2014年7月25日金曜日

審判の杜撰さ

前回の草稿、もっとつっこんで長い論文にして書いてくれってことだったので、
ご期待にこたえられるか、ばっちりのバージョンを作成中。

じつは、短報を弁護士さんの業界紙に、フルサイズのを法律関連の雑誌に
投稿するつもりだったのだけど、まあ最初から出し惜しみはしないでいこうと
方向転換。

司法統計から、見落としていた結論部分。


これは、どのくらいの割合で、審判が訴えを認めるかという割合。
子どもの引渡しなら、引き渡せというのがこの数字。

ゼロじゃないんですよ。だから、連れ去れば必ず勝てるわけではない。
にしても、これはないんじゃないか。

2004年くらいから、面会交流が認められるように、だんだんなってきている。
それにしたって4割に届かないんだけどね。

それにともなって、引渡しの割合が減っている。たとえば、引渡しがもっとも多かった
2006年と、もっとも新しいデータである2012年を比べた時、カイ二乗検定をすると
P値は0.0005569 で、めちゃめちゃ有意である。

要は、引渡しは面倒だし、責任とりたくないし、面会交流でいいじゃんという考え。

そもそも、なんで審判になっているかを考えるべき。面会交流を拒否し続けていたから審判。
調停委員のいうことを聞かなかったから、調停が不調になったから審判。
片親と子どもの関係を切断するのは虐待。それを司法がスルーするのはおかしい。
虐待があったから引渡しの審判をしているのだという認識がない。


乙7ではもっと引渡し側の結論になっている。
ちゃんと調べるとこうなるってことだろう。
子どもに被害が出るまで待ってから出てくる司法。

0 件のコメント:

コメントを投稿