)
という国際的な、実務者のための組織があるのですが、
ここでのアンケートによると、回答のあった300のなかの実に98%が、
「ある子どもたちは、その保護親によって、他方の親を正当な理由なしに避けるよう操られている」
ことを認識しているそうです。
しかもこれ、前掲のバーネット医師の定義よりも、ずっと踏み込んでる質問ですよね。
子どもの状態を聞いているんじゃなくて、看護親によるマインドコントロールについて聞いているんで。

実務家としたら、「病気か病気でないか」論争に時間をとられるのは無駄なわけで、
それよりも、目の前の子供のケアに傾注すべきということで、
不毛な議論を避けて「症候群」という言葉を外そうじゃないか、となってきているらしい。
現場を知っている人は、気づいていることが多い現象です。

ちなみに、英語では片親疎外はParental Alienation (PA)で、
片親引き離し症候群Parental Alienation Syndrome (PAS)です。
英語ではSyndromeがつくかつかないかの違いしかないけど、和訳するとけっこう違ってくるのでした。
バーネットの定義は、PAの方ですね。ただ、それがもたらす病的な状況を知っておく必要があるので、
ちょっと解説が付帯している。

もっと知りたい

おすすめ本を2冊。

離婚で壊れる子どもたち 心理臨床家からの警告

棚瀬一代(著), 光文社 (2010/2/17)
ISBN-10: 4334035507

離婚毒―片親疎外という児童虐待

R.A.ウォーシャック (著), 青木 聡 (翻訳) 誠信書房 (2012/5/15)
ISBN-10: 4414414474

ネガキャンについての蛇足

この概念には批判が多いのです(またあとで、項を改めて)。岡目八目的にみると、その原因のひとつには、
利権団体によるロビー活動、あとネット等をつかったネガティヴ・キャンペーンがありそう。
このへんの情報を集めていると、そうしたネガキャンのサイトに行き着くことが多いんですが
すごいですよ内容。
まあ要は、ある種の利権団体が、これを面白くないと見ているらしい。
またそのキャンペーンに乗る個人が、けっこういるんだな。
まあこれらは、エヴィデンスに基づかない主張をしがちなので、うーん。
議論になってないことが多いかも。

研究者は静かな環境を好むもんです(目立ちたがりも、まあ、たまにはいますが)。
でも、社会にフィードバックするのが仕事なので、
ネガティヴ・キャンペーンに巻き込まれることはあります。
遺伝子組み換え作物とか。
農薬とか。
実験動物とか。動物舎が、襲撃されることもあります。
ある種の研究機関では、所長個人の家の前で、街宣車が終日、がなってたこともあります。
日本ですよこれ。奥さんが体調を崩しちゃって。それはテロじゃないのかと。
街宣車に乗っている人たちはたぶん、仕事で、食うためにやってるのでしょう。
主張が正しいかどうかは、彼らにとってあまりたいした問題じゃないのかもしれない。
でも研究者は、真理と対話することに忙しいんです。静かに見守ってあげてほしい。
新しい事実は、彼らから社会へ紹介されることになるんだから。

こういう利権団体のキャンペーンと科学って、相容れないものです。
自分の都合のいいことを声高に叫ぶのがキャンペーン(戦闘・戦役)。
真理を目指すのが科学。

あと、キャンペーンをはるヒトって、あんまし長い目でものを見ないですね。
片親疎外は子供の状態だけど、これ表裏一体で、監護親の状態でもある。
後に述べますが、この状態の看護親、すごく支配的で、ジコチューで、共依存がある。
共有精神病性障害を患っていると考えられます。これもまた治療対象です。

要は、このキャンペーンをはっている人は、
自らのクライアントの治癒の機会を奪っているんですよ。
こういうことに考えが至らないなら、浅薄というか、馬鹿。
クライアントが治っちまえばクライアントでなくなるから、ということなら屑。
バカなのかクズなのか。どっちなんすかねえ。

