2014年4月5日土曜日

裁判・翻訳・親権事件における洗脳

AUSTRALIAN FAMILY LAWYER, v. 4(3), 1989, p.1 

親権事件における洗脳:片親引き離し症候群


ケネス・バーン

序論

離婚は、ほとんどの人にとって、一生の間に経験する最も過酷な経験の一つである。多くの場合、苦痛、裏切り、怒りと、かつてのパートナーへの不信感といった強い感情が伴う。それぞれの当事者は、多くの場合、そのカップルが互いに同意できない問題について、自分たちの方が正しいと感じる。子どもがいるときには、この図式は際限なく複雑になる。様々な対立のなかでも、子どもに関する重要事項には、特に関与したがったり、決定権を持ちたがる傾向が、よく見られる。カップル間により複雑な問題があり、より強い負の感情があるほど、これが事件化されやすくなる。

いくつかのケースでは、子どもの同意を得たいという親の願望は、洗脳といってよい域に瀕する。ここでは洗脳という言葉を、片方の親の次のような子どもへの働きかけに対して用いる:その子どもが持っていた他方の親への肯定的な認識を放棄させ、自身がもつ否定的な認識に同意させること。働きかけがここまで強い場合、その親の動機は、単に子どもたちの同意と支持を得ることという範疇を超える。一般的に、洗脳をする親は、他方の親への子どもからの愛情を奪うことによって、その親に復讐をしたいということに動機づけられている。

典型的な例には、他方の親の明白な弱点に言及し、それが親間の問題の主な原因であると非難することが含まれる。その親の肯定的な特性については全く触れない。両方の親が問題に貢献しているという事実も省かれる。

この種のやりとりは、少なくとも二つの点で、心理的に破壊的な影響を持つ。第一に、それは子どもを、忠誠心を競うコンテストの真ん中に置くことになる。このコンテストにはたぶん勝てない。子どもは、好ましい親が誰であるかを選べと言われている。どちらを選んでも、子どもは痛いほど後ろめたく、混乱するだろう。大多数の事案で、子どもは両方の親との関係を継続したいと考えるからだ、親どうしの葛藤とは切り離して。

第二に、子どもが現実を評価するためには、交代の必要がある。片方の親はすべての問題に責任があるとされ、一つも良いところがない人だとされている。こうした認識は、いずれも、看護親の現実認識の歪みを示すものだ。たとえば、晴れた日に子どもが夏服で外出して、快適に感じているとする。片方の親が「いまそとは雨だし、寒い。レインコートとジャンパーを着なさい」と言う。その親を鎮めるためには、子どもは指示に従って行動し、子ども自身の現実認識を曲げる必要がある。

そのような行動は単に親の指示にしたがっているだけで、それは子どもならいつもそうすべきだと主張する人もいるだろう。しかし、健康的な意思疎通としては、子どもには正確で適切な現実認識をさせるべきだ。 ( 「勉強したくないことはわかるんだけど、しないと、試験に落ちるよ」)。

離婚の渦中にある大人は、なかなか客観的になれない、特に配偶者については。しばしば、子どもは何週間、何ヶ月、何年にもわたって、ずっとそうした歪みにさらされる。多くの事例で、子どもは一方の親から、正反対の情報を与えられる。この集中砲火を浴び続けた子どもたちは、不可避的に、重大な精神的混乱をおこし、外界の認識に歪みをもつようになってしまう。

親権や面会の問題を解決する手段を見つけられなかった離婚では、親たちは法制度に頼ることが多い。ほとんどの場合、それぞれが自分の弁護士の助言を求め、裁判に臨む。こうした争いの効果の一つとして、それぞれの親が他方についての一連の「ホラー・ストーリー」の必要性に気づく、ということがある。その直感は、一方がよりたくさん、より鮮やかに、相手を「より悪い」ことを示すことができれば、親権(場合によってはより多くの面会)を得るかたちで「勝利」できるというものだ。

片親引き離し症候群

親権や面会が争点になっている事件例において、メンタルヘルスの専門家たちは、洗脳の極端なかたちがみられる頻度が高まっている現実を見てきている。この洗脳はリチャード•ガードナーによって片親引き離し症候群(PAS)と紹介された現象である(最初の出典はDr. Richard Gardner, "Recent Developments in Child Custody Litigation", The Academy Forum Vol. 29 No. 2: The American Academy of Psychoanalysis, 1985である)。

このような状況に苦しめられている子どもたちは、一方の親によって強烈で持続的な形で、他方の親に背くように洗脳が施される。この明白な目標は、ほとんどの場合――最低でも――他方の親への子どもからの接触を劇的に削減することである。通常その目標は、その子の人生から、実質的にその親を消し去ることになっていく。

