2014年4月14日月曜日

裁判・米国との比較

国内事情がけっこう違うところもあり、共通のところもあるかんじ。
違っているけど同じようになってくる可能性もあったり。

違うところ


制度 システム プロセス


・面会交流の頻度・いつから始まる
   米国ではこれは、必ず、すぐに、隔週末プラス週中に1日程度

・家裁(親族法の裁判所)の権限 罰則を与えられるか
    米国では、手法としてはあるらしい。日本ではどうもなさそう。
    ただ、実際にやるかどうかはアメリカでもちょっと疑問。

・裁判所に証人を呼べるか
    もれなく出てくるらしい。調査官にあたる人がいないのかもしれない。
    この質が低いことがかなり問題のようだ。
    トンデモな人も、真面目な人も、そこはビジネスとしてやっている。
    その人達がかき回すので、退場していただくために、科学者を呼べとなっているらしい。
    日本にも、怪しい専門家はいっぱいいるわけで、
    そいつらが法廷に立つようになれば、状況は同じになる。
    時間の問題かもしれない。

考え方

・親の権利が憲法に保証されている人権にあたるものかどうか
       米国ではこれは当然の権利と認められている。30年くらい前から?

・片親疎外に関しての認知
    米国では、ある。それが明らかに行き過ぎたケースもあったらしい。
    だんだん、妥当なところに落ち着いてきている?
     (強硬な反対派もいることはいる。)
     
   日本では、うちの家裁だと、調査官本人は知っている。
    調査官たちのトップは、これに否定的。
    裁判官は、たぶん知らない。


似てるところ


・すごく時間がかかる 何年も その間に状況がかわっていく。

・連れ去るのは母親が多い(らしい。生データを見たことがないながら)。
     ちなみに虐待の加害者は母親のほうが多い(これはデータが出ている)。

・弁護士どうしはあまり争わないし、裁判所とも争いたがらない。
    癒着、とまで言い切っていいかどうかは不明なれど。

・裁判官に、科学的なセンスはない。

・裁判所の不作為。ないし不誠実さ。

面会交流はどの程度役にたつのか?

ぶっちゃけ、月イチでディズニーランドにつれていったって、ダメでしょ。
  こないだ娘たちが会ったときの話を聞いていて、強くそう思った。
  たとえば、叱れるような状況でないと。
  もっと全面的にコミットできないと。
 
  面会交流をしていても、おきるのが片親疎外。
  それではダメだから始まったのが共同親権。
  本のなかに、そのへんの話がいろいろ出てるんだろうなあ。
  斜めに読んでみるかな。

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