2014年2月20日木曜日

子育て・心理的虐待/過干渉

過干渉について

虐待の全般を解説するのは、私は明らかに適任でないです。
けっこう多岐にわたる事柄で、いろんなケースワークがなされていて、
すみません、わたし不勉強です。

ここでは、じぶんちに関連することだけ。
過干渉、ないし、親による行き過ぎたコントロールです。

このへん研究成果がわかりやすく解説されてるサイトがけっこうあって、
たとえば米国のセラピストDan Neuharth氏のサイト
(この方、MDでなくてPhDで、セラピストとしての資格をもってらっしゃるんですね)では
過干渉になる親の特徴を以下のように紹介してます。
ちょっと元の表現がくだけているものなので、直訳しにくい。
意訳ではありますが、だいたいこんなかんじ。

  1. 抑圧:自らが自立していない。味方がほしくて、子供の精神を支配して自分に引き止める。これが子供の自我形成を抑圧する。
  2. 与えない:(そうしないと思い通りにできないと信じていて)子供に注意を払ったり励ましたりすることを保留する。子供を条件付きでしか愛さない。
  3. 完璧主義:優秀であることに固執し、子供に過大な要求をする。
  4. カルト的:不確かさに耐えられず、自分が全てをよく知っていると思いたがる。しばしば、軍や社会・企業の規律、宗教の戒律、特定の哲学などにはまりこみ、それらの厳格なルールを子供に押し付ける。
  5. カオス的:心のなかで台風が荒れている。くるくる変わる気分、矛盾しあった規律、困惑させるコミュニケーションで子供を振り回す。
  6. 自己中心的:強固な負けず嫌いで、譲歩するのが嫌で、子供から奪い取ることに熱心である。被害妄想的で自己中心的、誰かの得を自分の損と考える(その誰か、には子供が含まれる)ため、子供を馬鹿にした尊大な態度をとる。
  7. 虐待:怒れる火山の頂に立つごとく、子供を精神的ないし物理的に虐める。またはセクハラをする。怒りにまかせて子供を扱う。
  8. 子供じみた:自らの能力を貶め、子供を保護しない。逆に、子供たちに自分の世話をさせる。
これぜんぶウチの妻にあてはまるんじゃないかなあ....
娘らはどう見るかな? 聞いてみたいけど、聞くのがこわいかもだ。
たぶん妻に知れると、「私の悪口を言って娘たちを洗脳している」とか言い出すしなあ。
でも、ちょっと書き出してみると、
  1. 抑圧:連れ去った子供を洗脳してるっぽいです(後で項を改めて)。
  2. 与えない:自分に反抗的になった二女を放り出し、弟妹に会わせません。
  3. 完璧主義:放り出した二女ですが、英検を受けろといって、勝手に申し込んでいましたよ。二女は行かなかったみたいだけど。
  4. カルト的:目下、キリスト教の某宗派にハマっています。子供らを毎週つれてってます。なにかというとすぐ「神は」とか「祈れば大丈夫」とか言うようになってるらしい。
  5. カオス的:これ!これ! 片付けると怒る、何か気に入らないことがあると怒る、どこに地雷があるんだかわからなかった。
  6. 自己中心的:これも! えらい被害妄想的で、妄想が膨らむふくらむ。で、妄想と現実の境があやふやになって....。まわりのことは一切考えない。長女が受験だ、とか、子供たちが泣いているとか、ぜんぜん気にならないらしい。
  7. 虐待:いったん叱り始めると、いつまでもいつまでも止まらない。自分の気の済むまで、罵倒し続ける。子供が逃げると、どこまでも追いかけていく。しつこい。
  8. 子供じみた:泣きながら、子供に私の愚痴を言い聞かせ、慰めてもらってるらしいです。
わー。当てはまりすぎ。見てたの? 予知能力? ってくらい。
自分自身はどうだろう? 3が怪しい? 
自分じゃわかんないから、そのうちやっぱ娘らにも見てもらおうかな。
でも二女にみせると、トラウマがフラッシュバックしそうだ。

