2014年4月9日水曜日

ガードナー博士の1998年の論文の感想

ちょっとまだ、まとまってないながら。
いま見返し中で、あとHTMLにするのにちょっと手間がかかる。

関係ないながら、いまネコ捕獲機に、通称「あんちょび」がかかるのを待ってるです。
いつもその捕獲機から餌を食べてたのに、今日に限って、来ない。
そんで、うちでおなかいっぱい食べて、もふもふして、
上機嫌で帰っていった(どこへ?)「しゃけ」が昨晩ひっかかって、
またすごい怒っていました。開放したらぴゅーと走り去った(どこへ?)。

今しがた、またご飯食べにきて、もふもふしていきましたが。
鷹揚だなあ、しゃけ。


母親への先生の視線

ガードナー先生、母親たちの利権団体から、蛇蝎のごとく嫌われていました(います)。
すごい反発にあった表現が、この論文にも含まれてた。

あと、やっぱり感情的に叩かれていた内容が、もうひとつ含まれていた。
これはその叩く記事を私がたまたま見ちゃったっていうだけで、
圧力になってたかどうかはわからないながら。

しかし思うに、この先生が母子にむける視線は、
たいへん暖かで柔らかいものではなかったかなあ。

先生、母子を引き離すことには、かなり反対してました。
これは論文を素直によむと、明々白々です。
本当にどうしようもないときだけ。
他に道がないときだけ。
その状況が解決する間だけ。
子どもを母の洗脳から守れと言っています。
それななぜかといえば、

なによりも子どもが大切

と思ってたからでは。
母親が抱え込んでしまって、(これを塹壕にこもると表現してます。時代かな。)
そこに司法が介入しないと、(セラピストには手が出せないから)
わりととんでもないことになる。
それがわかってるから、義憤にかられている。
口には出してないけど。
「こら裁判所! 現実を見ろ! 考えろ! 仕事しろ!」
と言っているよう。

このへんの状況は日本と似てるかもしれない。
もっともアメリカの司法はもっとパワフルみたいですが。
日本の家裁には、使えるオプションが、ぜんぜんなさそうだし。
面会交流に応じない母親への罰則、なさそうだなあ。
使える予算も少なそうだよなあ。
証人をよぶ金とか、ないんじゃないかしら。暖房費も切り詰めてるくらいだし。

背景の違いと、違和感というか羨望

もう面会交流は必須、あたりまえ、週末は父の家に泊まるもの、それが当然。
引き渡さないときは罰則がある、逮捕もされる。
これが前提になってる。
1998年。ふう。日本があと5年以内にこうなってるとは思えない。

「洗脳する親は母であることが圧倒的に多いから」ここでは洗脳親を母親と標記する。
いくらシンプルになるからっていっても、
それはポリティカリー・コレクトじゃないっすよ先生。
まあ案の定、いつまでもこれが突っ込まれていくわけですが。
これは時代かな? いや2Kのころって、すでにこれアウトじゃなかったか?
私そのころ、ケータイもってたっけ?
Win98? 漢字トーク7?

とはいえ、母が抱え込む図ってのは、共通するみたいだ。
これ本能に近いなにかなのかもしれないなあ。
本能が暴走すると、
まあ本能って、きちんと書かれたもんじゃなくて脳みその傾向なので、
暴走することがあって、これまずいんだよな。
そのひとの知性を破壊しかねないので。
いくつかの遺伝子が暴走するとガン化するのと似てるかもしれない。
子が育っていく過程も本能ベースなので、
そこをうまく文化なり知性なりが利用できれば理想的なんだろうけど。

もうひとつ人の心でやっかいなのは、
暴走したプログラムがハードウエアを破壊するということ。
コンピュータじゃ、これは滅多にないのだけど。
たぶん血流とかが変わるんじゃないか。
で、壊れたら再生されないのが脳だから。
鬱でも、たとえば、すごく重いやつは脳みそに痕跡がのこって(可視化できる)、
将来たとえばアルツハイマー病になるリスクが有意に上昇するようです。

精神病は、ひどいやつだと治らないのは、この再生しないせいですたぶん。
発作的な症状はコントロールできる(やつもある)し、
だめならだめなりに生きていく方法を見つけることになるんだろうけど。

幹細胞いれて、なんとかできないかなあ。

論文と査読

この論文はまともに査読されてないですね。編集も最小限とみた。
繰り返しフレーズが多くて、きりつめれば2-3割は短くなるっぽいし、
用語の統一も甘い。

さて素人なので、心理学のいわゆる論文をあんまし読んだことがないのです。
まるでないわけじゃない、最近は定量的な仕事も増えてる。でも、
数値化するのにはみなさん苦労しているみたい、エイヤッと感が強い。
あと、おいおいっていうようなノンパラなモデルがよく出てきて、
このへんをきちんとしていくのは、けっこう難しそう。

いわゆる自然科学の土俵にはまだ乗ってないだろうと思われ。
すると、誰が言ったことばなのか、といったようなことが重要になる。
PAに異論が多い理由の半分くらいは、ここにあるんじゃないかな。
意見と事実の区別、意見を裏付ける定量的な知見、といった扱いが、
どうしても難しいんだろうな。

用語といえば、PAS 片親引き離し症候群 の定義がない。
あるいは、論文のなかでもちょっと揺れていそう。
やっぱPAのほうが正確ですね、そこは批判に答えたからだろう。

母親からの反発

裁判所が面会に従わないで抱え込む親に、なんらかの罰則を与えることの
効能を紹介してますが、そのなかに秀逸なやつがあって、
子どもがこれを、もう一方の親にあう口実にできるっていうんですね。
なるほど!

ここに噛み付いたひとがいて、
「裁判所がいうから、仕方なく、父にあうよ」
という子どもの台詞とともに、子どもが可哀想だろというキャンペーンを張ってる。
まあ同じ舞台を、違う方向から見てるだけですけど。
私はこっちの「噛み付き」の方から先に読んだので、
ずいぶん感情的なHPだなあとおもってたんですが、
この論文をみて、まあネタがばれた、みたいな。

どんだけバカなのかと。

面会とPAS

まあなんです、面会していても、母が洗脳する気になれば、
PASになる(こともある)んだなあと。

母親の利権団体

どうしても、こういうのって、
被害妄想的にならざるをえないのかなあ。
平等な社会の実現を、ってことで立てばいいのに、
弱者救済をって立場になるから、おかしくなっちゃうんじゃないかしら。
もしそうなら、それはリベラルじゃないんじゃないか。

とか思う。

あと、なんでか、アンチPAの主張には知性が感じられない。
利権が根っこにある主張だからじゃないかなあ。
たまたま、悪い例が先に、ぐぐると飛びだしてくるようになってるのかもしれませんけど。

このブログとか、ぐぐっても出てこないよね、きっと^^。

0 件のコメント:

コメントを投稿