例: 蘇椒夫人は彼女の二人の子ども、5と8歳の、が父親に面会することを嫌がり、面会の日が近づくにつれて泣いたり嫌がる傾向が何週間か続いていると事務弁護士(solicitor)に訴えた。そして毎週の訪問を、2週か3週おきに減らすか、「子どもたちをこの圧力から免れさせるために」全く取りやめることができないかと持ちかけた。

蘇椒夫人は10年間、彼女の最初の夫、只野氏と結婚していた。彼女は4年前に離婚し、蘇椒氏と再婚した。事務弁護士は、法医学心理学者の中立博士に相談することを要求した。

両方の子どもの父親である只野氏は、彼の事務弁護士に訴えた:彼の元妻は、だんだん子どもに会うのを難かしくしている。それは、子どもを引き渡す際に、だんだん長い時間待たせることから始まった。最近では、子どもたちはふくれっ面で、只野氏が「意地悪」だったと言うようになった、小さい方の子も上の子を真似て。週末に面会するときには、これは金曜日の夜に始まって土曜日の朝まで続く。ランチタイムには両方の子どもたちが幸せに見えるようになり、それは母の家に送っていくときまで続いた。しかしこの時点で、子どもたちは、再び父親を軽蔑し始め、たとえばこう言い出す。「お父さんなんか好きじゃない。楽しんでいたふりをしていただけだ。」 

中立博士が上の子ども、ジョー(8)に最初に問診したとき、ジョーは彼の父をとても嫌って、頻繁には会いたくないと述べた。その理由について質問されたとき、ジョーは「父さんは僕を叩くし、テレビを見させてくれない」と述べた。この子は父親について肯定的なことは一切言わなかった。ひるがえって、母親は様々に褒め称え、ひとつの苦情も言わなかった。

妹のリサ(5)は、ほとんど兄の言葉を繰り返すだけだった。父親に会いたくない理由は「会いに行くと、父さんはただ座っているだけで、私に夕食の料理をさせるの!」。リサもまた、父に対しては肯定的なことは見いだせず、母には一切の苦情を言わなかった。

父と二人の子どもとでいっしょに問診をしたとき、ジョーからの苦情が父に明かされた。只野氏は息子の証言を直ちに認めたが、より詳しく説明した。彼はテレビを見る時間を2時間までに決めてあった。その時間になったのでテレビを消した。最近の土曜日の朝、ジョーはこの決まりを破ったので言い合いになり、只野氏は一度だけジョーの尻を叩いた。

蘇椒夫人との問診で、すぐに、彼女が前夫を軽蔑していることが明らかになった。別居からずっと確執があり、両者間には苦い非難の応酬があった。彼女自身は子を励まし、ときには強制して子どもを面会させようとしていると強く主張した。嫌がっているのは子どもたちだと。彼女から提案された解決策は、より少ない面会の機会だった。彼女の今の夫を単独で問診した際には、彼は蘇椒夫人の彼女の辛辣さをただそのまま繰り返すだけだった。彼の意見では、子どもたちの父親は肯定的な美徳を何を持っていないので、子どもたちのためには、これからは自分の父親には会わせないほうが良いだろうとのことだった。

只野氏の心理的な評価は、彼は理屈っぽく頑固な性格で、いくぶん付き合いづらい面があることが示された。彼はまた、子どもたちに申し分のない愛情と支援を提供し、深く関わっている、とても適切な父であると見て取れた。

蘇椒夫人の評価では、献身的で有能な母親であるものの、彼女が未成熟であり、自身の感情が判断より優先する傾向が指摘された。

裁判所と関係者に提出された報告書に、中立博士は片親引き離し症候群の診断書を作成し、この問題の解決のための提言を行なった。

この事件では、疾病の全ての症状が顕在化した状態になっている。その症状は以下の通り。

1. 子どもは両面感情を全くなくしている。つまり、一人の親はほぼ完全に否定的に、もう一人はほぼ完全に肯定的に書かれている。

2. 片方の親を嫌うのには理由があるようにも見える。しかし調査結果は、それら理由が薄っぺらく、誇張であることを示している。年下の子では、その理由はさらに薄弱である。

3. 子どもは、片方の親とより少ない接触を望むという意見を、すらすらと迷いなく提案している。これはリハーサルや練習をしたと思われるクオリティだった。

4. 子どもは、こう苦情を述べられる親の心情に、ほとんど何の関心ももたないようだった。

5. 疎外親は子どもの最善の利益のためのように見せかけながら、実際には子どもと他方の親との関係を破壊するために行動している。この行為が、新たな配偶者または内縁関係にあるものによって強化されることは珍しくない。

6. 最も重要なのは、子どもたちは口先で一方の親を侮辱する一方、彼らはその親のための親近感と愛情を隠し持っている。しかしながら、この症候群が見過ごされて悪化すれば、これら全ては疎外親によって消し去られることになる。