どんな影響があるか

当然、いろんなことがおきます。それこそ、本が何冊もでてるくらい。
スーザン・フォワード著の「毒になる親」は有名で、
たとえばここにこの本のまとめが。
このタームで検索するといろんな情報にアクセスできます。気味のいいもんじゃないけど、
後述する理由のため、たぶん自分の家族には関係ないって人も、知っていたほうがいいと思う。
いちばんの問題は、

  • 子供が自我を確立することへの阻害
  • (上記に関連して)子供との共依存
  • 子供が抜け出せたら、関係が途絶・破綻する
  • 長年にわたって影響するトラウマを残す
でないかなと。
その結果、いつまでも自分に自信が持てない・自己評価が低いこととか、
結婚生活がうまくいかなかったり(結婚したあとでも干渉が続いていたりして)
もろもろの社会生活がうまくいかなかったりすると、「毒になる親」では紹介しています。
私らの学生さんたちの中にも、これが疑われる子はけっこういます。
学校に出てこなくなったり、もっと引きこもったりします。
他者を信じられないみたいで、友達をつくるのも下手だったり、
教官やカウンセラーにもうまく頼れないんです。壁をつくっちゃう。
社会的に不適応なかんじ。←これ素人が言っていいことじゃないかも。だけど正直、そんなかんじ。

逆に、ああ、この子は愛されてきた(いる)子だなってのも、見てるとわかります。
どこか人間を信じていて、心の芯に温かいものがある。
向い合ってると、その子から信頼されている感じがする。
そういう信頼を無下にはできないから、こっちもがんばっちゃう。
だから、愛されている子はちょっと得をします。スタートの位置が違う。

そうやって縛り付けられていても、まあ破綻することもありましょう。
かならずしも過干渉の親と仲がいいわけじゃなかったりする。
まあ、普通に考えれば、嫌だよね、こんな押し付けがましいひと。

どう予防するか

親子の関係が密室であると、これが防ぎにくいわけで。
二親いるなら、その両方がみる、じいちゃんばあちゃんもいればみんなでみる、
たぶん子供は、たくさんの大人や子供のなかで育つほうがいいんだと思われ。
悲惨な虐待は密室でおきます。これをやる親は、社会との接点を避けます。

連れ去りと引き離しは、その最たるものだと思う(次項に)。

これ、要注意なのは、親にこう育てられた子は、長じて自立できない大人に、
やがて過干渉な親になってしまいがちだということ。
支配されてきた復讐を、自分の子供で遂げようとする。
虐待の連鎖です。親との仲がわるいひとは、自分でもこれ疑うべきかも。
うちも、妻のところも、ちょっとそんなだったな。
問題ある学生は、親もへんな人だったりします。例外もあるけど。

こういう連鎖は、自分の代で止めましょう。

2014年2月17日月曜日

子育て・虐待にかんすること

虐待の定義

たとえばDVと同じで、虐待も、法律に定義が書かれている。
さらに法律は、各自治体が啓蒙に務めるように要請していて、
この法律を噛み砕いたような説明が、各自治体のパンフレットやHPに紹介されている。

もともとこういう概念は諸外国から輸入したもんだから、
そうしたサイトから直接にもってきても良さそうなもんだけど、
その点はやや慎重かもしれない。

ともあれ、裁判所のHPではこの4つに分類して紹介している。
  1. 身体的虐待
  2. 性的虐待
  3. ネグレクト
  4. 心理的虐待
この分類は、最高裁の統計資料でも使われている。
このうちの1-3は、直感的にわかりやすいと思う。

心理的虐待

最後の心理的虐待児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと
と説明されている。これは実際に使われている考えで、
たとえば児童相談所が子供を保護する「児童福祉法28条事件」に際して、
児相は家裁の許可を得るのだけど、
このときの通告の13%くらいがこのタイプの虐待である (資料)。
統計資料によると、この通告はほとんど却下されないので、
各地の家庭裁判所でも、それなりに受け入れられている捉え方だと思う。

放っておいても死なないから、とか言って軽くみないでほしい。
これ、その子をずっとずっと苦しめることになるのだ。
たとえば、ずっと抑制されてきて、入学した時点で、
自我がとても弱い学生さんたちがいる。いつも親を気にするような。
こういう子は、就職の段階になっても、まだ親の引力から抜けれれないんです。
自我をつくるべき時期につくれなかった、それを青年になってからやらねばらなない。
各学年に、数人ずつ、数%くらいな割合で、そういう子がいる。

これらをケアするのが、どれだけたいへんか。
大学に出てこなくなる、引きこもる、会話が成り立たない。
(ご存知ですか、最近の大学には、出てこない子を放っておかないところもあるんですよ。)

まだ彼らは、大学に入学できた程度にはマシなんだろう。と思うと、
もっとぼろぼろにされちゃった子はどんなになっちゃうのだろう? と思わざるを得ない。

これ、たぶん大人になっても、ずっとずっと引きずるトラウマなのですよ。

2014年2月16日日曜日

裁判・やっぱり中世?

お白州

あの、日本は中世だっていうやつ。青筋立ててシャラップとかいったやつ。
大使として、だれかもうちょっとマシな人がいなかったのか、恥ずかしいなあと
苦笑いしたんだけど、あれシャレにならないですね。

うちの家裁(の調査官)、ほんとに中世みたいだ。
学術研究を無視するというか、たぶん勉強してないんだけど、
それで自分たちだけがオーソリティみたいにふるまってる。
けど、その実力は、前のエントリーにある通りで。

いろんな分野で、科学革命と言うべき、自然科学の成果の還元がありました。
遅かったり早かったりするけど。RAフィッシャーがいた農学(の一部)は早かった。
それから医学、やがて生物学全体へ。

医学でも遅いとこと早いとこがあって、感染症学なんかはとても早くて、
精神医学はまだそれが起こり始めたかなってところみたい。でもたぶん急速に進む。
会社が薬を売るためだけにでっち上げていた症例は否定され、
学会にも自浄作用があるところを見せてくれてます。
脳科学もずいぶん急速に進歩しつつあり、そこからの還元が期待できそう。
うん、これから進むよきっと。

裁判所もそうあってほしい。
独立と孤立を間違えてないだろうか。もっと心を開いていってほしい。

今回の報告書でいちばんの違和感は、「自分たちが聞き取ったことが全て」という態度。
言わせてしまえばこっちのもの、とばかりに誘導尋問をする。
物証を無視する。現実社会も無視する。

たとえば、虐待の兆候は見られなかった。だから存在しなかったと彼らは言う。
調査の感度が悪かったからだという可能性は無視される(実際、悪かったわけだが)。

科学では、こう。
もし何か仮説があったら、調査して、たとえば有意差検定をする。
有意であれば、なんらかの行動をおこす。発表するなり、研究を発展させるなり。
有意でなければ沈黙する。有意でないということは、差が検出できなかったということ。
差がなかったことではない。ぜんぜん違う。
別の証拠があるのなら、そっちを検討するものだ。
これを知らないということは、統計学の基礎がないということ。
統計学の基礎がないということは、科学の素養がないということ。
よって、そこは科学以前の世界。それはキリスト教圏なら中世。
世界的な水準でいって、中世と揶揄されるのは、仕方ないことでしょう。

思うに、お白州のシステムって、こんなだったのでは。
証言を集める→それをもとにストーリーをつくる→権威をもって関係者を屈服させ、そのストーリーが正しいとする
調査の非科学性もさることながら、
そのストーリーを作る際の客観性の担保とか、あらゆる可能性の検証とか、仮説と立証とか、
そうした「科学的な考え方のシステム」が、このお白州にはない。
調査官がやったのは、まさにこれ。
もっと悪いかな、事前にストーリーがあって、
それに沿う証言を集めたわけだから(子どもに誘導尋問までして)。
とはいえ、江戸時代は日本では「近世」の扱いだから、この家裁を中世と呼ぶのは失礼かな。
近世のほうが適切かも。

裁判・調査官の報告書

やっと出来てきた

どういうわけか、当初の予定にあった試験的面会交流は実施されず、
当初の予定より1か月もおくれて、報告書ができてきました。

あんまりにもぶっとんだ内容だったので、どこかで公開したいところ。

どこからつっこめばいいのだろう?