これらの症状は、親が親権や面会のための法廷闘争に明け暮れている子どもたちに、もっぱら見られている。より長期間、より激しい論争になるほど、これが起きやすくなる。

片親引き離し症候群は、そこに複雑に絡みあったたくさんの要因があることの顕れである。それはおそらく、単純な洗脳という範疇をずっと超えている。それは疎外親にある多数の要因(意識にのぼる部分と、潜在意識の部分からなる)によって始まり、推進される。しかもその子どもは、疎外親とは独立して、他方の親に明白に対立する立場を守るため、意識にのぼる部分と潜在意識の部分からなる理由によって、自ら積極的に行動することがある。(訳注:この子どもが積極的に疎外に関わっていくという現象から、たとえばリチャード・ガードナー博士は、これを「洗脳」とは表現しなかった。)

上記のケースは比較的「純粋な」形態の症候群である。より普通には、他の多数の因子によってもっと複雑になる。例えば、子どもの性的虐待の疑いは、親権争いの間、より高い頻度で申し立てられる。多くの場合、子どもは他の親(通常は父親)が子どもを虐待したことの詳細を報告する。これらの主張の中には、筋が通ったものもあるが、より多くは、この症候群の症状の現れである。子どもの誘拐は、しばしば州または国境を越えて、より頻繁に報告されている(1988年にメルボルンで開かれた家族法200年記念会議で、ローレンス・スポッターは次のデータを示した。1973年から1979年の間に、米国領事局に報告された国際的な子の拉致事件は85例であった。これが1983年から1988年までの間では 1516に跳ね上がっていた)。これら事件のような法的な異議申立ての山の頂には、この症候群による要素が、仮に全てでなかったとしてもほとんどの事件において、加わっている。

専門家の誤った判断

私は次のような事件に何度か遭遇したことがある:メンタルヘルスの専門家が、自分の扱っている事案の本質に気づかないまま、こうしたシナリオに巻き込まれていったケースである。

ケース1:裁判所の要請により、精神科医の熱血医師は、メアリー(6歳)の親権に関する評価を実施した。それぞれの親と一回ずつインタビューした後、熱血医師は父親に親権を与え、母には制限つきの面会権をあたえることを提案した。裁判所は、この勧告に従った。母親はこの決定に対して上訴を申し立てた。裁判所はその最初の決断をした後、父が熱血医師に、娘の治療を依頼した。熱血医師はこれを了承し、父親と娘が週一回ずつ問診を受けることになった。しかし、熱血医師は治療に母親を含めず、父親も博士も、娘が治療を受けていることを母親に伝えなかった。

次の公聴会で、父親は熱血医師からの、現在メアリーを治療していることを示す書簡を提出した。その書簡では、子どもが母におびえていたことが記され、今は6歳であるメアリーの、3歳のころ母からどういうふうに叩かれたかの証言を紹介している。医師はこう結んでいる:「私の考えでは、メアリーの感情の状態は、母親と面会できるほどには安定していない。通常のように面会できるようになるまで、どのくらいかかるかはわからない。」さらに、「もし面接を始めなければならないのなら、独立した第三者(たとえば州の社会福祉事業部門のような)の監視下で行われるべきだと思う」。

ここで熱血医師は、すでに一度会ったことがある母親を関与させないで子どもを治療している。彼は6際の子どもがおそらく思い出すことができそうにはない記憶を、疑いもなく受け入れ、父親によるプログラミングの可能性を全く考えていなかった。おそらく最も問題なのは、たった一回の母子同伴のインタビューから、子どもが母親と面会するには不安定すぎると結論づけたことだ。

いくつかの質問が提起できるだろう。母がそんなに破壊的で恐ろしいのなら、普通には治療の焦点は母と子の再統合にあって、セラピストのオフィスなど、より慎重に母の育児能力を推し量れるような安全で制御された環境でなされるべきではないだろうか? もし問題が見つかったのなら、その子のためにも母親にセラピストをつけて、もっと有効に親業が勤められるよう母親を訓練するべきではないか? そして、6歳の女の子を、母親の関与なしに、扱えるものだろうか?

ケース2 :母親が家族問題専門の開業医に、5際と7歳の二人の子どもを連れてきて、子どもたちが父親と面会することにたいへん消極的であると説明した。その医師は母親の事務弁護士(solicitor)に次のような手紙を書いた:「私は診療所で、ビリーとサリーに午後2:10 にインタビューした。もし必要ならビデオを録画してある」。

「どちらの子どもも、父親に会いたくないと意思表示をした。父親との面会を断わりたいというのがビリーとサリーの、個々の、かつ個人的な願いであるというのが私の意見だ。また、私の専門家としての意見は、このような面会が許可された場合、児童の福祉に有害であろうということだ。」