わたし、がっくりきてます。
心胆寒からしむるって言葉がありましょう?
あれ、本当に寒気がするんだなって。この一週間くらい、ぞくぞくして。
報告書から悪意を感じる。その悪意がこの寒けの原因だと思われ。
調査官に期待できないことはわかった。それがわかるところを、かいつまんで述べます。

申立書の内容を捻じ曲げた

報告書は、それぞれの主張を要約するところから始まっている。
ここからしておかしかった。

私の主張は主に、
妻がまったく面会交流に応じないこと、
妻が遠方の実家へと移住しようとしていて、実行されるときょうだいが分離されること、
引き離しによる悪影響が子供たちに悪影響を及ぼしていることだった。

ところが要約では、私がネグレクトを訴えて、引き渡しを請求していることになっている。
これによって、争点が、妻によるネグレクトの有無にすり替わっていた。

しかも、要約といいながら、文字数が減ってないんですよ。ただすり替えただけ(笑)。

彼らは、心理学について、まるで無知(か、そうふるまっている)

子どもに面接をする際に、誘導尋問をしている(何度も)。
これ、やってはいけないことの、基本中の基本ではないですか。
繰り返して誘導することで、特に子どもの記憶なんて、すぐ書き換えられてしまう。
こんなことも知らないのか、知っていて悪用しているのか?

片親から引き離された子どもに何がおきるかについて、
たくさんの研究報告があって、それらはわかりやすく本にまとめられています。
これについて私は面接の際に、何度も強調しました。
彼らは頷いて聞いていました。
私は、てっきり、話が通じているんだと思ってた。
でも報告書のなかでは、この話は一切、無視されていました。

わかったわかったと聞いて、実は無視するのって、だまし討ちだよね?
(引き離しが子どもに与える影響に関しては項を改めて書きます。)

あらゆる虐待の兆候を無視し、ものすごい楽観論で
普通の親子関係であるとこじつけている。
虐待を防止しようという発想は、まるでない。
二女なんて、追い払われてるんだよ、事実として。普通か、これ?
子供たち、二女が追い払われるプロセスを、ずっと見てたんだよ?
普通の関係だと言うか、これでも?

なんにしても、先行研究を知らなかったり、無視していれば、
何かを調査研究しても、発表の場なんか与えられません。
こいつら素人か、もっとタチの悪いゴロだぞと思われて、弾かれておわり。
もし私がレビューワーだったら、酷評してリジェクトです。
こんな素人が、調査研究して世の中にフィードバックって。無理。無理無理。

子の最善の利益なんて、どうでもいい

報告書のなかには、かなりひどい状況が克明に書かれていました。
段ボールが散乱してたとか。洗濯物が床に散らばってたとか。
階段においてあった荷物が崩れ落ちてきたとか。

子どもを父方に移せば、より適切な住環境が与えられるだろうし、
良好な関係だった姉たちにも会えるとも書いてある。

しかし、妻は家政婦を雇っているため、問題はそれほど大きくない。
と結論づけてます。だから、監護親を変更する必要はないと。

週一で通ってくれてる家政婦さん、おばあちゃんなのに。彼女にどこまで期待するんだ? 
それに、いつまで雇えるんだ? 
経済的には、妻はそのうち働くと言ってるから大丈夫、と結論づけてました。
この楽観論はなんだ? どこに根拠があるんだ?
母子家庭の半数が貧困状態にあるという報告を、調査官は知らない?
 
この、見て見ぬふりはなんだろう?
調査官たちは、親子のことには家裁は立ち入らないよと宣言しているようなもの。
子の最善の利益を守るのは監護親の義務であって、
裁判所は無関係だよと言ってる。ああ寒い。寒い。
ですますが保てないくらい寒い。
この人達は、子の人権の、最後の砦なのに。だれも子どもの味方がいない。
私にも妻にも弁護士はいるけど、だれも子どもの味方がいない。

自分たちの聞いたことしか考慮しない

短い時間で聞き取れることは少ない(ましてあのスキルじゃなあ)。
相手が真実を語るかどうかもわからない。
質問しないから、そこはたぶん判断できない。
しかし、提出されている物的証拠は、いっさい考慮しない。
自分たちが書き取ったことだけでストーリーをつくっていく。

しかも、この記録には明らかに偏りがある。
妻たちからの証言は、私と姉たちの証言の5ないし4倍の文字数で記録されていた。
姉たちの証言のなかには、妻の虚言癖についての苦情があった。
もしこの証言に適切な注意が払われていたら、妻の証言の真偽を検討できたろうに。
かれらはただ放置した。
実際、これまでに提出されているもろもろの証拠や、
客観的な事実と食い違う証言がぼろぼろ出ているのに、それはぜんぶスルー。

結局、調査官がしたことは、
ただ聞き取った内容を(真偽の区別も、正確さの重みの検討もなく)並べ、
そのなかから恣意的に証言を選びとっただけだ。
ご丁寧に、妻の発言が記録されていないことについても書き出して、結論を導いていた。
いわく、妻は、この看護状況を維持すると言っていると。

こんなこと言ってない、むしろ遠く離れた実家に行くことを強く示唆していたくらいで。
それに、仮に維持したかったとしても、経済的に不可能じゃないか。
寒いよ。バカなの? うっかりさんなの?

バカなのかクズなのか

専門知識も常識も持ってない、だから不見識なことをしがちだ、というなら馬鹿。
専門知識を持っていて、それを悪用しているのなら、人間の屑。さあどっち?

バカなら教育による改善の可能性がある。いや本当にバカだとだめだけど、
いくらなんでもそれはないでしょ?
やる気がない学生をたきつけてその気にさせて勉強させて、
ちゃんと食っていけるようにすることなら、
私にだってちょっとしたスキルと経験がある。

でもクズはなあ。かかわるだけ時間の無駄。
どっちなんだこの人達? いっしょに話していた時間、私はクズの匂いを感じなかった。
むしろ真面目で、職務に忠実な人々だとおもった。
この感覚は間違ってなかったと信じたい。

いや、人間て(正しいものではなくて)信じたいものを信じるクセがあるから、
気をつけねばならんのですけどね。信じる者に救い投げってね。
この問題の先達たちのブログを読んでいると、クズ説が強くて胸がいたい。
でもこれ、調査官個人じゃなくて、家裁の何かが悪いんじゃないか?
いろんな圧力が上司からあったりして、自分をひん曲げてるんじゃないのか? 
あの人達、あんなに真面目で、、、え、それは私の目が狂ってたの?
娘たちが言うように、父さんは人を見る目がないからなの?

まとめ

かれら、調査能力も、まとめる能力も、からきしです。
どこで何を習ったんだ? 研修するはずだよな?
研修したから、それで良いことになってないか?
それだけで、ちゃんと対策をとってるから、それで良いことになってないか?

彼らにはいろいろ期待があるし、私も期待してたけど、無理。とっても無理。
なんだろう、立脚点が違う。子どものことなんかどうでもいいらしい。
で、どこに立っているのかはわからない。
組織のためって説もあるみたいだけど、違うんじゃないか?
こんなことやってれば、裁判所への信頼が損なわれる。その危機感は、ないみたいだし。

二女は、それこそ母についている弁護士にあこがれて、
法曹界で働きたいなと、かつて言ってたです。
いま幻滅してる。これに関わる全ての大人に幻滅して、絶望してる。

子どもたちに恥ずかしくないのか?
彼らに恥はないのか??? 