医師は母親と子どもの発言を、額面通りに受け入れた。医師は父親のことを知っていたが、その父親には相談することなく、母親の事務弁護士に専門家としての意見を提供した。彼の推論の根拠は、これら5歳と7際の子どもたちが、自分たちの父親と面会して関係を保つかどうかが自分たちの最善の利益にどれだけ影響するかを自ら判断できる、ということにあるようだ。

いずれの場合も医療の専門家は、他方の親や夫婦間に内在する問題を注意深く調査せず、一方の親の「動機」のために、その権威の重さを用いて、意見書を作製した。まず間違いなく、両方の専門家ともに、意欲的ではあった。ただ、経験不足で軽率であった。私の意見では、彼らの努力は、もともと困難な状況をさらに悪化させただけだ。二人ともに、公平な審査官として仕えるかわりに、一方の当事者に操られてその擁護者となる誤りを犯してしまった。

事務弁護士(ないし法務官)のためのガイドライン


1. 面会訪問を減らすか、または中止したい親や子どもたちに直面した時は、(健全な程度に)懐疑的な態度を崩さないこと。忘れるなかれ:疑いの余地なく物理的・性的に虐待されているような子どもでさえも、見知らぬ人と虐待について議論することには、非常に消極的であるものだ。子どもが事務弁護士(ないし法務官)に、ほとんど否定的な批判を進んで提供してくるときは、あなたの内なる警報ベルをオフにしておくこと。

2. 両方の当事者から話を訊くためにあらゆる努力をすること。これにはより柔軟に機会に対応する必要がある。法的なトレーニングは敵対精神を植え付けるように設計されており、そしてこのように子どもたちを使う親たちは、すばやく人の「心のジュース」をかき回して「この子のために戦う」ように仕向けることができる。両者から話を聞いたとしても、後で敵対することはできる、もし必要であれば。当事者たちとその事務弁護士たちによる、先入観のない円卓会議をアレンジする努力をすべき。

3. 着手する段階から、公平な審査官としてだけ関与する専門家(たち)を選びなさい。この人達は、引きこまれて、どちらかの擁護者になる危険性がより低い。この選択にはリスクがある;クライアントは勝つためにあなたを雇っているだろうけど、もし選ばれた人があなたのクライアントによって不都合な意見をもっていれば、あなたは戦いに負けるだろう。しかしながら、子どもの最善の利益に誠実な意見を得る可能性は、格段に高まる。そうした意見は、あなたのクライアントの利益でもあるはずで、このように専門家が判断したという事実は、裁判官に信頼を得やすい。

4. 本当に最後の手段としてだけ、法廷訴訟を使いなさい。
訴訟は、子どもへの心理的に有害である。カップルが裁判所に行く機会が増えるほど、より多くのダメージを子どもたちに与える。裁判所が唯一の答えである場合もあるか? イエス。しかし、それは実際に裁判になる事件の数ほど、多くない。

5. 法廷の代替策を検討しなさい。本当に公平な審査官による徹底的な評価は、多くの場合、裁判所に行く前に事件を解決するのに役立つ。カップルがカウンセリングに同意する場合なら、これは明らかに好ましい解決策である。しかし、カップルが弁護士のところに来るような時には、彼らがそのような忠告に従う可能性はわずかしかないだろう。もう一つの選択肢は、すべての当事者が合意した機関への、裁判所命令でのカウンセリングである。これを実現させるためには、一定の前提条件が必要不可欠である。この計画は、双方の弁護士が賛成する必要がある。機密保持のための通常の規則に何か変更があるときは、書面で合意される必要がある。セラピストにはかならず全ての関係者と面会できるように保証する必要がある、かりにそれがどのような組み合わせであっても。新しい配偶者または内縁関係者も立ち会えるようにしておく必要がある。セラピストはその家族と仕事をするために十分な時間をとれる必要がある―― これらのケースは、1回ずつの問診では終わらない。当事者たちがカウンセリングを望む必要はない。彼らが裁判所の命令に従うこと、そして彼らがこれを、その法廷闘争に利するものと理解していることだけが不可欠である。

結論

片親引き離し症候群は、一方の親による、子どもへの徹底的な洗脳を示すものだ。これは親権や面接権の争いの過程でいつも見られる。洗脳親の目的は復讐である。子どもの人生に意味のある関与ができないようにブロックすること以上の復讐はない。この症候群には明確な徴候や症状があり、適切な方法によって、診断と治療ができる。この症候群は、子どもに性的虐待や誘拐が疑われている状況のなかにあるとき、より複雑なかたちで現れる。こうした問題について経験や知識を欠く専門家は簡単に欺かれ、この専門家による間違った努力が、既に悪い状況をさらに悪化させることがある。

バーン博士はビクトリア州クリフトン•ヒルで開業する、臨床および法医学の心理学者であり、モナッシュ大学心理医学科の名誉講師である。

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