裁判・調査官はどうやって調査したの?

調査方法

これ、他のところ、別の調査官でどうだったのかがわからない、
もしかしたら私らのケースだけかもしれない。
でも少なくとも我が県では、子ども関係のときは、
男女二人をペアにして派遣してるらしいです。

調査は、この二人による聞き取りでおこなわれます。
彼ら、質問を用意してきて、それについて聞き取ります。

わざわざ雪のなかをお越しいただいて。
お茶とお菓子くらいは用意したんですが、いっさい手をつけません。
せめて家のなかを暖かくしてお迎えしました。

聞き取った内容は、ひたすらノートに書き取ります。
ずっと書いてます。 え? 録音とかじゃなくて?
書くんです。書くのが追いつかないと、ちょっとまってと言われます。

そこで聞いたことに関して、質問を重ねることはありません。
用意した質問への答えをただ書き取るだけです。
自分の意見を述べることもありません。
頷きながら書き取るので、理解してるのかなとか思ったんですが、
どうもそうでもないらしい。筆記が追いついていることの表明なのかもしれない。

なんだろう、対話みたいに見えるけど、ぜんぜん対話じゃないんですよ。
正直、要領のわるい学生を相手にしているときのような、
ずっと咬み合わないものを感じてました。
いい学生に教えるのは楽しい。適切な合いの手があって、
ナイスな質問があって、それがまた議論を深めていくから。
調査官の態度はその逆。なんていうか、遠隔操作のロボットを相手にしているかんじ。

聞き取り調査で重要なのは言葉尻ではなくて、
相手の考えの大筋を聞き取ること。
対話は科学の基本で、誤解をとき、論点を見出し、
より深い理解を得るためには、誠実な対話による議論は欠かせない。

ってなことを、もしかしてこのひとたち知らないのかな?

その悪い予感は、あとで形をとってでてきました。

裁判・家庭裁判所に期待される役割

立法と行政からの期待

これ私は素人なので、どなたかに解説していただきたいくらい。
つい丁寧に、ですます調になっちゃうくらい。

でも、こんなことが期待されている、というのがわかる資料として、
これで検索してみてください。

平成23年8月3日最高裁事務総局家庭局第一課長通達.pdf

読んで字のごとく、最高裁から各家裁への通達です。
なかみは平成二十三年四月十九日の第177回国会衆議院法務委員会議事録で、
だからここでも全文を検索できます。
テキストでとれるので、検索したほうが便利かもしれない。
このときに民法が改正されたわけですが、その立法趣旨の周知のために、
最高裁から高裁・家裁へ通達されたのだそうです。

これ、面白い資料です。法律がこんなかんじで作られているのかあって、
おじさん初めて知りました。
たとえば江田五月法務大臣と、法務委員の馳浩議員の議論のなかで、
家庭裁判所への期待が熱く語られています。こうやって世の中を良くしていくんだ、
という熱が、活字のなかから立ち上がってくるですよ。そこでは家裁が、

様々なケースを社会の中に分け入って調査し、
問題の解決のための調査研究をして、
社会へフィードバックすること。

高葛藤であり面会交流が実現困難であるように見えても
子の利益のために、面会交流を実現していく努力すること。

そして何より、
子の最善の利益が、なによりも優先されること。

がはっきりと語られています。

また、そのためにこそ、家裁は調査官をもっている。
彼ら調査官は専門知識をもち、経験もある実務家である。
こういう人たちが調査研究をして、立法府へも提言を行うべき。
また、行政の垣根をこえて児童相談所とも協力して、
子の最善の利益を守ること。

裁判官でもあった江田大臣から、たいへん厚い信頼と、大きな期待を表明されています。 
なかなか、ここまで信頼され、期待を寄せられる人っていないですよ? 
かっこいいじゃないですか。
いち国民である私も、ならお任せしたいなあと、信頼したいなあと思いますよ。
皮肉じゃなくてね。

でも、実情を見てみましょう。